38 / 293
第二章 おもちゃの密室
5.
しおりを挟む
顔もおぼろげな僕の父親。
音を立てて受話器を置く。再びかけてくるかと思ったが、さすがにそれはしなかった。小さくため息を落とした後、僕は玄関先にある置き時計の時刻を確認した。涼しいキッチンにもどってダイニングテーブルの席につく。
玄関のチャイムの音が鳴った。僕はあえて立ち上がらずに、椅子に腰かけたままでいた。勝手にドアが開く音がして小さなスリッパの足音が近づく。
今日も中に入れたか。
かすかな緊張感がほどけて、僕は開かれたままになっているリビングの戸に目を向けた。重たげな参考書を抱え、Tシャツとジーパン姿の笑香が無言でその場に立っていた。
「入れよ」
声をかけると黙ったままで笑香は足を踏み入れた。
僕達は予定していた通り、僕の家のリビングで一学期の復習を行っていた。
毎日二時間、笑香が家に来て参考書にある問題を解く。
初め笑香は僕の顔を見ると、口を押さえてすぐさま家にもどってしまった。おばさんには幼なじみの僕とはいえど、まだ異性と二人きりでいることができないと言い訳をしていたらしい。
だが柿崎家で教える案は笑香が自ら却下した。自分の生理的嫌悪よりも秘密の保持を選んだことは、提案した僕にも意外だった。
三日は家の玄関先でただうろうろと逡巡し、僕の影にも立ちすくんだ。
僕は笑香が来やすいように家のドアを開けたままでいた。慣れるのをひたすら待ち続け、結局、丸一週間かけて笑香は入れるようになった。
しかし僕の部屋までは来られず、キッチンにいるのがやっとのようだ。足が動かない笑香のために、僕はダイニングテーブルの位置をリビングの近くにずらしてやった。
「昨日の続きだろ。古文の宿題の答え合わせをしよう」
僕がそう言うと、笑香は持っていた参考書の束からノートを取り出して机に並べた。その様子は特に変わりなく、緊張している風でもない。
「ちょっと見直ししていい?」
「ああ。主語に気をつけて」
家庭教師の任を負った僕は、今までと同じ態度を崩さず、まるで何事もなかったように笑香に対して振舞っていた。
笑香も当初の取り乱したようすがまるで嘘のように冷静で、今はむしろ、あの二週間前の出来事の前より落ち着いているように見える。ことあるごとに僕をあおって破壊力を増す情動も、笑香本人がそばにいる時は、なぜかその部分の回路がぱたりと閉じられているようだった。
音を立てて受話器を置く。再びかけてくるかと思ったが、さすがにそれはしなかった。小さくため息を落とした後、僕は玄関先にある置き時計の時刻を確認した。涼しいキッチンにもどってダイニングテーブルの席につく。
玄関のチャイムの音が鳴った。僕はあえて立ち上がらずに、椅子に腰かけたままでいた。勝手にドアが開く音がして小さなスリッパの足音が近づく。
今日も中に入れたか。
かすかな緊張感がほどけて、僕は開かれたままになっているリビングの戸に目を向けた。重たげな参考書を抱え、Tシャツとジーパン姿の笑香が無言でその場に立っていた。
「入れよ」
声をかけると黙ったままで笑香は足を踏み入れた。
僕達は予定していた通り、僕の家のリビングで一学期の復習を行っていた。
毎日二時間、笑香が家に来て参考書にある問題を解く。
初め笑香は僕の顔を見ると、口を押さえてすぐさま家にもどってしまった。おばさんには幼なじみの僕とはいえど、まだ異性と二人きりでいることができないと言い訳をしていたらしい。
だが柿崎家で教える案は笑香が自ら却下した。自分の生理的嫌悪よりも秘密の保持を選んだことは、提案した僕にも意外だった。
三日は家の玄関先でただうろうろと逡巡し、僕の影にも立ちすくんだ。
僕は笑香が来やすいように家のドアを開けたままでいた。慣れるのをひたすら待ち続け、結局、丸一週間かけて笑香は入れるようになった。
しかし僕の部屋までは来られず、キッチンにいるのがやっとのようだ。足が動かない笑香のために、僕はダイニングテーブルの位置をリビングの近くにずらしてやった。
「昨日の続きだろ。古文の宿題の答え合わせをしよう」
僕がそう言うと、笑香は持っていた参考書の束からノートを取り出して机に並べた。その様子は特に変わりなく、緊張している風でもない。
「ちょっと見直ししていい?」
「ああ。主語に気をつけて」
家庭教師の任を負った僕は、今までと同じ態度を崩さず、まるで何事もなかったように笑香に対して振舞っていた。
笑香も当初の取り乱したようすがまるで嘘のように冷静で、今はむしろ、あの二週間前の出来事の前より落ち着いているように見える。ことあるごとに僕をあおって破壊力を増す情動も、笑香本人がそばにいる時は、なぜかその部分の回路がぱたりと閉じられているようだった。
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
全8話。1日1話更新(20時)。
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
花香る人
佐治尚実
BL
平凡な高校生のユイトは、なぜか美形ハイスペックの同学年のカイと親友であった。
いつも自分のことを気に掛けてくれるカイは、とても美しく優しい。
自分のような取り柄もない人間はカイに不釣り合いだ、とユイトは内心悩んでいた。
ある高校二年の冬、二人は図書館で過ごしていた。毎日カイが聞いてくる問いに、ユイトはその日初めて嘘を吐いた。
もしも親友が主人公に思いを寄せてたら
ユイト 平凡、大人しい
カイ 美形、変態、裏表激しい
今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。
Catch hold of your Love
天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。
決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。
当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。
なぜだ!?
あの美しいオジョーサマは、どーするの!?
※2016年01月08日 完結済。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない
バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《 根暗の根本君 》である地味男である< 根本 源 >には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染< 空野 翔 >がいる。
ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない??
イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる