寿命が来るまでお元気で

ゆれ

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「おーい」

 自分達を呼ぶ声だとはすぐに気が付かなかった。隠れてないで、出てきたらどうだい。どこまでも淡白な口調で、問うわりに興味関心の薄いそれが、間者の真似事をする来良と朱炎に向けられたものだったと視線がかち合ってようやく理解する。まだいくらか離れた場所にいるのにたしかにそうだとわかるくらい目が合った。
 ばれているなら仕様が無い。少年を背に庇いながら来良が出ていくと、無人はすうっと目を細め、対照的に幸芽は無防備に見開いた。

「私に何か用かな」
「……まあ」

 でなければこんな趣味の悪いことはしていない。取り繕っても時間の無駄と思い、率直に「調べさせてほしいことがある」と述べた。あとで考えればこの時点で最も犯人の可能性を秘めた相手だったにもかかわらず。或いは来良はどこかでこの男は違うと見抜いていたのかもしれなかった。
 そして実際、白い膚に彫り物は見当たらなかった。まだ清い仲なのかもしれない。幸芽は律義に外方を向いて、耳の縁まで真っ赤にして無人が着衣を整えるのを待っていた。

「気は済んだか?」
「すまなかったな。ご協力感謝するよ」
「別にいい」

 終わったならとっとと帰れ、とでも言いたげな口振りだったがわからないふりをして来良は幸芽に向き直る。無人のきつい眼差しが頬に刺さるようだ。

「幸芽さんは、紅琴さんに何か相談されたりしませんでしたか」
「……いいえ何も。でも、特に根拠があるわけじゃないんですが、紅琴には他の男性がいるような気がして」
「それは、……もし気のせいだとしても、彼女に訊いてはみなかったんですか?」

 彼女はかなり追い詰められていた。たとえ当てずっぽうだったとしても、親しい友人にそう言ってもらえたらすこしは苦しみを吐き出せたかもしれないのにと思わなくもない。幸芽はすぐには答えなかった。無人に肩を抱かれたまま、遠い目をして考え込むとややあって静かにかぶりを振る。

「浮かない顔をしていたので、悩みがあるのだろうとは思いましたがそれが縁談のことなのか、ご両親が心配されていることなのかまではわからなかったものですから……。お嫁に行くまえは誰だって気が塞ぐこともあるでしょう。わたしには善悪の区別などつきませんし、偉そうに咎められる立場でもありません。身の振り方は彼女が自分で決めることかと」

 そんな自由も与えてもらえてないのが実情なのだけれど、今ここで幸芽に憤りをぶつけたところで何も変わらない。具体的にどこまで彼女が知っているというか推測しているのかも不明では、来良のくちから事実を暴露するわけにはいかなかった。聞いていて気持ちのいい話とは冗談でも言えない。
 それとも、友人があんなひどい目に遭っているのにふらふら夜歩きなどしているのだから幸芽は詳しくないのだろうか。

「来良さま」

 もう訂正するのも疲れて一瞥投げる。

「お願いですから、何か悪しきもののしわざということにしてもうお帰りになってください」
「……それならますます解決せずに帰れませんよ」

 遅くなったので一緒に帰りましょうと促して、気が進まないながらも幸芽が無人に別れの挨拶をするのを見守る。来良が朱炎を連れているのが決定打になったのかもしれなかった。容姿は子どもでも中身は違うのだけれど、こういう時は役に立つ。

 今のひとことがこの村の隠蔽体質を表しているようだった。もしかすると、村長は今回の件をちゃんと暴いてほしいわけではなかったのかもしれない。何かしら適当に祈祷めかした行為をしてお終いでよかったのかもしれないが、現実に流れている涙を目の当たりにした以上は、見過ごせないし紅琴もそれを望んだと受け取る。誰にもさわってほしくなければ隠し通した筈なのだ。
 いつ横取りされるかもわからないのに、一度目を付けた獲物を野放しになどしておかないと朱炎は言っていた。二年前から付け狙われていた来良にはその発言が嘘でも何でもないとわかっている。黄麻や居待月が懸命に隠してくれても、かいくぐって見つけられ、まんまと命を奪られたのだ。それほどまでにあやかしは執念深い。

 移ろいやすいのは短い生と定められた者の悲しいさがだ。娘達を次から次へと恐怖に陥れ、行儀悪く食い散らかす男の顔を拝みに行こう。門前で幸芽の肩をポンと押して、中へ戻っていくのを見届けてから、来良と朱炎は被害者の家をまわって歩くことにした。一刻も早く彼女達を不安から解放してあげたい。

「『何か悪しきもの』か……」

 そう言えるほど人間が善性に満ちた生き物だとでも思っているのだろうか。食物連鎖の頂点に立つのをいいことに自然を破壊し、自分勝手な乱獲をして生態系をめちゃくちゃにする。半分あやかしになった所為だとでもいうのか、そんなふうに考えてしまって苛立ちを抑えられない。顔を顰める来良を、朱炎は愉しそうに見ている。

「なんだよ」
「いや?」

 こんな疑念をいだくようになってしまったら、そのうち門番の資格も失うかもしれなかった。そうなれば弟達が引き継いでくれるだろうが、来良が帰還したからなのかあれ以来秘術は発動していないらしい。その心配もするべきなのかどうか。物思いの種は尽きないものだと嘆息する。元気だろうと病気だろうと手加減はされないようだ。
 
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