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相手が妙齢の娘なのでちゃんと断ってからまず白い手首を取り脈を診る。来良が触れても特に嫌悪感などはなさそうで、おとなしいものだった。紅琴のふわふわとして定まってないような視線を追って朱炎がキョロキョロしている。熱もないし顔色も、すっきりと痩せてむしろ艶は悪くなかった。
夜中に徘徊すると聞いていたため青白くくまを作った容貌を想像していたが、すくなくとも見た目はどこかが悪そうという印象は受けない。未明頃には戻ってきて昼前ぐらいまで床を出てこないと言っていたけれど、単純に睡眠時間がずれているだけのようだ。言葉を理解しないということもなく来良の質問にも自然な間隔で答える。頭の回転が鈍っている感じはない。
どこか変わった場所に行って非日常的な体験をしたわけでもなく、食べつけないものを食べてもない。殺生もしてない。淡々とした受け答えに偽りの気配はまったく覚えなかった。彼女は問いに対しては真実を述べているだろう。問うてないことまでは何ともいえない。
ひと通り可能性を潰したところで来良と朱炎は中座して襖越しに母親に頼んで娘の身体を見てもらう。具体例を挙げて念入りに調べさせても、呪の痕跡らしきものは見当たらなかった。横から朱炎に腹を重点的に意味深な目線を送られて頬が火照る。俺のことはどうでもいいだろ。
場所を変え、今度は両親だけに紅琴の様子を詳細に尋ねる。とても言いにくそうに彼らが言うことには、毎夜ではないが娘は数日に一度こっそり部屋を脱け出して外へ行く。対策として家人に寝ずの番をさせているのだが何故か効果がみられず、朝までには戻ってきており、ならばまあと初めのうちは目をこぼしていたが婚約することになって、さすがに放置はまずいと村長に相談を持ちかけたようだ。
暴れたり叫んだり、幻覚を見たりといった問題行動はしないため薬物が原因とは考えづらかった。痩せたりやつれたりもしておらず、睡眠も普通にとれている。むしろ垢抜けて綺麗になったのではないかとさえ噂されるらしかった。縁談が舞い込むのも道理、という感じなのだろう。
「あやかしのしわざではないのでしょうか」
「ええと……どうしてそう思われるんですか?」
「――」
そこで夫婦は目を見合わせると、すこし言い淀んで夫が「言い伝えがあるんです」と来良に話す。勿体つけた口振りに失笑を堪えるのが大変だ。
「といいますと?」
「なんでも西の山にぬしが住んでいて、夜中に村に降りてきては若い娘を物色していると」
「……ははあ」
「気に入った者がいれば連れ帰って嫁にするんだそうです」
「うちの娘に近づいてるんじゃないでしょうか」
「なるほどなるほど」
しかつめらしい顔をしながらも、内心では「出たーー!!!」と叫びたい気持ちでいっぱいだった。
ぬし伝説。山だの川だの池だの森だの、各地にそれらしくいるとされている便利で曖昧な存在。この手の伝承はまず眉唾物だと思っていい。恐らく彼らの言うぬしも、ただ単に婦女子をひとりで遅くに外へ出さないようにという訓戒を、ちょっと不気味に仕立てて威力を底上げしたいだけと思われる。それ自体は勿論よいことだと来良も賛同する。実際夜はあやかしの跋扈する時間なのだ。気を付けて損はない。
だがそうは言っても攫い婚は実在するし老若男女は関係ない。何なら経験者の来良は、両親の不安もよくわかった。自分も雨の夜に朱炎にかどわかされた。偶発的ではなくまえから目を付けられていたにしろ、これっぽっちも心配ありませんとはまだ言い切れないだろう。何せあやかしは気まぐれなのだ。来良がまるで見えていないかの如く薄い水色の双眸を隣に向けると、銀髪の少年はにこっと屈託のない笑みを返してくる。青年体の時にはなかなかお目にかかれないしぐさ。
取り敢えずふむふむと話を聞いておくことにして、また来るかもしれないと断ってからふたりは次の家へ向かった。
村長に世話を命じられているという青年団の長である40代の男に導かれるまま、その後三軒の家をまわって事情を聴いたが、内容も、娘らの様子も、判でついたかの如く同一だったのでいっそ口裏でも合わせているのかと疑ってしまうほどだった。余程法則を厳守したいとみえて笑ってしまう。普通おなじものばかり食べていればたまには気分を変えたくなると来良は思うのだが、この原因たる何かはそうではない模様。俺とは気が合いそうにねえなあ、と嘯きつつまた村長の家へ戻ってきた。
どの家でも二言目には「あやかしのしわざでしょうか」とくるので辟易する。取り敢えず隣を歩く本物のあやかしには「くれぐれも尻尾は出すなよ」とこっそり釘を刺しておいた。ここまで思い込んでいるのに、事態を解決するため金で雇われた来良が朱炎を連れていると知られれば袋叩きにされるだろう。生きて帰れたとしても評判を落とすことになりかねない。人のくちに戸は立てられないのだ。
「やあやあ来良先生、お疲れさまでございました」
「先生でもないです」
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