幾星霜

ゆれ

文字の大きさ
上 下
15 / 16

15

しおりを挟む
 
「娘を助けていただいて本当にありがとうございました。失礼ですけどお名前をいただいてもよろしいかしら?」
「あ、はい。征矢です」
「征矢さん。後日お礼に伺わせていだたきます」
「いえいえそんな、滅相もない。美統ちゃん無事だったんで、それでもう」

 口ぶりからするに、この大病院の娘なのだろう。そんなアッパークラスの人間にやって来られても、どうもてなしていいのかもわからないし大体そこまでのお手柄でもない。たまたま居合わせたくらいのまぐれあたりを、そんなに恩に着る必要はまったくなかった。

 必死に固辞するいのりの様子から察したかどうかは謎だが、女性はしぶしぶ引き下がってくれたようだ。美統ちゃんに「お部屋に戻りましょう」と促して、最後に母子そろってもう一度、いのりに「ありがとうございました」と重ねて戻っていった。

 いつの間にか隣に来ていた大石の横顔を見て、かれを許してあげてほしいと口添えするくらいはしてみてもよかったかしらと今になって思う。まあ先程の雰囲気だと、元凶は他の者のようなので、このことで大石が配置換えされたりはしないだろうが。

「……先天性の心疾患がある子でな。一年の半分くらいは入院生活なんだよ」
「そうなんですか」

 遊びたい盛りという言葉が具体的にどのくらいを指すのかよくわからないけれど、やっぱり子どもが一日の殆どをベッドで横になって過ごすのは喜ばしい事態ではないのだろうし、かなりの苦痛ではないかといのりにも思われる。安静にしていなければならないが、身体の成長には適度の運動も必要で、病気に負けない身体をつくることが病気の所為でできないというのも、不条理な話だった。

 しかしほんのすこし接しただけでも、美統ちゃんからはそんな鬱屈とした印象は受けなかった。それがまた悲しみを誘う。

「すこしでもよくなるといいですね」
「ああ」

 高校生の頃はそういう話になりにくかったのもあるけれど、大石が存外面倒見がいいというか、子ども好きそうなのは意外だった。今思えば甥っ子を扱う手つきも不慣れでもなかったような気がする。否それは思い込みかもしれないか。

「あ、もしかして予行演習ですか?」

 取引先の子だから仲良くしているという打算はあまり感じられなかったのでそう尋ねてみたのだが、余計当惑させただけだったようだ。

「何が」
「だから子どもと接する。なんかお見合いしたって聞きましたよ」
「!」

 大石が切れ長の双眸を見ひらく。くちが何か言いかけて開いて、また閉じて、開いて、要するに動揺して結局押し黙った。別に超能力で見破ったわけでも何でもない。ソースは共通の知人だ。

「……まさかおばちゃん?」
「大正解です」
「あー……マジか」

 張り詰めていた空気がそこで急に緩んで笑いに巻かれるのだから、彼女のキャラはだいぶ特異で、羨ましい。例の如く買い物に来ただけの大石から近況を引っぱり出し、かれもまた油断して縁談のことを暴露してしまったのだろう。「内緒ですよ」と付け加えた大石に応じたのとおなじくちが、後でいのりにペラペラとばらしているのだから、もはや笑うしかないというのが実情かもしれなかった。

 もう人生にそういうイベントがあってもおかしくない歳なのだ。いのりなど姉が既に結婚しているにもかかわらず、今ひとつ現実味がないし願望も特にない駄目さなのだが、やはり世間一般では適齢期と見做されるくらいは自覚している。況してや大石はこのルックスで、身辺もきちんとしていて、となれば見合い話のひとつやふたつ舞い込んでいないほうが不自然。

 いのりも、恋愛には向いてないけれど、もしかすると結婚はそうでもないのだろうか。案外特性があったりして。あそびが結婚して第一子を授かるまでは、先のことを案じていのりにもそういう世話をしてくれようとしていたのだが、当時はまだくさくさしていたため「興味ない」のひとことで遠ざけてしまっていた。

 だから、今度姉から連絡があったら、それとなく縁談についてさぐりを入れてみようと目論んではいる。今日は失敗したけれど、どうせまたチャンスは来る。大きな潮目も特にないまま終わる場合もあるかもしれないが、どうせ一度きりの人生なのだから、降ってくるイベントには流されて乗っかってみるのも面白いかもしれない。

 流れ流れてここまで来ているけれど。こんな自分でも、誰かの役に立てるとわかってなんだか嬉しかった。

「ガセじゃねェけど、結果はついてきてねえかな」

 次に会う約束はしているものの、将来的なことには前向きではないらしい。仕事も立て込んでるのにちょいちょい連絡してきて、わりと全面的に迷惑がってる感じ出してんのに全然通じてなくて、なんでお嬢って皆ああマイペースなんだろうな。男が合わせてくれるのがあたりまえと思ってんだな。愚痴りながらも、その声にはどこか優しさがにじみ出ているような、くすぐったさを感じる。照れているのだろうか。

 どうせ頼まれた見合いだと聞いて、サラリーマンはいろいろ大変なんだなと同情する。いのりも、もし肉屋のおばちゃんに「ちょうどいいひとがいるのよ~」などと紹介されたら、行く末はともかく一回会うくらいならと了承してしまいそうだ。

 だから顔をつなぐだけだとしても、覆ってうまくまとまったとしても、自分には関わりようのない話だった。いのりは当たり障りのない返答を頭の中で必死にこねる。

「まあ大石さんなら選り取り見取りですよ。じっくり考えたらいいんじゃないですか」
「……それだけ?」
「え、……うーん、じゃあ、お互い頑張りましょう」
「っはは!」
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼氏が完璧すぎるから別れたい

しおだだ
恋愛
月奈(ユエナ)は恋人と別れたいと思っている。 なぜなら彼はイケメンでやさしくて有能だから。そんな相手は荷が重い。

私と彼の恋愛攻防戦

真麻一花
恋愛
大好きな彼に告白し続けて一ヶ月。 「好きです」「だが断る」相変わらず彼は素っ気ない。 でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。 だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。 彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。

ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編

タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。 私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが…… 予定にはなかった大問題が起こってしまった。 本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。 15分あれば読めると思います。 この作品の続編あります♪ 『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。

石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。 すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。 なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。

振られた私

詩織
恋愛
告白をして振られた。 そして再会。 毎日が気まづい。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

処理中です...