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しおりを挟む言って、恐々とふれてきた手は意外にもつめたかった。ぎゅっと握り込まれる。そのまま、つないでいると小刻みに揺れているのがわかった。いのりではない。
大人の男なのに。高校生だったのは遠い昔で、酸いも甘いも経験して、社会ではまだまだ新人の域でも10代の未熟さはない。況してやモテの現役でこういうやり取りにはいのりより余っ程、免疫だか耐性だかがあるだろうに。緊張しているとでもいうのか。
「今日は、送って帰るから。次会うまでに考えといて」
「……何を」
「俺と縒りを戻すかどうか」
過去も、未来も、背景も、余計なことは一切考えないでただ俺を好きかどうかだけで決めてほしい。そんな難しい宿題と上等すぎる靴を残して大石は走り去った。テールランプが闇に消えるまで見送ると、いのりは狭い自分の部屋へと帰っていく。現実に戻る。
「…………はあ?」
一度目を逸らす。二度見する。ゼロの数を確認する、間違いじゃない。この店ではハンカチ一枚に3千円支払うのが常識らしい。
凍りついたいのりに気が付いているのか遊んでいる店員はいるのに、整った陳列棚をさらに整えたりカウンターで何やらカタログを開いたりしている。透明人間にでもなった気分だ。人間の店に動物が買い物に来たら、こういう気持ちを味わうのかもしれない。
何やら手触りがよすぎたので恐る恐る手洗いしてみたのだが結局汚れは落ちなかった。おなじ物を買って弁償することにして、まずはネットカフェで取り扱っている店を検索し、金曜の仕事帰りに行ってみればこれだ。前以て値段も調べておけばよかった。
ここまでしてすごすご帰るのも悔しいので、借りたハンカチは青系だったので赤系の一枚を選んで店員を呼ぶ。「贈り物でしょうか?」と訊かれたのは店自体がメンズファッションのラインなのだから当然と言えば当然で、もう早く出たい一心でいのりはうなずいた。
平たい箱に入れられた挙句光沢のある紙袋にまで入れられて、過剰包装だとくちのなかで毒づいた。ようやく捻挫は治り、擦り傷はまだ包帯を巻いている。病院へはかからずに済ませたが薬は買うことになって、今度から足元には細心の注意を払おうとつくづく思った。怪我をすると無駄な出費がかかる。
へろへろと店を出るとつめたいビル風が吹き降ろしてきて思わず首を縮めた。次に会うまで、そう言っておきながら具体的な約束はしていない。連絡先も交換していない。どうするのだろうと考えを走らせ、紙袋に目を落として、あおい息も落とした。
余計なことは考えないでと言ったけれど、そういうわけには行かなかった。そもそも惑わされるほど大石についての情報が無い。あの頃のまま更新を止めていた。再会してわかったことなどすごい格差くらい。細部に宿りたもうという神様のいうように、些細なことが合わない二人はすべてかみ合わないように思えた。
たぶんまた傷ついて泣く羽目になる。答えは、このままでは、――
駅に着く。ごった返す人波の中を泳いで改札を抜ける。電光掲示板をみあげてちょうどの電車があったのがまるで運命のように感じられたのは、心が弱っていた所為だろうか。違うホームへ向かうと滑り込んできた電車にためらいもなく乗る。1時間半もすれば生まれた街に送り届けてくれる。
「疲れた……」
このくらいがいのりの遠出の限界だった。今日はまだ、すこし多めに所持金を用意していたので不安というほどではないがどこかの誰かみたいに、地球の裏側になど気軽に飛ぶことはとてもできない。興味すら持てなかった。
甥っ子の顔でも見れば浮上するかもしれない。すっかり暮れて星の輝く空を眺めつつ、うとうともしつつ車中の時間を過ごすと駅に着いた。都心からそう離れていないのに一見しても都会とは言い難い、時が止まったようなささやかな繁華街。すぐ向こうには長閑な田園風景が広がっている。
たまにタヌキが車道を横切ったりもする。よく知った道を家へ向かって歩いていると門の前に青い車が停まっているのが見えた。
「……あれ?」
古い家だったのだが姉が結婚し、義兄と住むと決まったとき手を入れてきれいにしたのだ。表札には義兄の家とふたつ分の名字が書かれている。駐車場は角をふたつほど行った通りに借りているので、そこに入れていないということは急の客だろうか。義兄は帰路の途中か残業か。とにかく行ってみようと一歩踏み出していのりは、慌てて曲がり角に身を隠した。
中から人が出てきた。それはいい。でもそれが姉と、大石だったのでパニックに陥った。
(なんで?!)
しかも姉は大石の車に乗り、さらに大石の腕に抱かれていた甥っ子まで乗せられて、車は走り去ってしまった。
「なに……何が……」
電気は消えている。鍵もかかっている。暗くてよくわからなかったが大きな荷物などは持っていなかったように思う、というか自分は、何を疑っているのだろうと可笑しくなった。駆け落ち? 馬鹿馬鹿しい。
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