セカンドクライ

ゆれ

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ああ、失敗

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「え」

 なんでと表情が問うていたので「向いてねえもん」と愚痴る。思い知らされた原因にぶちまけるあたり俺も大概ダメ男だなと思わなくもなかったが、こんなことを車や現には相談できない。羽山などは挨拶程度しかくちも利いた覚えがなかった。

「俺のせいか」
「お前は関係ない。ほんと俺ぶきっちょだし雑だし、適性無かったわ今思えば。お前は期待されてんだし、気にしないでこれからも頑張れよ」

 自分のせいだと考える程度の殊勝さがこの男にあったことに驚愕したがおくびにも出さずに晴は否定する。本質はそこじゃないしいざのときも自分の身くらい自分で守れる来夢は返す返すも探偵に向いている。咄嗟の判断力も、冷静さも、何もない晴とは大違いだった。
 ぽんぽんと肩を叩いて、上体を支えてくれている腕をそっと離させると来夢はどこか焦ったように言葉をさがしてくちをパクパクさせていた。何か言いたいことでもあるのだろうか。じっと見つめて待っていると、彼の背後で倒れていた男がむくっと起き上がり、こちらへ迫ってきて腕を振りかぶるではないか。

「ヒッ……来夢うしろ!!!」

 晴が叫んだのと来夢が振り向いたのとは同時だったが事なきを得た。何のことはない、男は反撃するまでの余力がなくそのままばったりと倒れ再度床にキスをしてしまった。

「……はは」
「ンだよ、人騒がせな」

 一頻りふたりで笑ったあと、晴はありがとうと来夢に言った。本当にどうなることかと生きた心地がしなかった。どんなに許せない相手だろうと恩があるのは間違いない。だから当然のことをしたまでなのだが、急に耳まで真っ赤になるのでびっくりした。

 怒りという感情を長く燃やし続けることはもしかするととても難しいのかもしれない。諦めたような気持ちで、晴はゆるりと口元を綻ばせた。



 * * *



「晴、今日はステーキにしよう!」
「……は?」

 午後8時。ようやく事務所に戻ってきたと思ったらそんなことを言うのでわけがわからず、つい怪訝そうな返答になってしまった。既に残っているのは今日も今日とて待つ人もいないからと残業を決め込むつもりの車と、開けているなら受付も必要でしょと居座る気満々のネリネと晴だけだ。一応合鍵は預かっているものの、できれば家主と帰りたいので来夢を待っていた。

 ごく普通に素行調査とその報告、別件の面会をしていただけの筈なのだが何故か長身は両手で白いトロ箱を持っていて、自分の席にドンと置くと蓋を開けて見せてくれた。中にはドライアイスと共にサシも美しい赤身の肉がパッキングされた状態で鎮座している。

「黒毛和牛5キロ当たった」
「えっ」
「マジで?!」
「陸さんすごぉい!!」

 いつも買い物に行く商店街でくじ引きをしているからと引き換え券を来夢に託したのは他でもない晴だ。憶えているに決まっている。この夏の暑さにすっかりやられ、バテて食欲も減退しまくっていたけれどさすがにこれは張り切らざるを得ない。お呼ばれお呼ばれと騒ぎ立てる上司と同僚を、にべもなく突っ撥ねている幸運な男を思わず拝んだ。

「忙しくてあんたらの相手なんてしてられません」
「いーじゃん、どうせここでも冬原さんとイチャイチャしてるんだから~」
「1分でも1秒でも長くしてえに決まってんだろ」
「……」

 というか、ここではできない分、家では服を脱いでイチャイチャさせられるのだ。うっかり想像してしまって赤面する晴に目敏く気づき、来夢がニヤニヤ見てくる。男前が台無しだった。

 依頼人を騙って陥れられそうになった一件以来ふたりの距離は急速に縮んでいた。あんなに抵抗感を示していたのに、直後は不安から家に泊めてもらい、仕事もしばらく内勤をまわしてもらった。来夢のサポートとして下調べを担い、時には同行したり、一緒に調査に取り組むうちに晴も回復してきて、今はすっかり単独でもこなせるまでになった。
 もう大丈夫だからと居候を解消しようとして、来夢に熱っぽく引き止められたのは正直いくらか予想がついていた。世話になった恩返しのつもりで一度肌を許すとあっという間に馴染んでしまい、結局今日までずるずると半同棲みたいな状態を続けている。

 彼にはアパートを引き払って正式に越してくるよう折に触れ言われているが、本当にそれでいいのかと逡巡する気持ちを看過できない。傍にいないほうがまた浮気される懸念があるのかもしれないけれど、そんな男と縒りを戻して果たしていいのか、きもちいいだけの関係でいたほうがいいのではないかと今ひとつ踏み切れなかった。

 急かすつもりはないと来夢は言うが彼はこちらへ来ても唸るほどモテる。誰かに横から掠め取られるくらいなら、と思わなくもない。だが毎晩のように激しく求められていて、そんな余地がどこにあるのかという気もする。たまに何も考えず服を選んで出勤すると「キスマ見えてますよ~」とネリネにこっそり指摘されるくらいだ。この歳になってこれは恥ずかしい。
 
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