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ああ、失敗
07
しおりを挟むさすがにそこまで青臭くはないつもりだ。憤りはするしそれは嘘じゃないけれど、一週間後もそうしているかというと自信はない。また別の仕事で容量いっぱいになっているだろう。出会って別れてを短いスパンで繰り返す。職業柄できるだけ再会はしないほうが客が幸せになったということなのだが、してしまうケースもすくなからずあった。
浮気されやすい性格はきっと存在するのだろう。或いは生活パターンだったり育ってきた環境だったり、原因はひとつじゃないのかもしれない。したくてするわけでもないのかもしれない。だから考えても無駄だと振り切ろうとしたそのときだ。インターホンが鳴る。
「お客さん?」
「誰だこんな時間に」
現も怪訝そうな顔をしている。すくなくとも晴が転がり込んできてからこっち、来客があったのはこれが初めてだ。彼女も今はいないとぼやいていた。このマンションは古いタイプで、エントランスのパネルに一応暗証番号は打ち込まなければならないのだが、住人が入った直後などに忍び込めばあとは各戸まで簡単に辿りつける。エレベーターも使える。
よもや日に二度も犯罪に巻き込まれたりはしないよな。首をひねりながらも現が応対に出ていったので、晴はトイレに立った。丁寧に手を洗って戻ると頭数がひとり増えている。
「晴!」
「えっ」
なんで。
ここにいる筈のない男が駆け寄ってきてぎゅっと抱きついてくる。匂いも温度も感触もある。幻覚じゃない。
「なに……すんだよ!」
ドンと突き飛ばすと長身はあっさりと離れた。服の下で肌が粟立っている。まるでもう赤の他人めいた身体の反応に唇を歪める。
「もしかして、例の?」
「なんであげたんすか現さん」
「いやー今日の事件の映像? ネットにあがってたらしくて、そっから場所割り出して行動半径特定してここまで辿りついたっていうからさ。ガッツあるっつうか、おたく探偵の素質あるね?」
「はあ……どうも」
「お前とどうしても話がしたいらしいし」
「晴、頼む」
「……」
容姿がなまじ整っていると他人を操り易そうで羨ましかった。どれほどの労力を要していようがいまさら面会してやる筋合いなど晴にはない筈なのに。恨みがましく現を睨めつけていても問題は片付かないしいつまでもやすめない。追い返したところで日を改めて再来するだけだ。仕方なく外出着に着替えると、現が来夢からは見えないように紙幣を数枚持たせてくれた。詫びも入っているらしいので気は進まないながらも一応預かっておく。
職場の先輩の賃貸住宅を傷つけるのも本意ではない。穏便に済ませる自信がないため、晴は長身に続いて外へ出た。夜風にふわりと頬を撫でられ、前を行く来夢を眺めて、ここはあの片田舎じゃないのに彼がいる不自然さにどうか夢であれと往生際悪く願いをかける。楽しい再会になどなりようがないことくらいわかっていただろうに。どうしてのこのこ現れるのか意味不明だ。
晴はすっかり帰郷するつもりだったため、家も職もない状態だった。最も捜すのが困難な人間だった筈なのに現も言ったようによく辿りついたなと思う。本当に何でもできて嫌味な男。晴が何年もかけて体得した探偵のノウハウを見よう見まねであっさりこなされてしまっては、つくづく立つ瀬がなかった。
昔からそうだ。来夢のことはとても好きだったけれど、一緒にいると惨めな気持ちになる。ふたつとはいえ年上なのにいいなあと羨むばかりの自分が情けなくて悲しくなる。あんなことがあった今ではもう何がよくて傍にいたかったのかわからない。このうえは美しい思い出として、あの田舎でおとなしくしていてくれたほうが全然よかったのに。かたい溜め息もまるで聞いてない顔で大通りに立ち、タクシーを停めて晴を促す。
後部座席に並んでいてもくちも利かないふたりに気を遣って運転手も何も話し掛けてこなかった。20分ほど夜の街を走って、駅のすぐ近くにあるハイクラスホテルに連れてこられる。どうやらここに滞在しているようだ。晴が舞い戻ってきて三週間弱。もし直後にあとを追ってきたのなら、長期滞在するにはまったく不向きな選択に呆れ返った。
さすが羽振りのいいお坊ちゃんはやることが違う。通された部屋はあたりまえのようにシングルなどではなく、ジュニアスイートだ。ソファに座るよう勧められたけれど、従わずに晴は壁に背を預けて腕を組む。来夢は困ったような笑みを湛えると上着を脱いで自分が座った。
「話って何だよ。夜も遅いしさっさと済ませてくれ」
「……うん」
そう応じたくせ美貌は長々と緘黙し、ただ晴の顔を見つめている。何かついているのだろうか。居心地が悪くて仕方ない。
「来夢」
「無事でよかった」
「……ああ」
出回っていた映像がどんなものか知らないが、真摯に寄せられた心配を無下に振り払うほど育ちは悪くないつもりだ。無造作に頷いた晴に、来夢は端整な目元をふわっと緩める。つめたそうな顔立ちが途端に綻ぶ。かぎられた者しか目にできない変化を素直に喜べていたのはあの日までだった。
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