セカンドクライ

ゆれ

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「杏里とできるならしてえけど。え、この話何かあんのか?」
「つうか……まえもセックスしたあとにケンカしたから、繰り返してる気がしただけ。やっぱ今だけだから楽しいのか?」
「えっ」

 何故やっぱりと言うのか。それは本当に最初だけ浮かれて楽しかった前例があるからだ。日を経るにつれ日常になり、生活になり、油断して怠慢になって、杏里を失望させた過去が。思い出さなくても目に浮かぶようで、さしもの明治も言葉を失う。かわりにぎゅっと彼を抱きすくめる。

「俺、女性は避けてるって杏里に話した?」
「……知らねえ。てか最新の恋人は女の人だったんだろ?」
「それたぶん半グレの頃だわ。――その子な、俺の所為でヤクザの報復受けて酷い目に遭わされたんだ」
「え……」

 できることなら何でもする、治療費も負担するし一生かけて償うと土下座した明治に、木綿子の両親はただ「そんなことはしなくていいから娘のまえに二度と現れないでほしい」と言った。忘れて全部なかったことにしたいと言われたのだ。若かった自分は食い下がるすべを持たず、庇ってくれていた彼女も親をこれ以上心配させたくないと最後には断念して、つないだ手を離す道を選んだ。
 足を洗うには充分すぎる理由だったしその後は鬼気迫る勢いで仕事にのめり込んで、生きる支えだったのはこの頃だ。「狂っちまったのかと思った」と言いながらも、傍で舞洲が見守っていてくれなければ本当にどうなっていたか自分でも定かでなかった。

「あれ以来自分より弱い誰かを近くに置くのが怖くなった。妹が日本にいなくて心からよかったと思ったわ。それで、適当に男見繕っては発散するだけの生活をずっとしてた。俺は早くからひとりで住んでたから彼女できるとすぐ家に連れ込んでたけど、もう誰かと暮らすなんて、二度とできねえと思ってた。……だから、杏里がこの部屋にたった三ヶ月だろうと一緒に住んでたって聞いた時は、本気の相手だってすぐにわかったよ」

 ゆえに恐らく女性と結婚する未来は明治にはない。その心配は不要だと囁いて、杏里の頭を撫でる。優しい彼が今の話にも胸を痛めたとわかっているから。でもいつかは告げたかったことなので明治としては切っ掛けを貰えてよかった。

「今だけだからかどうかは時間を経てみないとわからねぇけど、すくなくとも今俺は絶対繰り返したくねえし、その俺だって別れたくなんかなかったしやり直したくて必死だったと思う。もしまたダメになりそうだって感じたら言ってほしいし」

 スマートフォンの中に抵抗の痕跡がありありと残っている。毎日毎日仕事の合間を縫っては杏里に呼び掛け続けていた。ごを打てばごめんが出るし、やを打てばやり直したい、わを打てば別れたくないが予測変換の一番上に出るのだ。杏里の名前も、実際会ってそんなに呼ばないだろうというくらい繰り返していた。

「杏里のほうが100倍つらいだろうとは思うけど、俺も俺の忘れてる杏里がいるのがいつもすげえ悔しい。この気持ちはたぶんおなじ経験した奴にしかわからねえと思うわ」
「……そう」

 だから新しく、もっとたくさん思い出を作りたい。耳元に囁いて服の中に手を差し入れる。さらさらと乾いた肌の下でけなげに拍動する杏里の心臓の音を掌で感じ、いつか達する最後の一拍まで、傍で聴いていたいと願っている。共にその時を迎えられたらさらに最高だと思う。
 首を返した杏里が明治に慰めるようにくちづけた。そっと唇を開いて舌を受け入れる。ゆらゆらと行ったり来たりを続けて、埋もれ火が再燃するのにそう時間はかからなかった。







 くあ、と大きなくちを開けて欠伸をかますが部屋には明治しかいない。締切がなければ基本的に残業はしない方針のホワイト企業なので社に残っているのももう自分くらいだろうと思った。珍しく舞洲もいそいそと定時にあがっていったがあれはデートと見た。最近高校の同級生の結婚式に出席したらしいので、そこで出会いがあったのかもしれない。

 朝食まで一緒にとり、出勤も車で送り届けた。酒匂もいたのが余計ではあったが概ね平和に過ごせた筈だ。夜中のことも特に言及はなかったし深く眠っていたか空気を読んだのだろう。幸せすぎる寝不足の御蔭で長い一日だった。杏里は大丈夫だったかな、と思ったまさにのタイミングでスマホが鳴る。びっくりしてコーヒーのカップを取り落としそうになった。
 しかも画面で点滅する名前はその杏里で。わりと珍しいことなので軽い気持ちで応じて後悔する。

「もしもし、杏里くん? どうしたのかな」
『すぐ来れねえ?』
「……何かあったのか」

 声がかたくて明らかにいつもの彼じゃない。何事か言いかけて失敗する空気を感じ、明治はただちに質問を切り換えた。

「今どこだ」
『家』

 というと実家か。「すぐ行くから待ってろ」と早口で繋げるとややあって通話が切られる。パソコンを落とし、コーヒーサーバーの電源と照明を消して会社を出る。気は逸るが運転は安全に確実にだ。シートに座ってベルトを着けると、ふっとひとつ息を吐いてからステアリングに手をかけた。
 
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