セカンドクライ

ゆれ

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 存在を視認されてしまった以上、隠密行動は無駄なので最後にもう一度ヘアピース店の従業員に頭を下げて杏里の勤める服屋に入る。顔の良すぎる男は明治などまったく気にせず、ひたすら杏里に話し掛けている。

「ちょっと尋史ひろふみ、今仕事中だから」
「うんでも俺も困ってんだって」
「――杏里、どうした。大丈夫か?」
「オッサンどなた? 俺こいつのダチだから邪魔しないでくれる」
「……でも彼は迷惑してるだろ」

 男の言い種に杏里がぎょっとする。いくら明治が元ヤンでもオッサン呼ばわりされたくらいでボコったりはしない。カチンとは来たが取り敢えず正論で殴ることにした。杏里も正直に否定の意思を見せない。
 お世辞にも友好的には見えないふたりの男に囲まれ、商品を勧めているふうでもないため奥から出てきた店長らしきひげの男が心配げに杏里に一瞥投げている。このままここにいるのは営業妨害になりそうだった。彼が仕方ないというように強く嘆息して、明治と男に言う。

「もうすぐ休憩入るから、七緒さん悪いけどこないだのカフェにこいつ連れてってくれる?」
「了解」
「あれ、知り合い?」

 だったら早く言えよとばかりに男が相好を崩した。現金なものだ。
 杏里が叱られてはかわいそうなので言われた通りに男を連れて、以前舞洲含め三人で話をした店に入る。何でも好きなものを頼めと言うと男はブレンドとナポリタンを注文した。腹が減っているらしい。
 明治もブレンドを頼んで待つ間に最低限のコミュニケーションを取っておく。杏里のいないところではそう不用意に情報収集もできなかった。男に「俺は明治っていうんだけど、君は?」と尋ねる。

酒匂さこうっす。酒匂尋史。杏里の高校の同級生」
「ふうん……」

 背凭れに身体を預けたり、かと思えばテーブルに肘をついて頬杖したりと落ち着きがない。ヤニ切れの症状かとも思ったが酒匂から匂いはしなかった。指先の色もきれいでそんな感じはしない。ただそういう性質のようだ。
 具体的にあとどのくらいか知らないが初対面の相手と話したいことも特段無い。営業トークなら続けようとするが、プライベートなので明治も面倒くさくて観察に徹していた。そのうち注文の品がテーブルに届く。ごゆっくり、と言われてもあまり従いたくない。

「顔なんか付いてます?」

 丁寧に手を拭ってから、フォークにパスタを巻きつけて食べだした酒匂が、視線は皿の上に落としたままさらりと言う。ひとくち食べて黒コショウとタバスコを追加した。そういう麺なのかゆですぎか、若干太めに見える。俺が作ったほうが美味そうだわと明治は思う。

「さっきからよく見てるから」
「……申し訳ない。杏里の次くらいには綺麗な顔してるから」
「よく言われます」

 にっこりほほ笑むとキラキラ輝くようだった。眩しい。杏里はどちらかと言うと無自覚なほうだが酒匂はしっかり自覚して、しかも褒められるのが好きらしい。「もっと見ていいすよ」とわざとらしく舌なめずりして秋波を送ってくる。

「でも俺クズだから全然モテなかったっすね。杏里は爆モテでしたけど、NTRの被害者だから同情もあったのかな」
「え」
「俺が何回も横取りしたから。――あんたみたいな、杏里の恋人をね」
「……っ」

 テーブルの下で窮屈に曲げていた膝に、つつっと辿られる感触が走る。酒匂が爪先で悪戯しているようだ。白い手はふたつとも食事に忙しい。下睫毛までびっしりと縁取られて中性的にも映る双眸は濡れたように黒くて、あおい白目まで澄んで美しかった。
 なるほどそれなら勘違いすることもない。狙いはこの上なく明確だ。内腿のきわどいところまで厚かましくも忍び込んできた行儀の悪い足をつかまえると、明治は特別に本性をちょっとだけ晒してみせる。

「杏里にちょっかい出しやがったらぶっ殺すぞクソガキ」
「!」

 どすのきいた低音に酒匂が肩を跳ねさせ、泡を食って足を引っ込めたところでちょうど杏里がやって来た。入り口で接客を受ける。まえも思ったがあの店員は彼と対面すると耳まであかくなって、気があるのではないだろうか。色男は何も知らずにこちらへ手を振る。

「七緒さん、時間いいの?」
「ああ。たまたま空きができたから覗き見に来たんだ。杏里も何か食うか?」
「……うあ~、ホットサンド食いてえ」

 時計の盤面とにらめっこする間に明治が注文した。もし食べ切れなければ自分が引き受ける。一緒にカフェオレを頼んでメニューを返し明治の隣に杏里も座った。酒匂を見て、さり気なく指で口端を拭ってやる。長男なので習い性になっているらしく、明治もよくやられるのだが見る側にまわると面白くない。
 むっつりと唇を引き結んでいると酒匂がニヤニヤ見てきた。

「今どのくらい?」
「何が」

 来たばかりの杏里は首を傾げたが、明治には通じたので「二ヶ月くらい」と答える。本当はそのまえにもう半年あるが、正確性を重視すればそのくらいだ。

「じゃあ一番楽しい時だ。もうヤッた?」
「……え、七緒さん何話したの!?」
「彼氏ってばれただけ」
 
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