セカンドクライ

ゆれ

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「急に休みとか無理に決まってんだろ。そりゃ七緒に比べれば遊びみてえな仕事だけど」
「ちょっと、待ってくれ、そんなこと言ってないだろ?」

 タブレットの電源を落とし、テーブルの上に置く。どうも今夜はかみ合ってない気がする。何か杏里の機嫌を損ねるような行為でもしたのだろうか。心当たりは情けないことにまるでない。

「ほんとにいい所だから、お前も一緒に行けたら楽しいなって思っただけ。怒らせるつもりじゃなかった。それにどんな仕事だって誰かにとっちゃ必要不可欠なんだから、そんな言い方するなよ」
「……ごめん」

 杏里は高校を卒業してすぐに働きだしたと言っていた。「最初はフリーターだったけど」と謙遜するがそれでも、利用できるものはフルに利用して大学へ進学しその後もすこしだけ寄り道していた明治に比べればうんと堅実だと思う。親御さんの育て方がいいんだなとただただ好ましい。
 そういうわけで明日の午後にでも現地へ行って終わるまでここへは帰れない。言いづらそうに明治が言うと杏里は「わかった」と頷いてそっとほほ笑んだ。たまらなくなって抱き寄せる。大人らしくああ答えたが本当は連れていきたかった。どうして杏里はうちの社員じゃないんだろう。職場でも一緒だったらどんなに楽しいか、余計な心配だってしなくて済むのに。

 以前から気になっていたことがある。明治がある程度まとまった期間留守にすると、どうも杏里はこのマンションにいないようなのだ。気が付いたのは先月くらいだろうか。明日帰ると連絡して戻り、ちゃんと出迎えてはくれたのだがキッチンに使った形跡がなかった。冷蔵庫も買ったばかりの物で占められている。極め付きはゴミだ。やけにすくなくて、回収直後なのかと曜日を確認したがそうじゃなかった。
 そのうち自ら事情を話してくれるだろうと待ってみているのだが、その気配がいつまで経っても感じられない。明治が何も気にしないと思ったら大間違いだ。逆に良からぬことを妄想しすぎて、ボールペンを圧し折ってしまったことすらあったくらいで。

(許せねえ)

 もし、他に男でもつくっていたら。すうっと深く呼吸を取ると杏里の匂いがして心は安らぐのに体がざわめく。彼の肩に頬をつけたまま明治は静かにくちを開いた。あまり硬質になりすぎず、あくまで冗談めかして。

「今度はどこの別宅に泊まるんだ?」
「え……」

 暮らしを共にしだしたばかりの頃はいくらか戸惑っていたようだったが、すぐに慣れてくれた筈なのだ。楽しいと本人のくちから聞いたことだってある。それなのに明治がいない時は、杏里はどこへ身を寄せているのだろう。

「別宅って何?」
「俺が訊いてるんだけどな。だって杏里、俺が留守の時ここにいないだろ」
「……気づいてたんだ」

 認められると改めてショックだった。だがしらを切られるよりはうんと誠実な態度に一旦くちを引き結ぶ。杏里も譲歩してくれているのだから、こちらもいくらかはするべきだ。互いに大人なのだし、何か事情がある筈だから。
 懸命にそうやって自分を励ます明治に杏里は「男友達だよ」と答える。自分達は互いに同性も肉欲の対象にするとわかっているのにこれは明らかに彼のミスだ。簡潔に『友達』と言われたほうがまだ余白があるぶん引き下がれたのに。引っ掛かって、追及してしまう。

「まさかとは思うが浮気じゃないよな」
「ただの友達だって」
 むっとして返されるが明治だって面白くなかった。どうしてそれを先に言わなかったのか。こちらが年上だからなのか、杏里は何をしても自由なように勘違いしているのではと感じる時がたまにある。今そう思いつくのもまた苛立ちを生む一方だ。

「でも男なんだよな? 酔ったりものの弾みでどうなるかわからなくないか」

 それだけお前は魅力的なのだと言外に含ませた意味は今日の杏里には届かなかったらしい。柳眉を蹴立てると「友達だからありえねえってば!」と語調を荒げる。
 知り合ったその夜だったように思う。杏里が、自分がバイになった切っ掛けを教えてくれたが、それは友達に泣いて乞われて身体を許したというものではなかったか。なのに『友達だからありえない』とおなじくちが明治に言う。どういう事だろう。矛盾しているのに杏里は気がまわらないようだ。

 仄暗い気持ちが、ぽたっと明治の胸に一点の汚れみたいに落ちてゆっくりと広がる。乾いた唇のあわいから、そうか、と自分でも驚くほど低い声が出る。

「まあ俺も学生時代に舞洲とうっかりヤッたことあるけど」
「……は? ……何だよそれ、浮気はそっちのほうじゃねえか!!!」

 ドン、と痛みとおなじくして強い衝撃に襲われ、無造作に突き飛ばされたのだと知る。青褪めた杏里がかすかに震えているのを見て明治はすっかり我に返った。しくじった。端整な双眸は大きく見開かれ、信じられないというように疑念の色を湛えてこちらを凝視している。反射的に腕を取ろうと伸ばした手もぱちんと叩き落とされてしまった。
 これで「そっちだってお友達とヤッてるだろ」などと言おうものならとんでもないことになるとは混乱していてもさすがに判別がつく。無理やり呑み込んで、「杏里、落ち着け」と微妙に的を射ないことを口走った。自分だってろくに落ち着いてないのにもかかわらず。
 
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