25 / 27
それから
02
しおりを挟む入谷は、どうだろう。幻滅したりつらくなったりしてはいないだろうか。たまに実家からの電話に面倒くさそうに応じて、今のところ大丈夫というような意味合いの返答しかしてなかったような気はするけれど。
大人が心に思っていることをいちいち全部くちにするとはまったく信じてない。嫌なところのひとつやふたつくらいは、そろそろ目星がついているのではないだろうか。
唯織は特になかった。何もない。入谷は使ったものはすぐに片付ける育ちの良さなので、部屋が散らかる筈もなく、効率を考えるのが好きなのか身にしみついているのか、ゴミ捨ても風呂掃除も『いつも自分がさせられている』と文句をしたりしない。ただただ自分のほうが時間的にちょうどいいの一点で進んで終わらせてしまうのだ。
家族以外の異性と暮らすのは初めてだとこぼしていたけれど、この様子なら誰とでもうまくやっていけそうだ。わからないことは即調べて解消し、一度やれば憶えて忘れない。入谷はうっかりミスなどしたこともなければやり方さえピンとこないかもしれなかった。
だからと言って人間味が薄いわけでもない。おじいちゃん先生にはわりと振り回されたりもするようで、「ああなれたら楽しそうだわ」と当てこすりとも本音ともつかないことを呟いていたのが可笑しかった。
まったく、考え事の種は尽きない。そうしているうちにゆらゆらと夢の淵へ意識は沈んで、唯織は今日もかれの帰りを待たずに眠ってしまうのだった。遠くで扉の開く音がする。いや、空耳かもしれない。
担当の家族連れに朝食を提供し、この後ちょっと観光するのにいい場所はないかと尋ねられたので、終わるまでの間にフロントで調べていた。おおまかなことは知っていても、何時から入れるか、移動手段や所要時間、土産物の有無などまできちんと答えなければならない。
「なんかもっと世界遺産とか国宝とかあればいいのに」
見栄えのするものがなくて唯織が申し訳ない気持ちになるのは筋違いなのだが、こういう仕事をしていると思わずにいられない。しかし超有名観光地もそれはそれで苦労があるに違いないので、ないものねだりというやつ。
きっとそういう地域では海外からも観光客が押し寄せて、外国語のひとつも操れなければろくに仕事にならないかもしれない。むしろこのレベルでも、習得していて損はないくらいだ。まだ唯織はご案内したことがないけれど、そういう機会はゼロとも言い切れないだろう。
「あーわかるわかる」
「ですよね~」
カウンターの中にいたおじさん番頭も仕様の無さそうな表情で同意してくれる。
「予約のときとか『何か有名なところありますか?』って先に訊かれると99パーなしだなと思うわ」
「それきついですね……」
「もうある程度は諦めが必要だね。混雑を避けてとかでも、有り難いもんだよ」
都心やそれに近い場所で大型イベントがあると、こんなささやかな旅館でも満室になる。野外フェスなどは騒音の問題もあり、わりと地方都市で催されることも多いので、特に目玉のない地域でも繁忙期になれるのだ。あと年末年始と盆の時期は逆に田舎であるゆえに客が来たりする。
唯織自身は、都会で数年暮らしていたけれど、どこかへ旅に出たりなどの記憶はないように思った。他にもたくさん刺激があり、日帰りでもじゅうぶんいろんな観光地へ行ける。予定を擦り合わせる手間も省けるし、体力に然程自信がないためあまり遠方でも疲れてしまう。
だが今そんな愚痴を吐いても仕方ない。なけなしの情報をかき集めて持っていき、食事の片付けを済ませるとすこし早いが間もなく出発するというので玄関までお見送りに出た。
土産物はこれと言って名産も実はないのだけれど、毎度近くの商店街を見ていってくださいとは勧める。昔ながらの店には同級生も多く、かれらにもすこしでも商売の機会があってほしい。味噌屋の甘酒などは美味しいと評判だ。
「お気をつけていってらっしゃいませ」
「またのお越しをお待ちしております」
姉の栞奈と並んで深々と頭を下げ、子ども達には手を振る。ここから電車で一時間だと言っていたので小旅行なのだろうが、楽しそうで何よりだった。好天にも恵まれて、スムーズに帰途に就けるだろう。
すこし雨が降ったり気温が上下するだけでいくつも仕事が増える職業なのだ。こんな些細なことでも有り難かった。
今日はこの一組だけの担当だったので清掃作業にまわる。ラウンジを歩き回り、ゴミや忘れ物がないか確認したり、テーブルに埃がたまってないかチェックする。すると隅に置かれた観葉植物の鉢の裏に何か落ちているのが見えて、唯織がしゃがみ込んだその時だ。
「どうも本当らしいよ、女将のあれ」
くだんの反りの合わない同僚が、他の仲居と話しながら戻ってきた。恐らく庭の掃除をしてきたのだろう。声が大きいのですぐにわかる。
あれって何だよ。知りたいけれどここで姿を見られてしまうと、仮にも身内の前ではくちを噤むと思われた。シュロチクの陰に隠れたまま、聴覚だけを研ぎ澄ます。核心を聞かないまま去られるのだけは勘弁してほしかった。
そうなんだあとのんびり答えた相手はいかにも関心が薄そうだ。名前を埜田といい、唯織にも親切に接してくれる。みんなに平等に優しいため、職場そのものに興味がないのだろう。何かと攻撃的な矢間根とは大違い。
唯織もわりとそうなのだが、職場の同僚にいちいち好きや嫌いの感情を持つほど思い入れがなく、それが普通と捉えてきたため、悪意を向けられるのがほんとうに不思議だった。仕事で迷惑をかけたりかけられたりはお互い様なのだし、それこそ入谷に出会ってひと目惚れしたのだって自分的には空前絶後のイレギュラーだ。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる