最終的には球体になる

ゆれ

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入谷さんの初恋

09

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「やっぱ、チコのこと気になるか」
「それもなくはないんですけど……入谷さん、彼氏としてはたぶん30点くらいですよ」
「!!」

 たしかに底抜けに優しいとは冗談でも言えない。定時の間は仕事が優先するし、わりと趣味も多い。唯織と予定が合わなければ他にすることもないので、やはりそこに時間を費やすだろう。過剰な連絡もしないたちだ。
 プレゼントも初めのうちはいろいろ会うたびに渡していたけれど、ねだられもしなければいっそ申し訳なさそうにするのが可哀想で、いつしか消えものだけになった。一緒にいることが一番嬉しいし楽しいし幸せなのは入谷だっておなじで、だから、彼女にそこまで不満があるとすら気づいてなかった。

 もうそれが既に低得点の理由なのかもしれない。自分にすら見放されている。擁護できない。

「でもわたしも似たようなもんですよね……だから、なんで急に言い出したのかよくわかんなくて」
「なるほど……」

 可憐らしいとか、愛しいとか、いろいろ感じてもそれが伝わらなければ感じてないのと一緒になる。自分ばかりで悔しいなどと幼稚なことを考えている場合じゃなかった。全然なかったのだ。
 入谷は別に30点とは思ってないし、むしろうまくいっていると満足していたことはさすがに告げておく。それでもまだ唯織は不思議そうにしていた。あの姉どもに引いたのではないか。とも念のため確認してみるが、こちらはマイルドな否定だった。

 そうなると、今夜の出来事が、やっぱり。普通そうだよと過去を振り返ってひしひし実感する。とりあえず公共の場で反省会をするのも邪魔だろうか。どこか店を探すべきかと思うが唯織は時間を気にしている。帰るのは明日だった筈だ。意地悪な衝動がむくむくと頭を擡げてくる。

「ちゃんと言ったし、チコもわかってくれてるよ。今までずっと俺を頼ってきてたのだって身内みたいなもんだから」
「それは違うと思います」
 やけに断定的な口調は同性だからこそ通ずる何かがあるゆえなのかもしれなかった。反論はせずに、そうだったとしても、自分は身内と思っていると強調した。どう頑張ってもそこには存在しないものを勝手に見いだされても困るのだ。

「でも、あの状況で行かない入谷さんは入谷さんじゃないし、助けに行く人でよかったなあって、思ったんですけど、……わたしが具合悪くても入谷さんはいないし」
「は? そんなことあったのか? 聞いてねえけど」
「違います違います、たとえ話です」

 めんどくさいですよね、と唯織はほほ笑む。入谷は同意しなかった。むしろ、言われなければわからないことの多さに改めて途方に暮れていた。相手だけじゃなく自分も含めてだ。
 電車でどのくらいであろうと離れていて関係を築くのはこんなにも難しい。浮気がどうこうよりも、いま話したような感性や思考の些細なずれのほうが余程恐ろしい。

「唯織」
「はい」
「俺やっぱ一緒に暮らしたい」
「……えー」

 それもかよと詰め寄れば「物凄いずぼらだから恥ずかしい」などと言う。いまさら。入谷だってそこまできっちりしているわけではないが、二人ともちゃんとしてないよりは成り立つだろうと返した。「丸め込まないでください~」なかなか鋭い。

「欲求不満、とかじゃ、ないですよね」
「いやとりあえず体より心の距離を縮めたいから」
「それは離れててもできるくないですか?」
「できねえよ」

 できていたら30点彼氏じゃなかった筈なのだ。徐に唯織をたぐり寄せ、抱きしめて胸に閉じ込める。いくらか人目を感じたがかまわなかった。つむじを見おろしながらやわらかく髪を撫でる。隣に寝るときは彼女のほうが、入谷にしてくれる。
 現実的には家庭の事情が双方にあるので、明日にでもという回答はさすがに想定しなかったけれど。「前向きに検討します」とは思いの外かたくて、失笑してしまった。油断した身体に容赦なく効く。

「じゃあせめて婚約指輪は買いにいかせてくれ」
「うっ……」
「この通り」
「だ、大丈夫です? 引き返せなくなりますよ……」
「だからじゃないの??」

 気持ちと物は別と考えるが、ときに形にする手段のひとつではある。贈り物をされることに関するトラウマでもあるのではないかと疑いたくなる反応に、いつか掘り下げるとこっそりマークを付けつつ入谷はまた新しく彼女に思う。

「あーほんと唯織みたいな女、見たことねえわ」
「あの、それ、どういう」
「好きだってこと」

 そういえば、この子がとんでもないことを言ってきたのも駅だったな。
 何か奇妙な縁があるのかもしれない。そんなことを思って知らずとろけるような笑みを湛えた入谷に見蕩れ、唯織はしばらく、かれに急かされるまで返事を忘れていた。





     ゜+*。.*。‥+゜





 そろそろ起きねえとなあ、と思ってもう何分経ったのか。

 休みの日は意識的にそうしているのだが時計も携帯も、時間のわかるものは手近なところに置いてなくて腕をシーツの上へ滑らせても、自分以外のぬくもりはやはりなくてようやく意識がはっきりした。ふっと吐いた息がしろい。
 
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