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しおりを挟む「あ、はい」
らしくない、有無を言わさぬ命令口調に新入社員の如く怯えた返事をしてしまう。
ドア前に追いやられ、長身に覆いかぶさられるように正面に立たれる。こわい顔に、恋の魔法をかけられている唯織をもってしてもすこし怯んでしまう。舌打ちでも聞こえてきそうないきなりの不機嫌。先程までより明らか一段階ギアの上がった、凄みを感じる剣幕に若干ひいているうちに最寄駅に着いたようだった。
降りるとき、ちらっと背後を振り返って一瞥くれていた。知り合いでもいたのかしらと思いながら、唯織も、知り合いではないけれど目を惹く美人が、混み合う電車の中からホームに降りた入谷を熱くみつめていたのに気づいてしまう。
気づいたのに気づいてかきまずげに彼女は後ろ頭になった。事情に明るくない者には自分は、愛しい恋人にでも見えるんだろうか。嬉しい誤解にふっと浮上してすぐに、それ以上深く沈み込む。俯くとおおぶりの紙袋の中の花束が目に入った。
(もう)
顔を見ることさえ、できなくなるのだ。おなじ街にいることも。遠くで想いを馳せるしか、だから今夜、とっておきの思い出が欲しい。
感傷に毒されてすこし涙を浮かべていた唯織は気を引き締め直した。これは戦いなのだ。好きどころか何とも思われてない相手に、なんとか自分を売り込まなければ。営業のエースでもきっと難しいに違いない。
「それで、何なんですか」
一体どこまでついてくるんですか、と聞こえた。ですよね~と思いつつ人波を縫って歩いていく。時間稼ぎもここが潮だと諦める。
「入谷さん、わたし、会社辞めるんです」
「知ってます」
「知ってたんですか?」
なんでだろう。唯織はたかがいち女子社員で勤続ウン十年というベテランでもない。送別会はごくごく内輪で、課内に充分おさまる程度だった。おなじ総務部だろうと経理は別のシマだ。知り合いも同期も特にいない、女子社員くらいは給湯室や掃除などで一緒になることもあったので挨拶しておいたけれど。
そうか、給料の計算だきっと。それ以外の理由など存在しようがない。あまりに優秀すぎて引く手あまたの入谷とは、腰かけ視を結局払拭することなく社を去る自分なんて大違いだと唯織は自嘲の笑みをする。期待する隙すらなかった。
だけど、これが最後の迷惑。
「どうも田舎に帰って結婚するらしいんですけど」
「……はあ」
「お見合いで、全然知らないひととです」
「まあ、普通そうですかね」
「だからわたし、思い出が欲しいんです」
これから、たぶんすこしは長く生きていく。そのつもりだ。その上で励みになるような、ときどき思い出して、甘酸っぱい気持ちになるような、或いは胸を抉るような、そんな時間が短くてもいいから欲しかった。
「わたしみたいのが嫌いなタイプだってのは知ってます。でも、いちどでいいんで、わたしとセックスしてくれませんか」
「――」
目を丸くする入谷なんて初めて見た。
しかしその感動はすぐにかき消え、人目を気にして、さらに迷惑そうな色もにじませてため息をするのに唯織の心が、ぷしゅうと針を埋められた風船みたいに萎んだ。やっぱり。ここで「いいよ」なんて応えてくれるようなチャラい男だったら最初から、好きになってはいない。
この際どうでも良い。好きで抱かれようなんて思ってない、嫌々上等だ、唯織さえよければそれで良いのだ。自分勝手は重々承知している。どうせ、もともと嫌われている。
「帰ってください。お疲れさまでした、田舎に戻ってもお元気で。さようなら」
「待ってください!」
「無理です。というか無茶言わないでください」
「そ……んなこと、わかってます」
勢いで掴んだ入谷のコートを、ぎゅっとにぎりこんだ。尋常じゃない。頭がおかしい。警察に突き出されたって、文句は言えないのかもしれない、でも譲れないのだ。こちらだって。
「お願いです」
「無理です」
「必要なものはわたし全部持ってます。入谷さんは何もしなくていいです。なんだったらわたしが勝手にやるんで」
「そういう問題じゃないです」
「……お願いします、なんでもしますから」
どんなふうだってかまわない。
入谷が自分だけ満足するようでもかまわない、道具だと思ってくれたっていい、目を塞いでもくちを塞いでも、声だってあげないから、言い募るごとにかれの表情は険しくなって、逆効果であることに必死な唯織は気が付いていなかった。想いの丈を、懸命につたえる。
それでは足りずに、終にがばっと地べたに這いつくばって土下座した。
「ちょ、」
「この通りです」
ざわざわと、人通りの多い駅前全体がどよめいて何事かと二人を見守っている。光の速さでつよく腕をひっぱり上げられ、殆ど掬われるようにして立たされ、ひきずられた。ブーツの踵がガリガリ路面を掻いている。
どうせ高い物でもない、唯織は、頓着せずなすがままになった。
「信ッじらんね……」
「あ、あの、入谷さん」
「女が土下座とかしてんじゃねえよ」
「どうしても欲しいものがあるのに、男も女も関係ないでしょう」
「……」
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