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しおりを挟む寒さに耐えかねたように、空が白い欠けらを落としだした。
ひとたび始まれば後はもう止め処なく、景色をまだらに染め上げる。積もるほどではなかったが冷えを視覚から増幅させる効果は充分ありそうだ。すこし早足になる俺を「待ってくださいよう」の間の抜けた声が追いかける。
聞くだけで力が脱けそうだ。というかなんで、さっきからやけに近くを歩いてくるのか。腕がずっとさわってんのが微妙に気持ちが悪い。わりとあからさまな感じで離れてみても、気にせずまた詰めてきてめげなくてまいる。
この調子だと直球で言っても無駄なんだろうな、と思ってもう諦めていると見慣れた商店街の赤と白のアーケードが見えてきた。
「さすがにもうあんま人いないっすね」
俺もこいつも家はこの向こうなので、突っ切ることにして、駅前の洒落たイルミネーションのようにはいかなくともそれなりに、金銀赤に鮮やかに飾り立てられた通りをぶらぶら歩いた。
住んではないがガキの頃からおつかいやら友達を訪ねたりやらで出入りはしている。見知った顔に出会えば「寒いねえ」「お母さんによろしくねえ」と声を掛けられた。会釈でやり過ごしてもうすこしで、秘かな目的地へとたどり着く。
皆いろいろ買い込んで既にあたたかな家の中で、大切な人達とほほ笑み合っている時間にもかかわらず、店じまいするところもちらほら見受けられるにもかかわらず、煌々と明かりの灯った寒い店先で光沢のある真っ赤な布地に白いファーの、定番の。
「クリスマスケーキいかがですかァ」
にじみ出るやる気のなさが災いしてか見向きもせず客は通過していく。細い横顔は、それを恨みに思うでもなく淡々と見送り、あかく染まる指先にはあっと息を吐きかけた。
「クリスマ……おやおやこいつァ、暇人が来たぜ」
「南風川くんこんばんはぁ」
「なんだよ男二人? 女は?」
そういう意図の会じゃないというのに下品に言って芳弥はひひひと笑う。近くで見るとサンタ服はすこし年季が入っている、というか大胆な膝上丈のワンピースだった。
ひらひらと裾の広がったスカートの下にはきちんと細身のデニムを穿いていてほっとする。でも足元は黒いブーツで、帽子で髪形もよくわからないので遠目には、喋るまでは、女子に見えなくもないかもしれなかった。
「……なんでスカート」
「前は女子アルバイト雇ってたから」
それをしてない今は、暗に景気が悪いのだと言っているようで、失言を後悔した。
芳弥の家は町のケーキ屋で、俺達が小学生くらいまではケーキと言えば皆ここで買っていったものだったのだが、店を切り盛りしていたおじさんとおばさんが不幸にも事故で亡くなり、いちど店をたたんでいた間に駅ビルに有名スイーツの店が入り、さらに車ですこし行ったところに大型ショッピングモールも出来て商店街自体の集客力が落ちたため、すっかり寂しくなってしまった。
今は都心に出て有名店で修業を積んでいた芳弥の姉貴が帰ってきて店を継ぎ、これがなかなか味がいいと評判で、すこしずつ客は戻ってきているようなのだが、取り寄せという新たなマーケットも開かれているので今日も、こんな時間まで声を張り上げているらしい。
うちは昔からの付き合いがあるので毎年必ずひとつ、一番に予約を入れるのだがホールケーキというものはそう何個も買わないのがネックだ。核家族ばかりのこのご時世、ショートケーキのほうが、いろんな味も楽しめて手軽なのかもしれなかった。
「パーチー楽しかったかい」
ただでさえかすかな表情が寒さで頬の強張っている所為か殆ど見られない。青白い顔色はもとからだが、鼻先だけあからんで、一体どのくらいここに立っているのか心配になった。
とはいえその間、いくら気に掛けていようと、身体はこのあたりじゃ知らない者はいない富裕層である伊東家の盛大すぎるパーティーに出ていたわけだが。
「すごかったですよ! ほんっとあの人お坊ちゃんなんですね~オレらとは住む世界が違うって感じ」
まったく何にも気にしないで安西がはきはきと答える。こいつは中学からの付き合いなので未だに丁寧口調が抜けてない。芳弥も「へー」なんて相槌を打つ。頼むからこれ以上、余計なことはいうなよと念を送っていたのだが、どうやら効果はさっぱりなかったらしい。
「南風川くんもくればよかったのに」
と、言ってしまった。
別に芳弥だけ誘われなかったわけじゃない。伊東はお世辞にもいい奴とは言い難いがそこまでの性悪でもない、ちゃんと芳弥にも招待状を送っていたのだが定型句の文言で初めから行けないと断っていた。
俺達もこれまでは参加してなかった。共通の幼馴染みである真北の家に集まるのが習慣になっていたからだ(芳弥はそれすらも不参加だったので伊東に色よい返事をするわけがなかった)。でも高3の今年はさすがに受験的な意味でおばさんに開催を阻まれ、外出も禁じられて、それだったら毎年断っていた伊東のほうへ参加してあげたらいいと言われたのだった。
伊東は第五志望までA判定でまったく危なげなく、俺もまあ第1志望はA判定なのでおふくろにはOKをもらった。安西は、終わったら頑張るからと説き伏せたらしい。豪勢であることはクラスメイトの噂などで聞いていたので、どんなもんか多少興味があったのも否めない。で、行ってみたというわけだが、芳弥は相変わらず何の気持ちもこもってない声で「むりむり」と平らに言う。
「大体オレそんな服持ってねーし」
指摘を受け、なんとなく見おろす。肩が凝ってしょうがないのだがそういう決まりだったので、俺達はコートの下にスーツを着ていた。
俺は何かの機会でどうせ着るだろうと、前に伯父さんにもらったものを、イタリア製の良いものなのでとついこないだ仕立て直したのが幸いあった。背が伸びきるまで待っていたらしい。悔しいのでもっと伸びてやる。安西に至ってはこんな地味面でピアノを習っているので、コンクールで着るものを出してきたと言っていた。
「っていうか商売の邪魔なんで、とっとと帰って」
「ひどっ」
「うるせーこちとら売りきるまで一日が終わんねんだよ」
サンタガールの擬態をしたサンタが、悪人面で、客を足蹴にしている。
ちいさい子どものうろつく時間帯でなくてほんとうによかった。夢が壊れる。今の小学生がどのくらいサンタクローズの存在を信じているのか知らないが、つらい現実に立ち向かうのはせめてもうすこし育ってからでもかまわない筈だ。
客が遠巻きなのは俺達の所為では絶対ない気がする。しかし邪魔をしているのは事実なので、「じゃあまたな」「頑張ってくださいね」と投げて帰路に戻る。芳弥は最後まで仏頂面で「メリークリスマスイブ」と正解なのか何なのかよくわからん挨拶を呟いていた。
早々に売り切れたローストチキンのからっぽの売り場を横目に見て、最後の唐揚げにもかるい行列が出来ている。じきにあの店は閉まるだろう。パン屋はとっくだし花屋の前には、帰宅途中らしき勤め人が数人足を止めている。
「高3の冬休みなんてあってなきが如しですよねえ」
「夏もなかったろ」
「あーオレも木賊くんみたく計画性あったらなぁ」
音大へ進むほどの才能はどうやらなかったらしく、普通の大学を受験すると聞いた。でもピアノは好きなので毎日さわることは欠かさず、こいつもこんな面して結構努力している。
予備校にいる間しか机に向かってない俺のどこに計画性とやらがあるのか、教えてほしいと思ったがもう言わない。では家で何をしているかというと別に他に熱中している趣味があるわけでも、うつつを抜かしている女子がいるわけでもなく、ただベッドに転がって、十年来の男の幼馴染みのことを考えているだけ。
(あいつは)
きっと卒業しても家を手伝うんだろう。万年学年最下位を争う馬鹿なので受験の可能性はない。金がかかると高校に進むのすら渋っていたくらいだ。この街にいる。むしろ、出ていくのは俺のほう。
振り返る。赤いサンタ帽がうつむいている。目の前に並んだ三つのケーキ箱をみつめているのか、指先を口許に押しあてて、たまに通り過ぎる客がもうケーキらしき箱の入った袋をさげているのを見て、またうつむく。
吐く息が白い。
「……悪い」
「え?」
「ここで。またな!」
「ちょ、木賊くん!?」
女子じゃあるまいし、送り届ける義務は俺にない。そもそもここから安西家はうちより近いのだ。
駆け寄ってきた影にぱっと顔を上げて、しかしそれが俺だとわかったときのこの落胆ぶりときたら。いっそ清々しかった。ざまをみろと指差して笑いたくなったが、喧嘩をしたくて戻ってきたわけではない。
「ひとつくれ」
「はあ? 駿矢んちはもうあんだろ。太るぜ」
「いーから」
「R-18なんで。高校生お断りでーす」
どうしたことか今はわらっていた。楽しげに、口角は持ち上がって機嫌のいいのがビシビシつたわってくる。そんなに俺が憎いってか。別にいいけど。楽しいならまあ、何より。
本気で売ってくれないらしく、どんな御託を並べても頼み込んでも、芳弥は頑として頷かなかった。R-18とか言ったくせしまいには「サンタは子どもの希望を叶えるものなんだよ。とう立ちすぎィ」と吐いて煙に巻いた。どっちなんだよ。
俺が立ち止まっていても支障のないほど人通りはすくないしケーキを求める客もいない。三つの箱は、明日になってもここにある気がした。ふと思いついて尋ねてみる。
「……因みにこれ残ったらどうなんの。お前食うの?」
「残るわけないからわからん」
曰く、飲み会で遅くなったオッサンが家族というか嫁の機嫌取りに買っていくことが毎年何人かあるとか。そんな遅くまでこんな寒い通りに立ち尽くしていたとは、俺は、今年まで、今日まで知らなかった。知らずに暖かな部屋で、あったかいベッドで、すやすやと眠り込んでいたのだ。
俺の頭の中などお見通しですという面でサンタは目を伏せる。
「駿矢、オレは、かわいそうなんかじゃないよ」
「……え」
「おまえにどう見えてようが世間的にどうだろうが、オレはただ自分の人生を精一杯生きてるだけだから」
「――」
言い返せないことは、つまり図星を指されたという証明に他ならなくて。
なのに「お気を付けて」と俺に掛けられた声はどこまでも優しかった。優しすぎて、かなしくなるくらい。
「完敗だったな……」
食欲は伊東んちで充分に満たしたので風呂に入って、ようやく身体は窮屈さから解放されたが心は重く鬱したままだった。
薄いカーテンをめくって二重窓越しに表を見おろす。息がちょっと当たるだけで内窓なのにまるく曇って、これなら外は、一体どんな寒さだろうと思った。もうすぐ午前零時になろうとしている。さすがにもう売れて、あいつが夢の中にいてくれたらと心から願う。
俺の眠気は、どこかへ吹き飛ばされて戻ってきそうにないけれど。
「……刺さる」
最低だ。やっぱりぼろぼろでもなんでも、反論すればよかった。芳弥に口で勝てないのなんて昔からだ。いまさら、無様に黙り込んですごすご帰ってきた自分が殺してやりたいくらい憎かった。スマホを手に取る。が、連絡先を呼び出すだけで何もできないまま放り出す、を無益に繰り返しただけだった。
悪い子のところには、サンタクローズは来てくれない。誰でも知っている。年の終わりにこんなことして、心グラグラで、明けての受験戦争を俺は無事乗り切れるんだろうか。せっかく眠くないなら勉強でもすればいいのだが、罰なのか何なのかとても手につきそうにない。
結局ベッドに転がり天井を見あげるだけ。いつもならじきに眠気が降りてきて意識を手放すのだが、今日はさっきの芳弥の顔と声が、リフレインしては消えていく。きりきり胸を締め付ける。
ごめんと謝るのは、違う。かわいそうなんて思ってない。と、言い切れるんだろうか。よくわからない。大変だなとは思った。でもそれすら、聞かされるほうには無神経な言葉なのに変わりないのかもしれない。
そうなのかもしれない。
「……あー」
駄目だ。
がばっと起き上がったらもう心を無にして着替えた。仕方ない、こんなときは身体だけでも疲れさせてなんとか眠りへ導いてみよう。薄いがあたたかい服を重ねて最後にエアコンを切った。
夏に部活を引退してからは勉強に専念したので割く時間的には格段に減ったが、気分転換にこれまでも早朝や深夜に走っていた。近所にわりと大きな川があり、土手があって、そこを適当に往復して帰る。風邪を引いては元も子もないのですこしだけ、のつもりは実際外に出てますます強くなった。寒い。
玄関の鍵を閉め、手袋をはめると、俺はゆっくりと地面を踏みしだいて走りだした。
空気まできんと冷やされて頬や髪など出ているところはすぐにおなじ温度になった。重ね着の肩や胸も、内側にはあまり感じないが表面はやはりつめたかった。真夜中だけあって住宅の明かりは玄関ぐらいだが街灯もあるし、コンビニは勿論開いているので、足元や前が見えずに怪我をする心配はなさそうだ。
不思議なもので、家の中の寒さは耐えがたいというかそもそも耐えようという気がないが、外に出ている時点で無意識に諦めているのか思ったより気にならない。動いているのもあるが、澄んだ空気や意外にみるほどある星空が紛らしてくれている。
「やだもー」
「マジだって」
身体の右側と左側をぴったりとくっつけた男女が、前というよりは横というか斜め前に歩きながら、あまったるい声をあげている。酒が入っているのかやたら大声で一気にそこだけ空気が淀んでいくような気がした。「あ」と女が短く発する。コツコツいう足音が、なんだか近づいてくるように思えたので俺はスピードを増して駆け抜けた。
一瞬しか顔は見なかったが知り合いでもなんでもなかった、筈だ。そっからは無心で足を動かし続けて土手に辿り着く。黒い水面に向こう岸やかすかな星の明かりが映り込んでいる景色はそうロマンチックでもないのか、まあ如何せん寒いからだろうが先程の男女のようなのはさすがにいない。
犬を散歩させる人もホームレスと呼ばれる人々も、子どもも、影すら見えない。時折雪みたいのがはらはら舞っては消えていく。息もしろく濁って、一緒に吹き飛ばされた。
「……さみ」
言うほど感じてはなかった。感覚自体が麻痺しているからだろう、ネックウォーマーに口をうずめる。立ち止まると身体が内側の深いところから発熱しだしているのがよくわかった。耳が熱い。
せっかくの体温をただ逃がしてしまうのは惜しいので、ふたたび走り始める。息が上がると止まって空を仰いで、クリスマスならそりに乗ったサンタでも飛んでそうだが生憎月が出てないので暗くて見えない。そのぶん星は輝く。
せめて信じている子どものもとには現れるといい。がらにもなくそんなことを思ってふと、舗道を一本挟んだ向こうにある公園に目が行った。通学路沿いにあるので昼間はそれこそ小学生の遊び場になるのだが、この時間は閑散としている。なのにブランコがひとつ埋まっていた。
そんなことぐらいじゃ足を止めない。普通は、でも、赤いつるつるした安っぽいサテンに白い偽物のファーの、しっぽの長い三角帽子は気になりすぎた。言わずもがな本物のサンタと思ったわけじゃない。
「何してんの?」
「……そっちこそ」
突然現れた俺にやっぱりだった、芳弥は、もとから丸い目をもっと丸くした。
驚きから醒めて我に返ったときにはもう遅かった。俺がすっかり、膝の上のクリスマスケーキの存在を認識しているのを覚って嘆息し、プラスチックのフォークを生クリームで飾られたやわらかな表面へ突き刺す。ひとくちにしては大きめにちぎり取って、むしゃっと食う。
さすがに服は普通のものを着ている。丈の長いダッフルコートにさっき見た細身のデニム、スニーカー。襟元はマフラーで詰めている。サンタ帽は頭が寒いから、という理由のようだ。安直な。
「こんな時間に外出てんなよ変質者いたらどーすんだ」
「……ケーキあげて逃げる」
さっきの今で、何を言えばいいのかと思っていたのに口は勝手にいつも通りに喋り出していた。芳弥もいつも通りに返してくる。
「てか駿矢だって人のこといえねーじゃん」
「いや……」
俺とお前じゃ危なさが違う、とは、さすがに言えない。中身はどうでもみてくれは、どう考えても芳弥はカモだ。たとえのしたとしても問題になるのは間違いないのだし。
隣に座ってはみたがあまりの窮屈さにすぐ立つ。ついでに芳弥の腕を曳いて、そうしたら抵抗に遭って「ちょっと、あれ」と言うのでぽつんと置き去りになっていたこぶりの水筒を持って、でかい山型の遊具にあるトンネルの中に入り込んだ。すこし狭いが吹きさらしのブランコよりは全然ましだった。
この季節は子どもも屋内で遊ぶことが多いのか、あまり使用の形跡がなく思ったよりきれいで、砂っぽい匂いはしなかった。
「おーあったけぇや」
比較の問題らしく横方向は無理だが前後方向だけでも風がないとだいぶ違う。一人で、ふっと笑うと芳弥はまたケーキをもいでくちのなかに放り込んだ。
かすかだが甘い匂いが、鼻先をくすぐる。
「何か言いてェことあんだろ」
「……あ?」
直径18センチくらいだろうか。そもそもは家族で切り分けたりして食べるものだからわりと大きい。すくなくても一人食いするぶんには。家の冷蔵庫にはまだおなじものが、俺のノルマぶん残っている。
だから食い意地が張っていたわけじゃない。
「ひと口くれよ」
芳弥はまたすこし驚いたように瞬きを止め、すぐにかわいくない笑い方をして俺に向き直る。
「駄ぁ目。好きな人にしかあげな~い」
「えっ」
答えを待たずに横から飾りの苺をつまみ上げようとしていた手を思わずひっこめた。
そうか、ならば仕方ないかと諦めよく思っていると隣から、言い訳めかして「だっておまえ甘い物嫌いじゃん」と聞こえてくる。誤解だったのだとわかったら、嘘みたいにテンションがはね上がった。
「年二が三になるくらい平気だよ」
「ふうん?」
「いーから、寄越せ」
と、芳弥が自分用に取ってまさに口に寄せようとしていたケーキを、手ごと奪って俺は食った。
それ自体はやはり得意とは言い難い味だった。でもそれに付随する記憶みたいのが、自動的に頭の中で再生を始めて、前に食ったときのことやうんとガキだった頃のそれ、まだ修業とか全然してない高校生くらいの芳弥の姉貴がくれたもの、味に対しての感想は申し訳ないことに今と然程変わらないが囲む人間の表情は、どれもほころんでいる。
結局のところ祝い事があるとケーキを買うという習慣はそこに起因するのかもしれない。ぼんやり思っていると台座ごとケーキを押し付けられ、何事かととりあえず見守る。芳弥は水筒の蓋を開けて中身を注いだ。ふわっと紅茶の匂いがこちらにもただよってくる。
風は随分おさまってきて、しんしんと寒さだけが目には見えないのに肩や膝に降り積もった。
「……なんで家で食わねんだよ」
「自腹切ったのバレたらきまずいじゃんか」
だから俺が買うって言ったのに。と思ったのはお見通しだったようで、芳弥が鼻の頭にしわを寄せる。
「ねーちゃん朝早いから、ただでさえ睡眠時間すくないのに物音立ててたら気になるだろうし」
「お前……」
ちょっとすぐには言葉が出なかった。
その間も芳弥は俺に持たせたままのケーキをフォークで突いて減らし続けていた。表情には何の感情も浮かんでいない、トンネルなので外から明かりが入り込んでそんなに暗くなかった。わりと見える。
もぎもぎと顎を動かす様は、小動物のそれを思わせてほほ笑ましく高校生にしたって3年には見えなかった。でも幼い顔立ちの、その下に宿る精神は俺なんかよりずっと大人なのかもしれない。将来についてだって、きっと誰より現実的に考えている。
もし俺が芳弥をかわいそうだと思っていたとするなら、それは選択肢を最初から限定されている気がしたからだ。でも違う。芳弥は初めから、自分で、今の自分を選び取っていたのだ。やっとわかった。
「すげえな」
「へ?」
「お前って凄かったんだな、芳弥」
「……よくわかんねーけど」
おまえがほめてくるなんてゆきがふるはずだ。芳弥は舌たるくそう唱えると、俺にしてみればもっと珍しい、白い笑顔を浮かべた。
年が明けたら、もう授業もほぼない。受験しない芳弥は店で働き通しになり俺は受験戦争の最前線へと送り込まれる。皆で行っていた初詣でも俺は今回は元旦模試で不参加だ。たぶん、あっという間に卒業式になっている。
そこまでざっと一気に考えたら今この偶然があったことが、最大のプレゼントだったように思えてかるいパニックになって、どうにかして、芳弥にもすこしは特別にならないかと考えて挙句、あかくにじんだ指を、手を、ぎゅっとにぎりこんだ。
「お前、手袋ぐらいしろよ」
氷みたいにつめたい。
「販売員がそんなのするわけねぇだろ」
だから、とけてしまうんじゃないかと詮無いことを思う。
「今は関係ねえだろ」
「……じゃあ駿矢ちょうだい」
「サンタはお前だっ……ちょ、」
一方的に手を振りほどき、俺のポケットをごそごそやって、外していたそれをひっぱり出すと勝手にはめる。まだいいも何も言ってないのにだ。やけに素早い動きが何となく、仔犬がじゃれて遊ぶのを連想させた。
裏が起毛になったニットの手袋は別にいい物でもなんでもなかった。普通に量販店で買えるし、しかも去年もしていたため若干くたっとしている。グレーに緑と白の、言葉で表現しづらい幾何学っぽい模様の。
「これでいい」
「はあ?」
「これが、いいわ」
「――……」
目を伏せてやわらかく言うその表情が、何故か胸に痛くて俺は、もう片方も取って差し出した。
「駿矢、メリークリスマス」
「……うん」
すこしだけ指先の余る両手をぽんぽん打ち鳴らしてあったかいと呟く。頬にあてがってわらった、どうしたことかあんまり幸せそうで、幸せで、この夜の先に永遠に似た別離があることなど信じられなかった。
急に居ても立っても居られなくなって理由をさがす。
離れてしまった手を、なんとかもう一度、つなぎたくて。
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