初恋の実が落ちたら

ゆれ

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虎次と慶

07

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 普通に男としてモテは羨ましい。くちを尖らせる虎次に「お前くらいになると近寄り難いからな」と配慮も忘れないのだから完璧だ。業界内でもタレントの誰とかとアイドルの誰とかが狙っているとかいないとか。性別問わず友達もたくさんいる。
 そういう男をいつまでも自分に縛りつけていていいのだろうか。もものことがあっても、悲しい話だがこれ以上の発展はもう望めないのだから、やはり虎次がくっついて面倒をかけ続けていいとは思えない。しかしおなじグループに所属しているかぎり、距離を置くのは難しい。

(いやじゃないのに)

 それなのに離れることを考えるのは、心に背いて苦しかった。かといって忘れ去ることもできない。竜太とももの事故以来ずっと頭の片隅にこびりついて、絶えず虎次の思考にしみを落とす。どうすればいいのか正解もないような、途方もないだけの逡巡。寝てばかりなのはその間だけは解放される所為なのだろうかと今ひらめいた。
 頭を使うのは得意じゃないのに。そっと溜め息をかみ殺していると、前方でぼそっと運転手の声がする。

「――ついてきてますね」
「えっ」

 マネージャーがシートの肩から後方を確認する。ぎゅっと眉根が寄るのを虎次は寝ぼけ眼で眺めた。

「ファン?」
「いや、そんな感じでは……オジサンですよ」
「記者ですかね?」

 どちらかか、或いは両方に張り付いて、私生活を暴き立てる。
 幾らかはあらかじめ協定を結んでマークを外してもらったり、既に漏れた記事を流出前に買い取ったりしているらしいが、虎次には心当たりがない。すくなくとも家では慶もそうだ。誰かを連れ込んでいる様子は現時点では微塵もない。

「お前、何かしたの?」
「してねーわ」
「じゃあ言い寄られてんじゃね。エゴサしたら何かわかるかも」
「すんなバカ」

 バカなんて本当のことを言われたら腹が立つじゃないか。むっとして、すぐ近くにあった左手をぎゅーっと握り込んでやると慶が痛みに悶える。剣道をしていた虎次は握力が人より強いらしいのだ。特に小指まで使って握るので、存外に白い慶の手首にはかわいそうな丸い痕が残った。

「こいつ……」
「やんのか?」
「おふたりとも、ちょっとベルトしてください」
「え」

 運転手に言われて、シートベルトを締める。ぐんとスピードを上げてバンはすぐ先の角を左折した。
 スタジオの場所はカーナビに出してあるのだが、そちらを見ることは一切なく、法定速度も標識も守って進路を選び取る。ベルトをしろと言ったのは角を曲がる回数を増やしたからだったようだ。

 そうして10分も走っているうちにぴたりと背後についていた黒い軽自動車はいなくなっていた。

「撒いた?」
「たぶん、大丈夫だと思います」
 時間に余裕があったので念のためにコンビニの駐車場に一旦停めて、マネージャーがコーヒーを買ってきたが、それらしい車は入ってこなかった。どうやら成功したらしい。

「すげえな」

 慶が感心したような声を出す。すっかり目が覚めた虎次も、ぱちぱちと軽く手を叩いて若い運転手を褒め讃えた。
 改めてスタジオに向かって出発し、功労者にコーヒーが手渡される。ふわりと鼻先を撫でる匂いは好きだった筈なのに、何故か今は気分じゃなくて虎次は掌でふたをした。

 ふたりとも運転免許は早くに取得したが、通勤手段としては使っていない。特に朝弱い虎次は迎えにきてもらわないと、それこそ事故を起こす可能性が否めないのだ。たまには遠出などもしたいけれど、スケジュールがさせてくれない。苦肉の策で番組の企画として一回だけ実現し、あれはとてもよかったと虎次も慶も気に入っていた。
 だから運転手の技術がかなり高いのはよくわかった。「天職じゃん」と呟いた虎次に、彼は信号待ちで振り返ってこう答える。

「実は昔ちょっとヤンチャしてまして。御蔭で腕があがりました」
「へーえ」

 隣で慶が面白がる。似つかわしくない真面目そうな外見というわけでもないが、他人のそういった話はなかなか聞く機会がない。暇潰しにはもってこいだ。

「普通の車でもレースやってて、それに出たかったんですよね。ライセンス取ればドライバーになれるんですけど」
「そんな車好きなん?」
「はい。あの頃はいろいろイジって音変えたり、毎日のように夜流しましたし、楽しかったなあ」
「いやでも危ないでしょう? 事故になったら困るからやめてくださいね」
「昔の話ですってば」

 釘を刺してくるマネージャーに不服そうに言い返し、ちゃんと方向指示器を出して車線を変更する。すこし走った左折の先の横断歩道で子どもが渡りかけていたので、進入せずに止まってやり過ごす。道交法どおりの運転をしているが、不意にぽつんと低くこぼしたのを虎次は聞き逃さなかった。

「――チンタラ走ってるほうが悪いんだよ」

 急に胸がむかむかした。

 身体の中がビクビクと不穏にざわめき、喉の奥からぐっとせり上がってくる感覚がある。思わずくちを掌で覆った。強く前に傾いだのを不審に思って慶が前に「ちょっと停めろ」と厳しい声で言う。だが折よくスタジオに到着した。
 
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