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虎次と慶
06
しおりを挟む何度も頭を下げる母親と一緒に楓馬くんが引き揚げていくのを見送ると、おもむろに慶が近寄ってくる。
「虎次、こっち」
「うん?」
楽屋に戻り、隅のほうに座らされて待たされた。視界の端でメンバーが着替えを済ませ、次のスケジュールに向かうのを見守る。虎次は慶と雑誌のインタビューが入っていた。先にコメントを寄せてから、明日グラビアの撮影がある。時間の都合でそうなった。
虎次もその場ですこしずつ衣装を脱いでいると、救急箱を持って慶が戻ってきた。
「手、寄越して」
「えー……」
「いいから早く」
「うん……」
目敏いというか細かいというか。包丁の先端が掠めて指先をさくっと切ったり、天板があたって手首の内側をやけどしたり、腕に油がはねたりしたのにばっちり気づかれていた。ひとつひとつ見つけだしては丁寧に繕われて、メンバーにニヤニヤ見られる羽目になった。
「マジ慶くん過保護っすよね~」
「九女くんをダメにする相方」
「いやトラのそれは自前じゃん? 千鶴くんにも弟み激しいとかかまわれてさぁ」
「それなー」
えらく懐かしい名前が出てきて知らず頬が緩んだ。彼も料理ができない属性の同士だった。スキャンダルに伴うメンバーの入れ代わりからもう五年が過ぎようとしているのか。獅勇の身辺もやっと落ち着き、最近は月翔も調子が好さそうで、私生活に変化でもあったのかもしれなかった。
仕事なのか何なのか知らないが、虎次が物心ついた時点ではあまり家に居着かなかった両親より、余程親らしく面倒をみてくれていたのが竜太だった。参観日も来てくれたし、成績がふるわないと呼び出されたときも、さり気なく他の長所を伸ばしてほしいとかばってくれ、帰り道にアイスクリームを買ってくれた。兄と一緒だったときだけは、まっすぐ寮に戻るのがいやで、我儘を言っては困らせていたっけ。
だから甘えるのは得意だ。きれいに手当された両腕をほうっと眺めて、「ありがとう」と慶に礼を述べる。
「あんま怪我しないように次は気を付けろよ」
「次が無いのが一番なんだけどね」
明日までには多少ましになっていてほしいのだが、どうせメークで隠してしまうだろう。気にせず着替えて、移動することにした。
打ち合わせやオーディション、企業のお偉方との面会などばらばらに散っていくメンバーたちとはひとまず来週までお別れだ。帯番組があると定期的に顔を合わせられるのが嬉しい。未だ同居中なのは虎次と慶だけなので、貴重な機会と言える。一応メンバー用のトークルームもアプリ上に作ってはあるのだけれど、滅多に使われることはなかった。
普通は四六時中傍にいないほうがいいものなのだろうか。虎次は、事務所入りする前から慶と友達だったからか、一緒にいても何も苦痛じゃないしむしろいないと落ち着かない。日中ほぼ別の現場にいても平気なのは、夜にはおなじ家に帰るとわかっているためだ。最早家族の一員とでも思っているのだろうか。
(俺のじゃないのに)
予想外の切っ掛けでこんな爛れた関係になってしまったが、別に慶を恋人だとは位置づけてない。それは彼もおなじだろう。心に住み着いているのは別の人間で、虎次は子ども時代からの友達。他の何にもなり得ない。
そんなあたりまえのことを考えていると、何故だか溜め息がこぼれるようになった。
「……らじ、虎次」
「え、あ、何?」
ずっと呼ばれていたようだ。顔をあげると、すっかり楽屋はからっぽで、戸口から慶とマネージャーが心配げにこちらを見ている。
「どうしたん? 具合でも悪い?」
「や、大丈夫……」
言われてみるとうっすら熱っぽい気もしたが、大したことはない。急いで支度を済ませて駐車場に降りた。
黒いバンの後部座席に虎次と慶が乗り、助手席にマネージャーが乗る。若い運転手はこれまでも何回か見かけたが最近担当に加わった。社長の血縁という噂を聞いたけれど真偽のほどはわからない。息子くらいの齢ではありそうだ。
慣れないことに全力で取り組んだ証拠なのかひどく疲れていた。この頃以前にも増して寝汚い傾向にあり、隙あらばすぐ睡魔のしもべになってしまう。演技の仕事が終わったばかりでよかった。現場でもこの体たらくだったら、監督やプロデューサーを怒らせて二度と使ってもらえなそうなレベル。
涼しい場所へ行くと眠たくなる、というか適温の中にいると人間は眠気を誘われるものなのだろう。車もそうで、うとうとと舟を漕ぎかけて窓に頭をぶつけ、そのまま寄り掛かって寝落ちそうになっていた虎次を、慶が引っぱって自分の肩に寄り掛からせてくれた。
「着いたら起こす」
「ありがと……」
こういうことがたびたび起こるからか虎次と慶はふたりでも前後に分かれて座らない。いつも大概隣どうしだ。
慶の面倒見がいいのは間違いないが、いつまでもこうしていていいのかなと思わなくもない。共演者といい雰囲気だったり、実際に連絡先を渡されたと聞くと、自分が邪魔になっているのではないかと考えたりする。
27歳なら結婚してもおかしくはないだろう。獅勇の影響か、世間並みにそういうことも気になるようになってきていた。慶はモテる。中学でも高校でも、芸能科でまともに登校してなかったにもかかわらず、クラスでひとりだけ山のようにバレンタインチョコを貰っていたし、卒業式には告白待ちの長蛇の列ができていたくらいだ。
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