28 / 38
虎次と慶
02
しおりを挟む「虎次? 何かあったのか」
「――」
ここで否定したらせっかくの好機をのがす。柔らかい声にかぶりを振ってしまいそうになる衝動を押し殺し、きつく目を閉じてから覚悟を持って見開いた。自分のそれとはまるでかたちの違う、切れ長の端整な双眸に射貫くように見据えられて、虎次はちいさく息を呑んだ。
「俺、アイドルやめる」
「……え」
発言自体は思いも寄らなくても、そこに至る心情には幾らか心当たりのある慶は理由を問おうとはしなかった。ただ虎次の細い肩を握り込んでつよく俯き、何かしらの衝動をしばしやり過ごしてから、ふたたび視線を結んで「やめてどうすんの」と痛いところを突いてくる。同い年だというのにこんなときでも理性的な振る舞いは、昔からただただ慕わしかった。
「どうにでもなるよ。貯金もしてるし、当面は実家もどってじいさんと暮らす」
潰しのきかない仕事だからと慶が無駄づかいを禁じてくれた御蔭だ。自分は結婚資金にでもするつもりだったのかもしれないが、そんな将来図は到底描けそうにない虎次も、じゃあそうするかという軽い気持ちで倣っておいて結果的によかった。改めて心の中で感謝する。
尤も、現実の彼には皮肉なことのようだ。先程までよりは明らかに険しくなった眼つきで虎次を捉えている。
「家事できねえのに?」
「そんなことねぇよ。やんなきゃなんないならやるし、頑張れば……たぶん……俺だっていい大人なんだし」
「百歩譲って生活はともかく、仕事は。お前バイトもしたことないだろ」
「それは慶だって一緒だろ」
ふたりとも小学6年生で今の事務所に入ったのだ。下手をすると学業すら片手間だったのに、アルバイトなど捩じ込める暇はこれっぽっちもなかった。会社勤めに向いている人間じゃないのも悔しいが認める。認めざるを得ない。
「……それでも、もう続けるなんてできねえよ」
今度は慶が息を呑む。虎次だってできることなら続けたいのだ。歌って踊るのも、役を貰って誰かの人生をなぞるのも、全国各地に足を運んで旨いものや美しいものをリポートするのも、楽しくて仕方なかった。でも無理なのは謂わば個人的な事情で、己の未熟の所為だ。
そうするのがいいと思ったから、するだけ。本当は黙って行なったってよかったのだが、これほど長いこと世話になった慶に無断で踏み切るのはさしもの虎次でも申し訳ない気がした。だから一応知らせた。それだけのこと。そういう態度を敢えて取る。
「いつまでも慶にくっついてるわけにいかないしさ。お前もいい加減うんざりだろ? 俺のお守り。だから解放してやろうと思って」
「は? いつ俺がそんなこと」
「――傷舐め合うような関係はさ、一生続けるもんじゃねぇんだよ」
「!」
慶の眸にあからさまな怒気が灯ったのがわかり、虎次は勝利を確信した。大丈夫だ。これで思いどおり、離ればなれになる。互いに新しい一歩を踏み出せるようになったら、もう必要ない。そして二度と共に歩むことはない。古傷を、あのどうしようもない痛みを思い出させる人間は、傍にいないほうがいいに決まっている。再起の邪魔にしかならない。
彼の足を引っぱりたくないのだ。たぶん一緒にいなくても、この世に生きていてくれるだけで存在が支えになるから。これまでも、これからも、ずっと。
「もう充分だろ。俺も、お前も、ちゃんと立ち直った」
「虎次……お前、そんなふうに思ってたのかよ」
「だってそれ以外ねえじゃん?」
俺はお前の惚れた相手でもなければ、運命の人でもない。ただの友達だ。そんなことは虎次が一番よくわかっている。
* * * *
虎次には年の離れた兄の竜太と、血のつながらない妹のももがいる。彼女は乳児のとき、久女家の門前に置き去りにされていたらしい。実の親が残したのはその名前だけという状態で。だから正確な誕生日もわからない。
隣近所の誰もが目撃し、どうするのがいいか寄り合って頭を悩ませたため、その素性は本人を含めてすっかり周知の事実だった。結局、竜太が愛らしい妹の存在を熱望し、兄弟の両親が「これも何かの縁だから」と引き取ることを決めて、一年早く生まれていた虎次と一緒に育てられた。
家の敷地内には剣道場があり、祖父が師範をしていたので竜太も虎次も当たり前のように竹刀を握った。より才能に恵まれたのは虎次のほうだ。さぞかし優れた剣士になると祖父に期待を掛けられていたが、ある日の試合帰り、身体の大きなガキ大将が喧嘩をしているところに通りかかってしまい、敵味方の区別なくその場にいた全員やっつけてしまったという出来事があり、破門されたのだ。
すっかりふてくされていた虎次を、翌日訪ねてくる者があった。何を隠そう、剣道をやめさせられる原因となったガキ大将その人で、隣の学区の小学校に通う長船慶だった。
(懐かしいなあ)
昨日の仕返しにでも現れたのかと身構える虎次に、慶は大きな身体を折り曲げて頭を下げ、挙句の果てに「友達になってくれ」と言ってきたのだ。当時から上背に恵まれ、兄の竜太とそう変わらないくらい高い位置にある頭を呆然と見あげて、虎次はうんともううんとも答えず、しばらく時を止めていた。
今思ってもなかなか珍しい出会いのような気がする。道場にはたくさん子どもも出入りするので、うっすらとした友達は多いほうだったが、あんなふうに面と向かって申し込んできたのは慶だけだった。
5
お気に入りに追加
125
あなたにおすすめの小説
無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話
タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。
「優成、お前明樹のこと好きだろ」
高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。
メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
トップアイドルα様は平凡βを運命にする
新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。
ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。
翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。
運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。
アルファとアルファの結婚準備
金剛@キット
BL
名家、鳥羽家の分家出身のアルファ十和(トワ)は、憧れのアルファ鳥羽家当主の冬騎(トウキ)に命令され… 十和は豊富な経験をいかし、結婚まじかの冬騎の息子、榛那(ハルナ)に男性オメガの抱き方を指導する。 😏ユルユル設定のオメガバースです。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
噛痕に思う
阿沙🌷
BL
αのイオに執着されているβのキバは最近、思うことがある。じゃれ合っているとイオが噛み付いてくるのだ。痛む傷跡にどことなく関係もギクシャクしてくる。そんななか、彼の悪癖の理由を知って――。
✿オメガバースもの掌編二本作。
(『ride』は2021年3月28日に追加します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる