初恋の実が落ちたら

ゆれ

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虎次と慶

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「虎次? 何かあったのか」
「――」

 ここで否定したらせっかくの好機をのがす。柔らかい声にかぶりを振ってしまいそうになる衝動を押し殺し、きつく目を閉じてから覚悟を持って見開いた。自分のそれとはまるでかたちの違う、切れ長の端整な双眸に射貫くように見据えられて、虎次はちいさく息を呑んだ。

「俺、アイドルやめる」
「……え」

 発言自体は思いも寄らなくても、そこに至る心情には幾らか心当たりのある慶は理由を問おうとはしなかった。ただ虎次の細い肩を握り込んでつよく俯き、何かしらの衝動をしばしやり過ごしてから、ふたたび視線を結んで「やめてどうすんの」と痛いところを突いてくる。同い年だというのにこんなときでも理性的な振る舞いは、昔からただただ慕わしかった。

「どうにでもなるよ。貯金もしてるし、当面は実家もどってじいさんと暮らす」

 潰しのきかない仕事だからと慶が無駄づかいを禁じてくれた御蔭だ。自分は結婚資金にでもするつもりだったのかもしれないが、そんな将来図は到底描けそうにない虎次も、じゃあそうするかという軽い気持ちで倣っておいて結果的によかった。改めて心の中で感謝する。
 尤も、現実の彼には皮肉なことのようだ。先程までよりは明らかに険しくなった眼つきで虎次を捉えている。

「家事できねえのに?」
「そんなことねぇよ。やんなきゃなんないならやるし、頑張れば……たぶん……俺だっていい大人なんだし」
「百歩譲って生活はともかく、仕事は。お前バイトもしたことないだろ」
「それは慶だって一緒だろ」

 ふたりとも小学6年生で今の事務所に入ったのだ。下手をすると学業すら片手間だったのに、アルバイトなど捩じ込める暇はこれっぽっちもなかった。会社勤めに向いている人間じゃないのも悔しいが認める。認めざるを得ない。

「……それでも、もう続けるなんてできねえよ」

 今度は慶が息を呑む。虎次だってできることなら続けたいのだ。歌って踊るのも、役を貰って誰かの人生をなぞるのも、全国各地に足を運んで旨いものや美しいものをリポートするのも、楽しくて仕方なかった。でも無理なのは謂わば個人的な事情で、己の未熟の所為だ。
 そうするのがいいと思ったから、するだけ。本当は黙って行なったってよかったのだが、これほど長いこと世話になった慶に無断で踏み切るのはさしもの虎次でも申し訳ない気がした。だから一応知らせた。それだけのこと。そういう態度を敢えて取る。

「いつまでも慶にくっついてるわけにいかないしさ。お前もいい加減うんざりだろ? 俺のお守り。だから解放してやろうと思って」
「は? いつ俺がそんなこと」
「――傷舐め合うような関係はさ、一生続けるもんじゃねぇんだよ」
「!」

 慶の眸にあからさまな怒気が灯ったのがわかり、虎次は勝利を確信した。大丈夫だ。これで思いどおり、離ればなれになる。互いに新しい一歩を踏み出せるようになったら、もう必要ない。そして二度と共に歩むことはない。古傷を、あのどうしようもない痛みを思い出させる人間は、傍にいないほうがいいに決まっている。再起の邪魔にしかならない。

 彼の足を引っぱりたくないのだ。たぶん一緒にいなくても、この世に生きていてくれるだけで存在が支えになるから。これまでも、これからも、ずっと。

「もう充分だろ。俺も、お前も、ちゃんと立ち直った」
「虎次……お前、そんなふうに思ってたのかよ」
「だってそれ以外ねえじゃん?」

 俺はお前の惚れた相手でもなければ、運命の人でもない。ただの友達だ。そんなことは虎次が一番よくわかっている。




 * * * *




 虎次には年の離れた兄の竜太りゅうたと、血のつながらない妹のももがいる。彼女は乳児のとき、久女くめ家の門前に置き去りにされていたらしい。実の親が残したのはその名前だけという状態で。だから正確な誕生日もわからない。
 隣近所の誰もが目撃し、どうするのがいいか寄り合って頭を悩ませたため、その素性は本人を含めてすっかり周知の事実だった。結局、竜太が愛らしい妹の存在を熱望し、兄弟の両親が「これも何かの縁だから」と引き取ることを決めて、一年早く生まれていた虎次と一緒に育てられた。

 家の敷地内には剣道場があり、祖父が師範をしていたので竜太も虎次も当たり前のように竹刀を握った。より才能に恵まれたのは虎次のほうだ。さぞかし優れた剣士になると祖父に期待を掛けられていたが、ある日の試合帰り、身体の大きなガキ大将が喧嘩をしているところに通りかかってしまい、敵味方の区別なくその場にいた全員やっつけてしまったという出来事があり、破門されたのだ。

 すっかりふてくされていた虎次を、翌日訪ねてくる者があった。何を隠そう、剣道をやめさせられる原因となったガキ大将その人で、隣の学区の小学校に通う長船おさふね慶だった。

(懐かしいなあ)

 昨日の仕返しにでも現れたのかと身構える虎次に、慶は大きな身体を折り曲げて頭を下げ、挙句の果てに「友達になってくれ」と言ってきたのだ。当時から上背に恵まれ、兄の竜太とそう変わらないくらい高い位置にある頭を呆然と見あげて、虎次はうんともううんとも答えず、しばらく時を止めていた。
 今思ってもなかなか珍しい出会いのような気がする。道場にはたくさん子どもも出入りするので、うっすらとした友達は多いほうだったが、あんなふうに面と向かって申し込んできたのは慶だけだった。
 
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