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月翔と小雨
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しおりを挟むだって俺の所為だからと言ってしまえば小雨はくちを噤んだ。肘をついて四つ這いになってもらい、下着ごと短パンをずりおろす。薄い身体をしているくせにそこだけは無駄にふくよかな尻が現れて、思わず甘噛みしてしまった。
「痛って!」
油断していたため大袈裟に反応するから笑った。小雨は月翔を振り返り、厳しい視線で射貫いてくる。しかし格好は猫のポーズで尻を丸出しにしているのだ。迫力など一切感じられない。
患部にさわると思わせて舐めたり、キスしたり、無体を働いたためくっきり残ってしまった指の痕をすこしでも癒したくてふざけているふりで尻の頬に優しく触れる。どうか自分を怖がらないでほしい。セックスを嫌いにならないでほしい。もうこんなことは絶対にしないから。いい加減もたもたしていたら怒られそうな空気だったので、素直に薬を塗ってあげた。左腕に負担を掛けるのもよくない。
着衣の乱れを整え、改めて寝転んだ小雨に水を取りにいく。食事も一応作っておいてくれたようだが明日の朝でも大丈夫そうだったためそうさせてもらった。月翔がキャップを開けて差し出した水を一遍起きて小雨が半分呷り、返されたボトルを乾す。生活は最早混ざっている。これから仕事をさがして貯金をつくって、目標を達成する頃には離れられなくなってやしないだろうか。
これが結婚とどう違うのかはわからないけれど、生まれて初めて恋をした相手とおなじ家に帰ってずっと一緒にいられるなら、それがいいし他には何もいらないと月翔は思った。
「つがい作るよ」
「……え?」
「そしたらこんなこと二度と起こらない」
「なんで、だって――」
「俺は姉貴もいるし、っわ?!」
ほんの今まで飼い猫みたいに隣で寝そべっていた小雨が怖い顔で枕を振りかぶり、月翔の顔めがけて打ちつける。右手一本なのでそこまで強くはないのだがなんせ動揺が大きくて、わけのわからないうちに食らってしまって一発当たったらあとは雨あられだった。ビシンバシンと容赦のない打撃が月翔のしろい頬を思うさま嬲る。
じきに小雨がハーハーと呼吸を乱し、疲れて、枕を放り出すとやや垂れ下がって優しい双眸からぼろりと大粒の涙をこぼした。ふっと息の抜ける声を洩らし長い睫毛の先からしずくを伝わせる。すべらかな頬が悲しみに濡れていく。美しいと見蕩れながらも、胸が痛くて、知らず服の前立てを握り込んでいた。
「あの、小雨」
「俺じゃダメだもんな」
「何が?」
「……どうせなら知らないとこでやってくれ」
「ちょっと待ってよ、マジで何の話?」
「つがい作るって自分が言ったんだろ!?」
「…………あっ」
そうだ。
周りにアルファが多い所為で、いつもの調子で話してしまった。盛大な誤解がふたりの間に生じたのに気が付くと月翔は起き上がって、小雨の頬を掌で拭う。いやいやをして逃れようとしても根気強く追いかけ、やわらかく慈しむように触れて、ごめんともう何度目かの謝罪を彼に捧げた。顔の傷をきれいに消し、何の痕も残ってないのは何度見ても嬉しい。
「説明させてくれる? すこし特殊なやり方だから。つがいって言っても病院でするんだよ」
「え……」
「ここに近親者の遺伝子を入れてもらうんだ」
言いながら月翔はトントンと小雨の首筋を指の腹で叩く。襟足が短く、首が細いので手の大きな月翔では掴めてしまいそうだ。挿れたときに舐めたり吸ったりすると小雨が甚く感じる場所。ひょっとして彼なりにこだわりがずっとあったのだろうか。
いくらフェロモンの働きがあっても、他の動物のように親子やきょうだいでつがったりしないよう人間の第二性には特性が存在し、近親者が提供した遺伝子をうなじに入れると血が濃くならないようフェロモンを感知しなくなるのだ。因みにオメガの場合はヒートが止まるらしい。
ただし普通のつがい行為と違って時間経過で効果が薄れるため、定期的な処置が必要になる。月翔は両親が健在だし姉もふたりいるのでまず心配はないだろう。小雨と同棲していることを打ち明けて、説得するところから始めなければならないけれど。でもこんな絵に描いたような好青年なのだからあまり不安はなかった。特に姉達は秒で懐柔できるだろう。
両親は、とりわけ母は、ちょっと悲しませるかもしれない。一向に恋人を紹介してくれる気配のなかった息子が、ちゃんと誰かを深く愛せるのだとわかって喜んでくれないだろうか。できるだけ早く時間をつくり、連絡を取ってみようと月翔は決心した。
「俺が捨てるとでも思ったの? 残念だけど小雨のことはもう逃がしてやれないよ」
「……ごめん」
「そのかわりこのことは絶対家族の協力が必要だから、一緒にお願いに行ってくれる?」
「!」
具体的に先に繋がるような話をしたのはこれが初めてだっただろうか。あまり覚えがなくて、小雨が驚くのが不思議だった。いろいろあったことを言い訳にまだ互いへの理解が足りないのかもしれない。月翔も小雨のご両親の墓参りに行きたい。月に一度、以前から必ず先回りして予定のある日があったので、それがその日なのではないかと踏んでいた。
「今はいいマスクもあるし遭遇を予測するアプリもある。俺が抑制剤のんでもいいよ。でもそれだと勃ちが悪くなるって噂だから、小雨は困るかもしれないと思って」
「それはない」
「はいはい。……じゃあ決まりだね」
「――うん」
月翔の大好きなあのこぼれんばかりの笑顔で、小雨が頷く。たったそれだけで涙しそうになる。人を愛すると情緒不安定になることも知らずに生きてきた自分のくちから、知らない言葉が次々飛びだしてくるのは恐ろしいくらいだ。
「憶えといて。小雨を悲しませないためなら俺は何でもするから」
「……生意気!」
ぱちんと鼻先を弾かれて、どちらからともなく声を上げて笑った。
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