21 / 38
月翔と小雨
09
しおりを挟む馬鹿正直にさぐりを入れなかった自分が間抜けだったのだ。それに尽きる。何もかも手遅れになるまで、小雨の存在が日常の一部だと思い込んでいた。奇跡以外のなにものでもなかったのに。またすこし目がピリピリ痛みだして、さすがにこれ以上泣くのは視聴者にもばれるので根性で衝動を呑み込んだ。
人生が再びひとり旅になって、出会う前とおなじに戻れるかといえばそんな筈がない。小雨とめぐり会ってしまった月翔は、彼を知らない自分にはもう戻れない。この先ずっと、小雨のかたちにあいた穴をかかえて生きていくしかないのだ。塞いでくれるほどの相手を見つけるまで、ずっと。
その途方もなさに気が遠くなる。恋を知らなければ味わうこともなかった痛みもまた、つれない小雨の置き土産だった。
「控えめに言ってやべえな」
「いやこれでも都内よりはマシなんじゃない?」
えーと非難の声を上げつつ、携帯用の扇風機を顔につきそうな距離でかまえる獅勇はグループ1の暑がりなのだ。逆に月翔はあまり汗も掻かないため涼しい顔をしている。そんなふたりにロケの仕事が振られて、今日は郊外の町へ足を運んでいた。
盛夏と呼んで差し支えない気候は青々としげった緑まで溶かすようでゆらゆらと厳しい陽射しに揺らめいている。木陰に入れば幾分涼しいけれど、残念ながら畑仕事をする農家さんの取材と収穫のちょっとしたお手伝い、そしてとれたて野菜を使った料理の試食が本日の使命なのでつばの広い麦わら帽子で炎天下にさらされるのは必至だった。
日焼け止めを何重にも塗られるが効果のほどは定かでない。タレントのためにミストシャワーも用意され、長袖の服に仕込めるだけ保冷剤を仕込んで、前倒しで撮影がスタートした。
時間が経過するにつれ熱気は激しくなる。朝の7時でも既に暑いので開き直ってから元気でもこなすしかなかった。そこはこれでもプロだ。適度にボケとツッコミを交代しながら作業は真面目に取り組む。この畑はセットではなく農家さんの大切な持ち物なのだ。このあとも毎年おなじように野菜を植えて育てる。無闇に荒らしたりしないよう、素人が手を出すのも最小限に抑えなければならなかった。
「お兄ちゃんたち筋が良いねえ」
「マジすか」
「食ってけます?」
ビシッと親指を立てられ、わーいと諸手を挙げて喜ぶ月翔と獅勇に年配の農家さんが目を細める。孫ぐらいに見えているのだろう。なんとかスムーズに収穫までは運べそうで、ふたりも内心ほっとしていた。
あまりに暑いので調理と試食は場所を移すとスケジュールが変更されて一旦車に戻る。屋外には変わりないが町中のため若干日陰も望めるらしい。水分を補給してひたすら身体を冷やす。熱中症になってはみんなに迷惑が掛かるからだ。塩分も摂りつつ、服を着替えるとすこし落ち着く。
ロケと聞いたときは観光地にでも取材に行くのかと思ったがとんでもなかった。ドラマの撮影もきついがこの時季はやはり屋外が一番身体に堪える。生まれたときからエアコンのある生活が普通なので、汗を掻くということがうまく出来ない。若い世代のほうが環境に適応できないのは皮肉なものだった。それで食べているとはいえ親よりさらに年上の農家さんが平気な顔で作業するのを見てちょっとだけ情けなかった。
「はー、正直食欲とかわかねえけど」
「あと半分」
「帰ったら千鶴とビールが待ってる!」
今日は月翔しかいないので伴侶の名前もあっさり出てくる。他のメンバーに打ち明けても大丈夫だとは思うのだが、どこから何が漏れるかわからないからと獅勇は慎重だ。それだけつがいの夫を大切に思っている。況してや千鶴は脱退の際に一度派手に世間に叩かれているため、彼の気持ちも理解できた。
このあとの予定をマネージャーに再度確認する。ふたりとも今日はもう顔が使えないのでこれで終わりだったが、巻きで進行しているためラジオのコメント録りを前倒しにするか悩んでいるらしい。しかし消耗が思いの外激しいのを察してオフの方向で調整してくれた。視線で訴えたのが功を奏したようだ。
「オシやる気出てきた」
「うん」
現金なものだがゴールが見えると見えないとではそのくらい違う。スタジオでなら納得いくまで続けられても、こうも環境が悪いとアイドルだって人間なのでぼろが出てくるものなのだ。
ご厚意で公民館の駐車場にテントを張らせてもらい、ミストも飛ばしながら地元の婦人会の人達が手際よく料理を作ってくれる。月翔はからっきしだが獅勇は自ら包丁を握るため、あれこれと横から熱心に質問をしていた。新しい技を憶えて帰り伴侶に披露したいのだろう。食材を刻む手つきがいいと褒められて調子に乗っていた。片や月翔には、鍋に投入して茹でるだけの仕事が振られる。
「完成です!」
「では早速いただきましょう」
シンプルに切ってマヨネーズで炒めただけの料理でもとれたてを使っているとここまで違うのかと思うほど美味しかった。手作りの味噌や各家庭独自のつけだれなども、食べたことがないユニークな味付けで気づけば試食のレベルを超えていた。月翔は基本的に好き嫌いがすくなく何でも食べる。獅勇は大人のくせに人参とピーマンが嫌いなお子様なのだが、本日のメニューには使われてないので安心してパクついていた。
0
お気に入りに追加
123
あなたにおすすめの小説
ポケットのなかの空
三尾
BL
【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】
大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。
取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。
十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。
目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……?
重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
・性描写のある回には「※」マークが付きます。
・水元視点の番外編もあり。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
※番外編はこちら
『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182
共の蓮にて酔い咲う
あのにめっと
BL
神原 蓮華はΩSub向けDom派遣サービス会社の社員である。彼はある日同じ職場の後輩のαSubである新家 縁也がドロップしかける現場に居合わせる。他にDomがいなかったため神原が対応するが、彼はとある事件がきっかけでαSubに対して苦手意識を持っており…。
トラウマ持ちのΩDomとその同僚のαSub
※リバです。
※オメガバースとDom/Subユニバースの設定を独自に融合させております。今作はそれぞれの世界観の予備知識がないと理解しづらいと思われます。ちなみに拙作「そよ風に香る」と同じ世界観ですが、共通の登場人物はいません。
※詳細な性的描写が入る場面はタイトルに「※」を付けています。
※他サイトでも完結済
目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件
水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて──
※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。
※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。
※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
【第1部完結】佐藤は汐見と〜7年越しの片想い拗らせリーマンラブ〜
有島
BL
◆社会人+ドシリアス+ヒューマンドラマなアラサー社会人同士のリアル現代ドラマ風BL(MensLove)
甘いハーフのような顔で社内1のナンバーワン営業の美形、佐藤甘冶(さとうかんじ/31)と、純国産和風塩顔の開発部に所属する汐見潮(しおみうしお/33)は同じ会社の異なる部署に在籍している。
ある時をきっかけに【佐藤=砂糖】と【汐見=塩】のコンビ名を頂き、仲の良い同僚として、親友として交流しているが、社内一の独身美形モテ男・佐藤は汐見に長く片想いをしていた。
しかし、その汐見が一昨年、結婚してしまう。
佐藤は断ち切れない想いを胸に秘めたまま、ただの同僚として汐見と一緒にいられる道を選んだが、その矢先、汐見の妻に絡んだとある事件が起きて……
※諸々は『表紙+注意書き』をご覧ください<(_ _)>
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる