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千鶴と獅勇
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しおりを挟む眦をつりあげて怒る彼女が正しいとは千鶴もわかっているのだが、起きてしまったことはもう取り返しがつかないのだし言葉を選ぶくらいは、こちらがしたほうがいいのではないかと思ってしまう。人間は機械と違い電源ではなくやる気で動いているのだ。安い給料で急かされて働いて、聞けば残業までして納期に収めてくれたらしいし。実のところ千鶴も、この期日で間に合うならお願いすると提示されて書面を覗いた時は「ハイ無理」と反射的に思ったほど地獄発注だった。
それでも持ち帰ったのでその時も天里にはいくらか苦言をされた。その上でミスをされ、千鶴は二回も頭を下げてきたのだから、人によってはもうちょっとやり込めてもよさそうに思うかもしれないが現状その気はない。誰も言いはしないがそもそも急かされなければミスは無かったという見解もあるだろう。現場との間に立つ彼女は結局こちらの味方とも言い切れず、もともとの性格も手伝って千鶴はあまり愚痴らないようにしている。
対象が誰にせよ悪しように言うのを聞いているのが昔から耐えられなかった。汚い言葉を吐くと吐いた人まで汚れていく気がした。だから物に当たったりはちょっとだけする時も人間なのであるのだけれど、千鶴は自分では悪口は言わないし言っている場からはそっと距離を置くようにしている。そういう態度を日和見と取られているらしく、天里からは特に常々あたりがきつめで内心辟易しているのだった。
「また頑張って仕事とってくるんで、よろしくお願いします」
とはいえ彼女ががっつり納期を管理してくれる御蔭で千鶴は信頼を得られている。そこの感謝は素直に述べると、給湯室から再度デスクに戻って離席の間の伝言等がないかチェックした。渡すアドレスは社用携帯のものなのでパソコンはさっさと落とす。零細企業は取引先も零細企業のことがすくなくないため、未だに電話連絡のみの場合もあり、何故かスマートフォンでは通じない時があるといくらか苦情が来たので古き良きガラケーが未だに活躍していた。
たまにこの段で笑えないトラブルに見舞われたりもするのだが、今日は不幸中の幸いか何事もなかった。神様が正負を調整してくれたようだ。ならばと張り切って帰途につこうとすると、天板の隅っこにお菓子がごちゃごちゃと寄せてあるのに気づく。帰社して時間が経っているにもかかわらず何故今の今まで見落としていたのか、つくづく見ないものは見えないように人間はできている。
「それ、パートさんたちから」
「マジすか」
深夜勤の配送係の女性社員は隣の席なので見ていたらしい。お詫びの品、というわけだろう。無論それでも仕事は流れたけれど、こういうちょっとした気遣いが千鶴を奮起させてくれるのは事実だった。申し訳ないことに出入りが激しいため、古株の数人しかパート職員の名前はわからないのだが、ありがたく頂戴する。今度見かけたら直接礼を述べておこうと決めて、今度こそ「お先に失礼します」と事務所を出た。
ひとり暮らしのアパートは徒歩15分のところにある。家から近かったというのも就職の決め手のひとつだった。駐車場を借りてないし車自体所持してないため、千鶴は歩いて通勤している。仕事先へは社用車で行き、接待では酒が入ることが殆どなのでそのほうが都合がいい。買うのはいつでもできると思って今日に至っているあたりこれからもその予定は無さそうだ。
まえの仕事では常に送り迎えされていて、周囲に同乗もさせてもらっていたので困らなかった。役の幅が広がるかと早くに取得はしたものの長らくペーパードライバーだったため、再就職するにあたり何よりもまず運転の練習をした。あれはファインプレーだったと我ながら思っている。
住宅地のど真ん中に建つやや広めのワンルームアパート。小綺麗な見た目ではあれど新築ではないため他の部屋の住人も似たような年代の男性が多いようだ。だからなのかピンクチラシを投げ込まれることが多くて、お断りのステッカーがアパートの玄関に掲げてあるのに入れられることもしばしばだった。
帰り道にコンビニ等はなく、寄る時は遠回りしなければならないが大抵いつもまっすぐ帰る。くたくたに疲れていて買い物という決断力の必要な行為ができないのだ。従ってよっぽど何にも食糧がない非常事態以外は、千鶴はまじめに205号室に帰ってきてスーツを脱ぐ。これも初めこそ日替わりで一週間着られるようにと浮かれて用意したものだったが、今では二着を交互に着回し、新規の客や要人に面会する際はクリーニングから返ってきたものをおろすサイクルに変わっている。
「飯は……いいか、もう」
それだけはこだわって買い直した静かな洗濯機に着ていたものを放り込み、バスタブに湯をためて顎まで浸かる。全身洗ってさっぱりして出てくると水を持ってベッドに移動し、気慰みにテレビを点けた。本を読むほどの元気は残ってないので大体こうなる。すると珍しくプライムタイムのニュース番組で芸能人カップルの結婚が取り上げられていた。
「えっマジか」
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