愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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無明長夜

06

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「お前といるときは大体そうだわ。御蔭様でな」
「だから俺にすりゃいいのに……」

 今のは何だ。真意を量ろうにもドアを閉める音で余韻ごと断ち切られて、手を振って歩は帰っていく。背中が遠ざかっていく。聞き間違いかと思ったが八色がそれを睨めつけていた。この野郎とお綺麗な顔に書いてある。

 お世辞にも陽キャラとは言えない龍はさまざまな悩みをかかえてはいても大っぴらにせず、とりわけ八色のまえでは出さなかったし、正直会えばどうでも良くなってしまっていた。友人にもそう簡単に相談してはないけれど、近くにいればいくらかは雰囲気だけでも伝わることはあるようで、況して昔は特別だった歩は龍の扱いに慣れている。そしてそれは逆も然りだ。

 奴がそう言うのなら実際めり込んではいるのだろう。最後のひとことは本気だろうとそうでなかろうと相手にするつもりはないので右から左へ流して、龍は「もしかしてこう、歩に俺のこと相談した?」と尋ねた。チッとごくちいさく舌打ちが聞こえる。びびるどころか笑ってしまう。

「……まだ俺より塞くんのほうが龍に詳しいかと思って」

 ストーカー関係の首尾報告だけをやり取りしていたとはあまり思えなかったのだ。うまくは言えないのだが、もうちょっと打ち解けている感じがした。龍も八色も、互いのことを誰にも漏らせないと強く自戒していて、それをただひとり、理解している者と接する機会があればその誘惑にはなかなか打ち克てるものではない。

「悪かった」
「そんなことないっすよ」
「ん?」
「香と一緒にいる時の俺は、歩だって知らねえ」
「……だな」

 夜でなければ、八色が頬を染めていたことに気が付けたのだろうが、龍はさくっと目線を外し、いそいそとふたたび毛布をかぶって居心地の良い位置をさがすのに集中していた。彼の家も自分の家も、どちらもあまり気が進まないけれどふたりきりになれる場所は他にないので、安全とも言い難いが八色のマンションへ向かうことになった。
 音に割り出された住居かと思いきや、それは確証を得るまでの仮住まいで、そこからまた引っ越しているらしい。一回でも手間も資金も掛かるのに大変なことだ。八色は慣れているのか、気分が変わって楽しいなどと言う。

 運転手がすこしだけ窓を下げて煙草に火をあてた。ラジオを点けて、沈黙を流れるようなピアノとサクソフォンの協奏が埋めていく。ゆるゆると瞬きが遅くなる。寝落ちてしまうまえに言わなければという強迫観念に押し出されて、ずっと気になっていたことを龍は告げる。

「悩みがないなんて言ってすいませんでした。香さんストーカーだってされてたのに、俺ブスだからそういう被害があるとか知らなくて」
「いやいやそれは違えけど……俺が言ってなかったしわからねえように一応してたから、知らなくて当然っつうかな」

 こう見えてちゃんと大人なんだって格好つけたくてよ、と笑いまじりに八色が言う。

「俺は、一緒にいると楽しいし幸せだから、てっきり龍もそうだと思ってた。悩んでたなんて全然知らなくてこっちこそごめんだわ」
「あー……」

 というかあれは本当に八つ当たりだったのだ。家のことや学業で悩んでいるのは事実でも、大半は恵まれていそうに見えた八色に対する羨望で、僻みで、そういう浅ましい嫌味も育ちが良いとそう聞こえないらしい。八色と向き合っているとつくづく器とは生来持っているもので、後付けにちょっとやそっと努力したくらいじゃ何も変わらないのだと痛感する。

 癇癪を起こした子どもみたいに、感情的になって愚痴り散らかした自分が恥ずかしかった。できればもう忘れてほしい。いつもは龍もじょうずに隠してわらえたのに、ピンポイントであの日は駄目だっただけなのだ。最後に共に過ごした夜があんなことになってしまって、悔いてないと言えば嘘になる。謝りもせずに帰ったことも、だからずっとじくじく膿んでいた。

「俺ら歳離れてんだろ」
「……まあ」

 近くにもっと開いている恋人同士がいるので微妙だが、八色が成人した時に龍はまだ小学生だったと思うと頷く。

「しかも俺は大学行ってねえから、お前の悩みがちゃんと理解できねぇだろうし、ジェネレーションギャップもあるし」
「え、香さんそんな心配してたんすか?」
「元彼とはまだ友達だしよ」
「そっ……れは」

 聞いてなかった。三人で話し合った際も、まあ八色の立場からは絶縁を申し出にくいと言われればそうか。だが龍はそう簡単に友人をつくれる性質ではないし、歩が嫌いなわけでもない。学業でもいろいろと助けられているため本音をいえばいなくなるのは困る。
 でも嫌だったとは、それこそ大人なので思わなかった。打ち解けたとさえ感じていたと答えると、八色は盛大な顰め面になった。威嚇する犬みたいでちょっとかわいい。さすがに声に出す勇気はない。

「お前はなんでか俺が狙われてると思ってたようだが、あいつは縒り戻したくてしょうがねえんだろ。未練タラタラじゃねえか」
「……えー?」
「龍。お前、マジで、隙しかねえわ」

 なんでも何も歩がそれらしき発言をしていたのだから勘違いのしようがない。そう主張しても八色は頑として己の意見を曲げなかった。そっちだって隙だらけじゃん、腑に落ちねえとふくれる龍を乗せて、車は夜を走り抜ける。



 
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