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理屈じゃないの
03
しおりを挟む「黒部さん!!」
「大丈夫ですか、――」
庇ってくれた職員にお礼を言い、路地に駆け込む調に続いたが早々に足が止まる。まるで見えない壁にでも阻まれたかのように龍は一歩も進めなくなってしまった。
「えっ、八色さん!? どうして、」
「そんなことより救急車まだなの? 血が止まんない!」
「あー……いってえなコレ」
血を流していたのは彼女ではなく金髪の長身だった。壁に寄り掛かり、右腕で押さえている左腕は二の腕から下が真っ赤に染まっている。馨子が着ていたブルゾンで圧迫止血しているが傷口が広いか多いかでなかなか効果が見られない。もとよりの白皙が青褪め、龍の目には今にも死んでしまいそうに映って、声を掛けることすらできなくなった。
存外に胆力があるのか年の功か即座に駆け寄った調が自分のネクタイで腕の付け根を縛る。「心臓より高く持ち上げてください」と八色をしゃがませてから馨子に手伝わせ、「毛布!」ときっと龍に言ったのだが全身がかたまってしまっている。しかし見越して取りにいっていたらしき歩がすぐに持ってきたのでリレーして手渡し、八色の身体が覆われた。
不穏なサイレンの音が二種類かさなって近づいてくる。宇賀神と男性職員に拘束されている暴漢には見覚えがあった。名前を篠田といい、半年くらいまえにここへ犬を引き取ってもらいにきた男だ。
「龍、しっかりしろ」
「なんで……なんで香が……」
「状況から考えて黒部さん庇ったんだろうな」
それは理解できるのだがどうしてこんな時間にここにいたのだろう。不可解で恐ろしくて、ガタガタ震えるばかりの龍に歩が肩を抱いて「落ち着けって」ともう一度言い聞かせる。
「こっちです!」
ヘルメットをかぶった救急隊員に歩が叫ぶ。八色の状態を見たわけではないので一二三は近くでナイフを持った男が暴れているとだけ付け加えて通報したらしく、それでも処置はとても迅速だった。ストレッチャーで運ばれていくまえに、八色が「彼を乗せてくれ」と言ったので龍が同乗することになる。
調などは不思議そうにしていたが「黒部さん警察に事情話さないといけないから」と歩がさり気なく口添えしてくれた。馨子自身に怪我がないのを確かめると、救急車はふたたびサイレンを鳴らして走り出す。集まりかけていた野次馬は警察官に散らされ、瞬く間にうしろに飛び去っていった。
「……龍、ちょっと痛てえわ」
「うるせえ」
左腕が処置されるのを見ているのも恐ろしく、無事ではあるが血塗れの右手をぎゅっと握っていて、力がこもりすぎたようだ。自分でもうまく加減ができなかった。高価な服が景気よくザクザク切られてゆく。ちらっと見ては慌てて逸らしを繰り返す。
傷は上腕のかたいところと肘のやや下、そして掌にあったようだった。凶器を振り回しながら近づいてきたので手で制して、切られて、鮮血が噴き出すのを見て相手が狼狽し表通りに飛びだしてきた、というところだろうか。あらかたの処置が終わり、顔を上げた若い隊員が「ご無事でよかったです」と言う。ヤシキコウだとわかっているのかもしれない。
病院へはすぐに到着し、八色が処置室へ連れていかれる。外来はもう終わっている時間だが大きな病院なので入院患者がちらほらいて、物々しい空気に興味を惹かれていた。命には別状がないためロビーで待つように言われてそのようにする。案内してくれた看護師が「ご家族に連絡されていいですよ」と繋げるが、龍は、八色の家族の連絡先などひとりも知らなかった。
(すげえ、血、でてた)
龍の手にも移った鈍いあかい色をじっと見おろす。身体の震えがおさまらない。八色の意識はちゃんとしていたし処置に問題もなさそうだった、ここへもスムーズに来られた。何も憂うことはないと理解しているのに、病気みたいにガタガタと足が揺れて胸が冷たい。恐ろしくて仕方なかった。
あんなふうに、悪意を他人に平気でぶつけてくる輩が存在することにショックを受けていた。普通は相手が身内でもないかぎり無意識に歯止めがかかる。社会的生物として肉体に刻み込まれた原始の記憶みたいなものだ。しかも庇ったのならなおさら、対峙した八色は篠田にとって赤の他人だったのに。
「あの、大丈夫ですか」
「……え」
まったく気が付かなかったのだが看護師がまだ傍にいた。いきなり話し掛けられて別の驚きに翻弄される。
「顔色が悪いですね。よかったら横になられます?」
「いや大丈夫です。……すみません」
一刻も早く無事な姿が見たいのでできるだけ近くにいたかった。彼女も職業柄気になるのだろうし、一方で待つ者の気持ちもわかるのだろう。一旦はナースステーションに引き揚げていったが、ちらちらとこちらを気にしている。そんなに危なっかしく見えるのかと苦笑してしまった。
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