愛してしまうと思うんだ

ゆれ

文字の大きさ
上 下
35 / 69
理屈じゃないの

03

しおりを挟む
 
「黒部さん!!」
「大丈夫ですか、――」

 庇ってくれた職員にお礼を言い、路地に駆け込む調しらべに続いたが早々に足が止まる。まるで見えない壁にでも阻まれたかのように龍は一歩も進めなくなってしまった。

「えっ、八色やくささん!? どうして、」
「そんなことより救急車まだなの? 血が止まんない!」
「あー……いってえなコレ」

 血を流していたのは彼女ではなく金髪の長身だった。壁に寄り掛かり、右腕で押さえている左腕は二の腕から下が真っ赤に染まっている。馨子が着ていたブルゾンで圧迫止血しているが傷口が広いか多いかでなかなか効果が見られない。もとよりの白皙が青褪め、龍の目には今にも死んでしまいそうに映って、声を掛けることすらできなくなった。

 存外に胆力があるのか年の功か即座に駆け寄った調が自分のネクタイで腕の付け根を縛る。「心臓より高く持ち上げてください」と八色をしゃがませてから馨子に手伝わせ、「毛布!」ときっと龍に言ったのだが全身がかたまってしまっている。しかし見越して取りにいっていたらしき歩がすぐに持ってきたのでリレーして手渡し、八色の身体が覆われた。
 不穏なサイレンの音が二種類かさなって近づいてくる。宇賀神と男性職員に拘束されている暴漢には見覚えがあった。名前を篠田しばたといい、半年くらいまえにここへ犬を引き取ってもらいにきた男だ。

「龍、しっかりしろ」
「なんで……なんでこうが……」
「状況から考えて黒部さん庇ったんだろうな」

 それは理解できるのだがどうしてこんな時間にここにいたのだろう。不可解で恐ろしくて、ガタガタ震えるばかりの龍に歩が肩を抱いて「落ち着けって」ともう一度言い聞かせる。

「こっちです!」

 ヘルメットをかぶった救急隊員に歩が叫ぶ。八色の状態を見たわけではないので一二三は近くでナイフを持った男が暴れているとだけ付け加えて通報したらしく、それでも処置はとても迅速だった。ストレッチャーで運ばれていくまえに、八色が「彼を乗せてくれ」と言ったので龍が同乗することになる。
 調などは不思議そうにしていたが「黒部さん警察に事情話さないといけないから」と歩がさり気なく口添えしてくれた。馨子自身に怪我がないのを確かめると、救急車はふたたびサイレンを鳴らして走り出す。集まりかけていた野次馬は警察官に散らされ、瞬く間にうしろに飛び去っていった。

「……龍、ちょっと痛てえわ」
「うるせえ」

 左腕が処置されるのを見ているのも恐ろしく、無事ではあるが血塗れの右手をぎゅっと握っていて、力がこもりすぎたようだ。自分でもうまく加減ができなかった。高価な服が景気よくザクザク切られてゆく。ちらっと見ては慌てて逸らしを繰り返す。

 傷は上腕のかたいところと肘のやや下、そして掌にあったようだった。凶器を振り回しながら近づいてきたので手で制して、切られて、鮮血が噴き出すのを見て相手が狼狽し表通りに飛びだしてきた、というところだろうか。あらかたの処置が終わり、顔を上げた若い隊員が「ご無事でよかったです」と言う。ヤシキコウだとわかっているのかもしれない。

 病院へはすぐに到着し、八色が処置室へ連れていかれる。外来はもう終わっている時間だが大きな病院なので入院患者がちらほらいて、物々しい空気に興味を惹かれていた。命には別状がないためロビーで待つように言われてそのようにする。案内してくれた看護師が「ご家族に連絡されていいですよ」と繋げるが、龍は、八色の家族の連絡先などひとりも知らなかった。

(すげえ、血、でてた)

 龍の手にも移った鈍いあかい色をじっと見おろす。身体の震えがおさまらない。八色の意識はちゃんとしていたし処置に問題もなさそうだった、ここへもスムーズに来られた。何も憂うことはないと理解しているのに、病気みたいにガタガタと足が揺れて胸が冷たい。恐ろしくて仕方なかった。
 あんなふうに、悪意を他人に平気でぶつけてくる輩が存在することにショックを受けていた。普通は相手が身内でもないかぎり無意識に歯止めがかかる。社会的生物として肉体に刻み込まれた原始の記憶みたいなものだ。しかも庇ったのならなおさら、対峙した八色は篠田にとって赤の他人だったのに。

「あの、大丈夫ですか」
「……え」

 まったく気が付かなかったのだが看護師がまだ傍にいた。いきなり話し掛けられて別の驚きに翻弄される。

「顔色が悪いですね。よかったら横になられます?」
「いや大丈夫です。……すみません」

 一刻も早く無事な姿が見たいのでできるだけ近くにいたかった。彼女も職業柄気になるのだろうし、一方で待つ者の気持ちもわかるのだろう。一旦はナースステーションに引き揚げていったが、ちらちらとこちらを気にしている。そんなに危なっかしく見えるのかと苦笑してしまった。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

貢がせて、ハニー!

わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー! 他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

「誕生日前日に世界が始まる」

悠里
BL
真也×凌 大学生(中学からの親友です) 凌の誕生日前日23時過ぎからのお話です(^^ ほっこり読んでいただけたら♡ 幸せな誕生日を想像して頂けたらいいなと思います♡ →書きたくなって番外編に少し続けました。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

処理中です...