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あなた病
06
しおりを挟む睫毛の濃い、清楚な顔立ちがきりりと引き締まってこちらを見据える。断罪の眼差しは歩の手を離したあの日からずっと龍に注がれ続けて最早一部になっていた。歩のほうが近しいとか龍が嫌いとかそういう低次元な基準じゃなく、純粋に、自分には理解できない事象に出くわして答えを欲している者の表情で一二三は問う。
「どうして心変わりしたの? 塞に悪いと思わないものなの?」
「――……」
そうして代わりに手に入れた恋が壊れそうな今は、胸にこたえる質問だった。悪いと思ったから別れを切り出した、というのが実情なのだが心変わりの理由は龍にもよくわからない。歩に不満があったわけじゃない。ちゃんと好きだった。しかしそれを上回る人と出会ってしまった。その人がどういう運命か自分を好きになってくれた。そして歩も受け入れてくれた。
一二三の“どうして”はそのすべてを含んでいる。どれかひとつ欠けても成り立たなかったのに、とりわけ八色が龍を好きになる筈がないと思い込んでいたのに、楽しい片想いは幸か不幸か終わりを告げてしまったのだ。
「衝動的なものなの?」
「いや、相手があることだしそういうわけじゃ」
「ばれなければそのまま続けてたの?」
「俺はそれは無理かな……歩は歩の幸せを掴んでほしかったし」
「初めはそんなつもりなくてもだんだんそうなっちゃうの? ダメだって引き返せなかったの?」
「ええと……思ったし相手にそう言ったりもしたけど、まあ……そう、だな……」
流されてしまったのは本当なので声がちいさくなる。なんだか今日はあたりがキツい。こんな話をする機会がずっと三人だったのでまったくなかったのもあるかもしれないけれど、時を超えてだいぶ責められている気がする。歩には逆にほぼ掘り下げられなかった。これは性格の違いなのか男と女の違いなのか、はてさて。
でもひとつだけ、これはたしかに龍でも信じていることがある。だから歩とも、八色とも、こうなったんだと今では思っている。
「俺はさ、どんな関係にも、たとえ家族でも、終わりがこないとは思えねぇんだと思う」
「え……」
「死ぬとかじゃなくてな。そういうんじゃなくて、本当にダメなことってあるんだよ。それを無理やりそのまま続けてったらやっぱどっか破綻する。だから別れたのも愛情。もし歩のことどうでも良かったら、黙って二股かけてたかもしれねえ。別れるって言わないで不実なことして、そういうのは嫌だから別れた。嫌いになったんじゃなくて、もっと好きなひとができちまったんだ。……そんな感じ」
これで納得できるだろうか。どうだろう、というように窺ってみると一二三は瞳をうつむけて下唇を色の抜けるほど噛みしめている。腑に落ちてはないが、そういう考え方もあるのだと仕方なく認めようとしているのだろう。葛藤がありありとにじんでいて、龍はふっと頬をゆるめてしまった。
他でもない龍が、軽薄な行為は嫌悪していた。だから自分もそうしたのだとは思いたくない。実際何度も八色に「やめてください」「困ります」と断っていた。そもそもあんなふうに強引に迫られるなんて人生でなかった経験だったため、そう言い続けるしかできなかったのだ。今思えば、歩に話して間に入ってもらえばよかった。
(無理だな)
やっぱり自分でも不実のように思えて首を振る。歩が今も友人でなければまだましだったのかもしれない。今も傍にいて、困れば手を差しのべてくれるから、甘えてしまう。許された気になってしまう。
「まあ、……これだから。俺はたぶんずっと悪い見本だと思うわ」
泣いて腫らした瞼を指差して戯けると、一二三もやっとすこし笑ってくれた。そろそろ寝たほうがいいだろう。一二三は1コマ目からあるらしいので「朝は先に出るけど気にしないで」と言う。気遣いは有り難いができれば一緒に家を出るくらいはしたいと思った。
一二三も龍ならおなじ部屋に泊まってもミリも心配してなさそうだったが、親御さんの気持ちを考えて音の部屋へ寄せてもらうことにする。客用布団を取りに行ってから一緒に頼みにいくと「入るなら早く入って」と何故かとても急かされた。
「じゃ、おやすみ玉山」
「おやすみ須恵。……ごめんね」
何に対する謝罪なのか、言いすぎたとか訊きすぎたとかそういうことだろうか。全然気にしてないしむしろ悩みを聞いてもらったような爽快感があるくらいなのでこちらのほうが感謝していた。終わりの話など、他人にしたのは初めてのように思う。逆に龍とは繋がってない一二三だからこそ話せたのだ。
人の期待に応えたい。望まれるままにありたい。そういう生き方自体を見つめ直す時が来ているのかもしれない。大人なんだしひとりで生きていくことをそろそろ本格的に見据えて、恋は胸の中であたためるのがいいみたいだ。どうせ手の届かない星ばかりを見あげることになるのだろうから。
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