愛してしまうと思うんだ

ゆれ

文字の大きさ
上 下
29 / 69
あなた病

04

しおりを挟む
 
「あらおかえりたまこ。そちらが須恵くんね、いらっしゃい。初めまして」

 そう言いながら奥から出てきた一二三の母とおぼしき女性は、なんと逆さまになって天井をスタスタ歩いてきた。

「えっ……あっ、はじめまして須恵ですお世話になります……」

 反応の薄さをまたも隣から無言で咎められている気がするが驚きすぎているのだ。何をどうしたらこうなるのか、足首まではあろうかというワンピースの裾もまとめ髪も彼女のすべてが重力をあっさりと裏切っている。それでいて不安定にふわふわ浮いているわけじゃないので不思議なのだ。本当に地上に立っている姿を上下に反転しただけ。
 だったらこのお宅では天井も掃除しなければならないのだろうか。二倍清潔を保てるから良いか。詮無い考えがあぶくの如く次々わいては消えていく。龍はしっかり動揺していた。

「あのこれ、おくちに合うかわかりませんがプリンです」
「まあ嬉しいわ。ありがとうございます。あなた、ちょっと!」

 呼ばれて奥から以前すこしだけ挨拶をした一二三の父が顔を覗かせる。「お土産をいただいたのよ」と言われ、出てきて龍の手から丁重に受け取った。

「須恵くんこんばんは。これありがとうね。どうぞあがって」
「こんばんは、今日は突然すみません。お邪魔します」
「遠くて疲れたでしょう。たまちゃんお風呂に案内してあげなさい」
「わかった」

 こっちよ、と導かれるままに階段をあがり、まずは一二三の部屋に荷物とアウターを置かせてもらう。音から着替えを借りてきた一二三が「着てた服は洗濯機に入れておいて。下着も靴下も一緒でかまわないわ」と言ってバスルームに連れてきてくれた。脱衣所の隅に洗濯機がある。これは通常のものとおなじようだ。

「中にあるものはどれでも使ってね」
「ありがとう」

 親切にしてもらえて嬉しいし、考えてみると、一二三とこんなにやり取りするのは初めてに近かった。いつも歩を介してなので。

 友人の家の風呂に入るのはかなり昔にさかのぼらなければ思い当たらない体験だ。近所にちいさな子どもがうじゃうじゃいる環境ではなかったし、遠巻きにされることの多かった子だったので、小学生の頃に一回だけにわか雨に降られて当時の友達の家で洗ってもらった。それが自宅のものとはまるで違う広い木の浴槽だったため印象に残っているのだろう。お寺の三男坊だった。
 その後はもう高校時代になってしまって、歩とはいかがわしいことに耽っていた所為でよくあの家のシャワーを使わせてもらった。嫌だと言ったのに親がいないから大丈夫と丸め込まれて、浴室で交わった記憶さえあるのだからどうしようもない。あの直後はしばらく家を訪れてもご家族の顔が見られなかった。心の中で平謝りしていた。

 湯加減はやや熱めで、客人だからと一番に使わせてもらっているのかと思う。自分では買わないようなボディソープやシャンプーも龍は気にしないので、オレンジのいい香りに包まれてご機嫌であがった。
「食卓の上に水を出しておくから」と一二三が言ってくれていたので覗いてみると未開封のボトルが置いてあった。有り難くキャップを開けて呷ったすぐあとのことだった。ドン、と背後から何かにぶつかられて龍は顔からテーブルに突っ伏した。

「うわっ」

 幸い水はもう殆ど飲んでいたので零れなかったが、何が起こったのかわからない。咄嗟についた腕が痛くてかすかに呻いた。見れば一二三の父に背面から押し倒されたような格好になっているではないか。

「???」
「あっ……もしかして須恵くん? こらたまちゃん、お友達を透明にするのはよしなさい」
「俺いま透明なんすか?!」
「そうだよ」

 さっと起き上がり、掌は差し出してくれているが明後日の方向なため本当に見えてないのだとわかる。こちらからは一二三の父がごく普通に見えるのであまり実感がわかない。ちらちらと視界に食い込んだり、手を振ったりしてみても、ひとつも反応が貰えなくてようやく信じる気になった。
 彼のあとについてリビングへ移動しながら試してみたが、壁や扉をすり抜けたりはできない。自分では何も変わったところはないけれど他人には姿が見えなくなる、という状態らしかった。声は聞こえている。立てる物音も然りだ。

 予想通り暖炉のある素敵なリビングで何か分厚い本をめくっていた一二三がニコニコして指を振る。それで魔法はとけたようで、裸になってしまうのでは、とはっとしたが音に借りた服をちゃんと着ていた。かけた状態のまま透明になるという理屈なのだろうか。

「いつの間にこんなことしたんだ?」
「うふふ」

 まあ簡単に覚られるようでは魔法使いとしては駄目なのかもしれないけれど後学のために聞かせてほしい。もし他の悪い魔法使いにおなじような目に遭わされでもしたら、すぐ傍にいるのに誰にも気づかれないなんて悲劇すぎる。泣いてしまうかもしれない。

「玉山ってやっぱいたずらっ子だな~」
「鍛錬の一環よう」
「家なら使い放題だもんな。Wi-Fiみあるわ」
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

目標、それは

mahiro
BL
画面には、大好きな彼が今日も輝いている。それだけで幸せな気分になれるものだ。 今日も今日とて彼が歌っている曲を聴きながら大学に向かえば、友人から彼のライブがあるから一緒に行かないかと誘われ……?

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

「誕生日前日に世界が始まる」

悠里
BL
真也×凌 大学生(中学からの親友です) 凌の誕生日前日23時過ぎからのお話です(^^ ほっこり読んでいただけたら♡ 幸せな誕生日を想像して頂けたらいいなと思います♡ →書きたくなって番外編に少し続けました。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

君の恋人

risashy
BL
朝賀千尋(あさか ちひろ)は一番の親友である茅野怜(かやの れい)に片思いをしていた。 伝えるつもりもなかった気持ちを思い余って告げてしまった朝賀。 もう終わりだ、友達でさえいられない、と思っていたのに、茅野は「付き合おう」と答えてくれて——。 不器用な二人がすれ違いながら心を通わせていくお話。

しのぶ想いは夏夜にさざめく

叶けい
BL
看護師の片倉瑠維は、心臓外科医の世良貴之に片想い中。 玉砕覚悟で告白し、見事に振られてから一ヶ月。約束したつもりだった花火大会をすっぽかされ内心へこんでいた瑠維の元に、驚きの噂が聞こえてきた。 世良先生が、アメリカ研修に行ってしまう? その後、ショックを受ける瑠維にまで異動の辞令が。 『……一回しか言わないから、よく聞けよ』 世良先生の哀しい過去と、瑠維への本当の想い。

処理中です...