愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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あなた病

02

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「あ」

 気が付くといつもの雑居ビルを見あげていた。二階の窓にNPO法人もっふぁ~の文字がでかでかと書かれている。足が勝手に向いてしまったようだ。冷静になると相当の距離を徒歩で移動してきていて、急に疲れが主に脹脛にくる。何も考えずに歩くとこうなる。空など最早昏い。時計の盤面を覗けばアルバイトもあがりの時間近くだった。

 休むとは調に連絡していたため問題はないのだが、家に帰るのが嫌で泊めてもらえないだろうかと思いつく。気が滅入ると即食欲にくるタイプの龍は、ただでさえ細い線が余計鋭く研ぎ澄まされてしまっている。
 学校へ行けばみんなと一緒に食べる気にもなるのだけれど。事情に通じている歩などはたまに夜も外食に付き合ってくれたりするが、出費をともなうので回数誘うのはさすがに控えている。

「……あー」
 ビルの谷間に馨子を見つけてしまった。向こうも、ちょっと苦笑しつつひらっと手を振る。

「ごめんね、声は掛けまいと思ってたんだけど」
「いえ、なんか逆にすいません」

 誤魔化したくて目をこすろうとしたが「腫れちゃうよ」と彼女に遮られた。涙はあらかた出尽くして、今度はピリピリした痛みにまとわりつかれている。唯一の効能とばかりにすっきりはしていた。それくらいしてもらわなければ恥の掻き損だ。

 いつかとおなじように勧められ、煙草を貰う。有毒の苦いけむりには思うところがないと言えば嘘になるけれど、匂いが違うので解像度は高くなかった。蛍みたいにちいさな光が暮れなずむ街の中で鮮やかに映える。紫煙は灰皿に吸い込まれてゆく。

 どの程度告白したものか悩ましい。まさか洗い浚い吐いたりはしないが、ただ泣いているのを見ただけでは馨子も寝覚めが悪いかもしれない。『家のことでちょっと』が追及しづらさも含めてベストアンサーかなと思ったのとほぼ同時だった。彼女が煙草を指に預ける。

「まあ、あれだよ。壁だと思ってさ、話してらくになることならいつでも聞くから。バイト中でもかまわないし」
「かまわないんすか」
「そのかわり壁だから気の利いたことは言わないよ。ほんと耳貸すだけね。……須恵くんは、いつも友達といるから大丈夫だと思ってたけど、親しくても話せないことはやっぱりあるよね」
「……まあ、はい」
「とりあえずさ、ひとりで解決しようとしないほうがいいっていうか、ひとりだけで考えて決めると間違うことも多くなるよってのは頭のどっかに入れといて。間違ってるかもだけど、って思いながら行動したら、ほんとに失敗してもダメージ軽く済むよ」
「なるほど」
「心は原動力だからね。そこがすり減るともう何もできなくなっちゃう」

 馨子の言いたいことは理解できた。やる気がなくなるというのはあらゆる事態を悪化させる癌なのだ。手足はもげても、頭脳が残っていれば機能してまた復活する。手放してしまった今となってみれば、八色の御蔭で心が元気だったから、何とかやってこれていたのだと思った。

 そんな気はなかったのに眦から突如すうっと涙がひとすじ落ちる。こんなに泣いたら脱水になりそうだった。もう拭わずに放置して、悲しいを解放してやる。抑圧すると倍増すると学んだのだ。素直に悲しんで、泣いて、消化したほうが傷の治りも早くなるだろう。

 元気くんを救出した時の怪我はどうなったか尋ねられ、大事なかったと報告した。発熱もしなかった。見た目からか病弱なように思われがちなのだが一応男なので、そこそこ頑丈だと自負している。

「……つうか意外っす」
「うん?」
「黒部さん、動物以外に興味ねえのかと思ってました」
「君も動物だからね」
「そこっすか?」

 括りでけえな~とようやく笑って、短くなった吸い殻を灰皿に押しつけているとビルの壁からひょこっと顔が出てきた。歩だ。

「じゃあそろそろあがりま……龍?! ちょ、目が細くなってる!!!」
「いや生まれつきこんなもんだわ」

 悪かったな眼つき悪くて。お前のようなアーモンドアイが羨ましくて仕方ない。ギリギリ歯を軋ませる龍に、しかし歩はもう滅多に拝めない真顔になって、明らか不自然な近さにまで耳元へ顔を寄せてくる。幸いなのか馨子は盛大に噴き出して大笑いしている最中だった。わざとやった……と思いたい。
 瞼が腫れるとすればこれからで、今は白目が充血して潤んでいるくらいだろう。猛烈に瞬きがしづらい。目薬は持ち歩かないため、帰りにどこかで手に入れたいがこの顔でレジを通るのは、若干恥ずかしい。ウワこいつ泣いたんかと思われそうで。

「どうした、まさかあの人に何かされた?」
「そういうんじゃねえ」

 ふたりのことを馬鹿正直に話す必要はないし歩に知る権利もない。言えば八色が悪者にされるのは目に見えていた。欠席裁判というやつになってしまう。誰のくちからも彼の悪口は聞きたくなかった。かぶりを振る。
 しかし歩は小指の先ほども信じる気がないようで、どこか殴られでもしてないかと執拗に身体をさわって確かめてくる。べろんと上半身を裾から捲られたのはさすがに殴って止めた。すると冗談みたいにそこだけを一二三に目撃されて、理不尽に痛めつけているかの如く咎める視線を送られて辟易する。過剰防衛、でもないと思うのだが。
 
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