愛してしまうと思うんだ

ゆれ

文字の大きさ
上 下
26 / 69
あなた病

01

しおりを挟む
 
 意を決して訪れた八色のマンションはもぬけの殻の空室だった。正確にはその景色を見たわけではないので、想像も含んでいる。
「越されましたよ」とコンシェルジュに冷淡に言われ、ならばついでにと合鍵も回収してもらって、ぽつねんとエントランスのまえに立ち尽くしているこの今は何の時間なのか。普通に出入りする住人の邪魔になってはいけないので階段の隅に座って判明している事実を整理してみたけれど、やっぱり何も結論が得られなかったため降参して龍は八色に電話した。

 歩の所為で不安になっての行動だったのは癪だが、まあ背中を押してくれたと捉えれば飲み下せる。あれだけ躊躇していたのに、正当性が己にあるとひとたび確信すれば笑ってしまうほどあっさり連絡できた。二週間もの懊悩は日本語で言うと無駄だった。
 頭が真っ白で何とも予測はしてなかった。この上は着信すら弾かれるのでは、という最悪な予想は裏切られて八色はむしろ食い気味に応じてくれる。リスナーではない龍は久し振りに彼の声を聞いてほっとした。それも束の間のことだったけれど。

「えっ」
『だからストーカーが出たんだわ。申し訳ねえがしばらく住所は教えらんねぇらしい』

 俺に付き纏って何が楽しいんだかな、というぼやきは聞こえてなかった。他人事のような口調はたぶん既に事が八色自身の手を離れていて、彼にも決定権がないのだろうと思わせる。頻りに謝罪の言葉を繰り返しているけれど、まったく頭に入ってこなかった。
 付き合った日数とおなじだけとは言わないまでも、かなりの月日をこのマンションで龍も過ごしている。私物だっていくらかあったのにそれも取りに行けず、事情は把握できたが腑に落ちない。心臓の拍動がうるさいほど聞こえる。言うなともうひとりの自分が止めるのを、しかし龍は振り切ってしまった。

(つまり俺は、信用されてねえってことか)

 ストーカーか、ストーカーに情報を売ったか、そう疑われているのだと自覚すると急に今までの思い出が色褪せた。座り込んでいるのに眩暈がして姿勢をうまく保てない。意味もなく仰のくと、昼下がりの青みを帯びた秋晴れの空が視界いっぱいに広がった。
 なんかもう終わりの匂いがする。すんと鼻を鳴らし龍は痛む喉を無理やり震わせて声を出す。揺らがないよう、力を込めたのはうまくいっていたかどうかわからない。失敗でも気にする必要はもうないと悟ると幾分らくになった。

「……わかった。もう会わねぇし知ってることも誰にも喋らねえ。これでいいか?」

 今までも都合上歩に打ち明けた以外は誰にも話しはしなかった。シュレーディンガーの彼氏? 笑ってしまう。

『ちょっと待て龍、その言い方』
「早く解決するよう祈ってる。仕事頑張って。じゃあな」

 通話を切った勢いのまま立ち上がると、龍は歩きだした。カーゴパンツのポケットの中でスマホはモーモー唸っている。しつこく振動し続けていたが手に取りはしなかった。折からの風がつめたくて、顎の下までアウターのジッパーを引き上げる。

 あんなふうに始まった関係だったから、どうせ長続きしないとは、心のどこかで思っていたかもしれない。そういえばこのまえ「話がある」と言っていたのはこのことを訊くつもりだったのだろうか。それともストレートに別れ話か。結果的にスルーしてよかった。せめてこっちから切り出したいなんてちっぽけな自尊心だが、捨てられるなら、このくらいの反撃はしたってばちは当たらない筈だ。

 逆ギレしたのがやはりマイナスだったか。セックスだけでよかったのに人生相談までされて、家庭のことには外野はくちを出せないのに盛大に愚痴り散らかされて、重すぎると愛想を尽かされたのかもしれない。「年下は面倒だわ」なんて言われた日にはどうしようもない。一二三に魔法で何とかしてもらうくらいしか、それなら実質無理か。というか無理だ。

「……うっ」

 駄目だ駄目だといっぱいまでこらえていた反動か、涙がぶわっと終に目縁から溢れだす。自分でもびっくりして慌てて拭うがあとからあとから止め処なく流れて落ちる。外でこれは勘弁してほしかった。通りすがる人々の視線が刺さって痛い。成人男子が思い切りよくだばだば泣きながら歩いていたら、たしかに奇異以外のなにものでもないだろう。

 恥ずかしい。もうこの辺りには来られない、と思ってその用もなくなったのだと傷を深くする。別れようと言われたわけじゃないが、疑わしいことの起きた相手とは、自分だったらもうとても続けられない。八色を悩ませるくらいならお終いでかまわなかった。信じることのできないつらさは龍もよく知っている。

 真夏でもないのにハンドタオルで顔を拭き拭きうつむき加減でてくてく歩く。せっかくの休講がとんだ予定で憂鬱に塗り替えられてしまった。今日は生放送の日だから夕方までは確実にマンションにいる、褒めてくれた手料理を振る舞うか、ホームシアターで映画でも観るか熱っぽく触れ合うか、なんておめでたい予定をひとり立てていた自分をゲラゲラ笑い飛ばしたい。馬鹿だなお前は。

(ほんとにな)

 愛がどれほど冷めやすい感情かなんて、父と母があんなにちいさい頃に教えてくれていたのに。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

貢がせて、ハニー!

わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

【完結】お前らの目は節穴か?BLゲーム主人公の従者になりました!

MEIKO
BL
第12回BL大賞奨励賞いただきました!ありがとうございます。僕、エリオット・アノーは伯爵家嫡男の身分を隠して、公爵家令息のジュリアス・エドモアの従者をしている。事の発端は十歳の時…我慢の限界で田舎の領地から家出をして来た。もう戻る事はないと己の身分を捨て、心機一転王都へやって来たものの、現実は厳しく死にかける僕。薄汚い格好でフラフラと彷徨っている所を救ってくれたのが我らが坊ちゃま…ジュリアス様だ!坊ちゃまと初めて会った時、不思議な感覚を覚えた。そして突然閃く「ここって…もしかして、BLゲームの世界じゃない?おまけにジュリアス様が主人公だ!」 知らぬ間にBLゲームの中の名も無き登場人物に転生してしまっていた僕は、命の恩人である坊ちゃまを幸せにしようと奔走する。だけど何で?全然シナリオ通りじゃないんですけど? お気に入り&いいね&感想をいただけると嬉しいです!孤独な作業なので(笑)励みになります。 ※貴族的表現を使っていますが、別の世界です。ですのでそれにのっとっていない事がありますがご了承下さい。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

神さまに捧ぐ歌 〜推しからの溺愛は地雷です〜【完】

新羽梅衣
BL
平凡な大学生の吉良紡は今をときめくスーパーアイドル・東雲律の大ファン。およそ8年前のデビュー日、音楽番組で歌う律の姿を見て、テレビに釘付けになった日を今でも鮮明に覚えている。 歌うことが唯一の特技である紡は、同級生に勝手にオーディション番組に応募されてしまう。断ることが苦手な紡は渋々その番組に出演することに……。 緊張に押し潰されそうになりながら歌い切った紡の目に映ったのは、彼にとって神さまのような存在ともいえる律だった。夢見心地のまま「律と一緒に歌ってみたい」とインタビューに答える紡の言葉を聞いて、番組に退屈していた律は興味を持つ。 そして、番組を終えた紡が廊下を歩いていると、誰かが突然手を引いてーー…。 孤独なスーパーアイドルと、彼を神さまと崇める平凡な大学生。そんなふたりのラブストーリー。

処理中です...