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エレファントジュース
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しおりを挟むいつものキャンパスでもいつもは来ないところに足を踏み入れると途端にそわそわする。語学などの共通科目ではまず使用する機会のない専用設備や器具の揃えられた実験室や実習室を、おのぼりさんみたいにキョロキョロしながら通りかかる。理系学生には必需品で生協でも販売している白衣を着用しているからか、みんなとても頭が良さそうに見えた。もう発想からして理系弱者のそれだ。
学部も専攻もまったくおなじなので龍が知らないなら歩もそうの筈なのだが、何故かさっきからちょいちょい彼に声を掛けてくる者がいて、出くわすと一二三がどこにいるか尋ねながらこのフロアへ辿りついた。
見事に全員女子なのでどういった縁かは大体想像がつく。「そういえば靴下かたっぽ忘れてたよ」などのアウト証言も耳に入ってくる。歩はごほんごほんとわざとらしい咳払いで必死に誤魔化していたけれど、別にもう龍に操立てする必要はないのだから隠さなくていいのにと思う。馬鹿みたいにモテるのはまえから識っている。
一緒に昼を食べようと約束していたのに時間になっても過ぎても現れず、取り敢えず午後のコマを終えたので様子を窺いにきたのだ。メッセージにも返信どころか既読が付かない。どうせ龍と歩はバイトに行く流れなので、一二三もそうなら同道する。ただ忙しいだけならそっと帰ろうと話していた。
「俺らさあ、カレカノと思われてるらしいよ」
「は?」
「たまちゃんと。どっちと付き合ってるのかは不明ってことで」
「ふうん」
じゃあお前はその“不明”の状態でも女子と仲良くしていたのか。歩も歩だがその女子も女子だ。もし事実だったらどうするのだろう。それでもいいのか? 謎が多い。
「つうか不明じゃねえだろ歩だろ」
「そうでもねーって」
俺訊かれたことあるもん、と反論するが一体どういった状況でなのか。薄着で並んでベッドに横たわり、女の子の髪なんて弄びつつだしにされた感がめちゃくちゃある。光景が浮かんでくる。
というか夏前まで自分が付き合っていて、今は別の彼氏がいる龍を架空とはいえ一二三とまとめる神経がわからない。すっかり胡乱な目つきになって見ていると、へらっと笑ってまやかされた。お前だけは絶対違うと確信している筈なのに大した食わせ者。
「玉山にも選ぶ権利あるし、十中八九お前だわ」
もうこの話はお終い、という空気を出してみたのだが何故か歩は食い下がり、頑として認めようとしない。「いやいや龍もなかなかどうして」と愚にもつかない返しをされる。内容が無さすぎてどう受け止めるのが正解かわからなかった。すると今度は、いきなりシャツの襟をくぐって歩の指が、鎖骨のくぼみをするする辿ってくる。
「この辺とかさあ」
「……それはお前の観点だ」
べちんと叩き落として教えてもらった教室を覗くと中でやはり白衣の一二三が、髪の長い女性と話をしていた。今のやり取りを見られていませんように。気が変になりそうなほど祈る。そんなふわふわした考えは瞬時に掻き消えた。どこがどうと説明できるほどでは残念ながらないのだが、一二三は元気がないように見える。
顔色が悪いとかそういうレベルじゃなく、もっと感覚的な意見なので歩に言うのも憚られた。忙しいのは忙しいようで、女性のほうはくだんの名物教授だと横顔が見えて判明する。横で歩が「おお~……」と有り難がっている。
教室の出入り口に『責任者・匂坂』と書かれたプレートが取りつけられていた。薬理学実習室。危険物取扱注意だの劇物取扱注意だのと仰々しい文字の羅列を目にするだけでもうあまり近寄りたくない気持ちにさせる。別に脅しではなく厳然たる事実なのだろうしある意味それで正しいのだろうが、犯罪者に目を付けられたりしないのかと思った。ここが危ないですよと教えているようなものだ。
まあその分、警備も厳重なのだろうが。見あげてまさに廊下に監視カメラがぶら下がっていて、出入りはすべてチェックされているのだとわかると学部生でもないのにうろついて大丈夫かと不安になる。何も企んでなくてもこれだ。俺は犯罪者にはなれそうもないな、と情けなくも自信を持った。
「やる気がないならやめてしまいなさい。薬品を無駄に使わないで。ただじゃないのよ。ラットもかわいそうだわ」
大きな声でかつよく通る。教室の中と外どちらもしんと静まり返って、龍もおずおず覗くと一二三じゃなく別の男子学生と女子学生のふたりを見ながら匂坂は言っていた。
衆目をこれでもかと集めてばつの悪そうな顔をすると、ふたりは器具の片付けもそこそこに荷物をまとめてパタパタと出ていく。教授に頭も下げずに去っていきながら、顔を寄せ合っているところを見ると愚痴のいくらかも零しているのかもしれない。斯く言う龍も本日の基礎演習で教授に質問責めにされ、若干きついお言葉をいただいてしまったのでちょっとへこんでいた。
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