愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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彼岸にて

03

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 煙草の味のキスならもっと昔から識っている。

「ごめん。疲れてるのに、こんな」
「龍」
「……ん」
「あんま無鉄砲なことすんなよ」

 龍はすぐに言葉を返せなかった。どの程度、今日のことを聞いたのだろう。しかも歩から伝えられたので多少大袈裟に脚色されているのかもしれない。みんな動揺していたし疲れていた。しかしそれでも、今、八色の台詞を受け取ってカチンときたのは間違いない。

(なんで)

 褒めてほしいとまでは言わない。だが大変だったなと労るとか、何があったんだと詳細な事実を確認するとか、無事でよかったとか取り敢えず肯定的に始めてからそう指摘してほしかった。勿論龍も反省しているし駄目なことだとわかっている。素人の救助活動ほど危なっかしく甲斐のないものはない。何もなければ同意しただろうが、今は、心配をかけた申し訳なさを、己の選択と正義感だか責任感だかを全否定された憤りが凌駕した。

 平たく言えば逆ギレしたのだ。俺はできることをやっただけなのに、なんでそんなふうに言われなきゃならない。別に命と引き換えに救けようとしたわけじゃないし最低限の安全対策は打っていた、と思うのだ。いくらかの勝算はあっての行動だった。
 これという反論を見つけられないまま、車がマンションの駐車場に滑り込み、地下の入り口から建物へ移動する。キーを挿して部屋番号と暗証番号を打ち込みエレベーターに乗る。腕の怪我以外はどこもどうもないため身体を支えようと伸ばされた手は遠慮した。ちいさな亀裂の走る音を聞いた気がして、龍は下唇をきゅっと噛む。

「何か食うか?」

 家に入って手を洗い、冷蔵庫に顔を突っ込んで八色が言った。食欲のない龍は首を振って寝室へ行く。着替えを取ってバスルームに向かう。本当は湯を溜めたかったが患部は濡らせないし時間を惜しんでシャワーだけ浴びた。珍しい烏の行水に年上の彼氏が目を丸くする。

「ちゃんとあったまってこいよ」
「……」
「龍?」
「……香さんは、何か悩み事とかあるんすか」
「は?」

 急に思ってもみないことを訊かれて八色が唇に挟んでいた煙草を外した。火はまだ点いてない。今からベランダに出るつもりだったのかジャケットに袖を通していて、その肩口をぼやっと見つめたまま龍は言葉を継いだ。

「ないっすよね。仕事あって貯金もあって20代でこんないいとこ住んで、恋人切らしたことねえくらいモテまくって、女の人と結婚だってできる。親に敷かれたレールの上歩くのが嫌だって言うけどあるだけましっすよ。何の期待もされねえ、自由って言えば聞こえはいいけどこれっぽっちも関心持たれねえ子どもは、それをする愛情すら与えられねぇんだから」
「――……」

 龍には中学生の弟がいる。しかしいわゆる種違いだ。子どもの眼にも両親の仲は冷え切っていて、龍が小学校にあがるまえに母が家を出ていった。勿論当時はそうは聞かされず、仕事だとか親戚の都合だとかで丸め込まれていたのだと思う。その後数年して何故か急に戻ってきた母は、弟のめぐむを連れていたのだ。

 明らかに不貞の子だとわかっているのに父は母を追い出さず、愛も家に置いた。ちゃんと養育費も払ったが露骨に腫れ物扱いした上にそのうち家に寄りつかなくなった。事情からすれば無理もないのだろうと龍も思う。我が子である龍さえも、そんな女と生した子だと顔を合わせるたびに存在するだけで父を苛んだのかもしれなかった。

 母は後ろ盾を得られない愛を溺愛し、ストレスを龍にぶつけた。いつからか食事に変な味や食感が混ざるようになったのだ。母は料理を仕事にしているほどの腕前だ。初めは自分の舌がおかしいのかと疑ったが、母が龍の皿にだけ何か入れているのを見て家でものを食べられなくなった。龍が痩せているのはこの頃の影響らしい。中学生になってからは一応母に断って自分で作るようにし、遅れていた成長もようやく取り戻せた。

 愛はとてもいい子だ。お兄ちゃんと呼んで龍に懐いてくれる。だが育った環境が悪すぎた所為で常に周囲の顔色を窺うところがあり、おどおどして、学校でもいじめられているらしかった。一度相談してくれたので児童カウンセリングでも受けさせようかと思ったのだがやはりというべきか母にばれて、たぶんそのうち声高に教師に訴えるだろう。弟は別の意味でひとりぼっちになる。それでも理不尽な目に遭わされるより孤立するほうがましだろうか。心配だが、何もさせてもらえない。

 しかし龍だって弟のことは言えないのだ。途轍もない爆弾を抱えている。大好きな兄がゲイと識ったら、愛の心はどうなるだろう。わからない。両親は離婚こそしてないが家はめちゃくちゃで、もとより早く出たくて仕方なかった。最悪な環境から逃避するように刹那的な関係に溺れて、縋りついて、努力を怠り現実や将来を見ようともしなかったつけが今まわってきている。
 
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