愛してしまうと思うんだ

ゆれ

文字の大きさ
上 下
18 / 69
彼岸にて

02

しおりを挟む
 
「塞くん駅からは近い?」
「余裕っす。俺は泳いでないんで、こいつ早く休ましてやってください」
「ありがとう」

 見事に緘黙して省エネを図っている龍の代わりに八色が礼を述べている。歩にも気遣いなんてできたんだな、嘘、なにげにいつも周りの人間に気を遣うタイプだ。A型だからと揶揄していたが実は羨んでいた。俺はそればっかりだな、と龍は唇を歪める。他人が羨ましくて仕様が無いのは、自分を好きになれないからだろうか。

 出会ったのは殆ど同時だった。なのにどうして八色は、歩でなく龍を選んだのだろう。わからないし尋ねたこともない。もし、龍との間に起きた奇跡みたいなものがふたりにも起きて、互いに想い合うような事態になってしまったら、歩がそうしてくれたように身を引くべきなのだろうか。

 目元がじわじわと熱を孕んで喉奥が鈍く疼いてくる。涙の気配に奥歯をきつく噛んだ。自分がろくでなしだからって、みんなもそうだと見做すのはやめたほうがいい。八色はそんなことしないし、歩だって、歩だって八色に好意をいだいたり、もっとはっきり劣情を掻き立てられたりしたのだろうか。龍が先に通じてしまったから、後出しでは言えなくなっただけで。

(そうかも)

 気を遣われたのだろうか。もしかして龍に迫るまえに、八色は歩にも――

「大丈夫か?」
「……え」

 どのくらい黙り込んでいたのか声は自分の耳にもひどく掠れていた。気づけば見慣れた最寄駅の近辺まで戻ってきていて、車は赤信号でつかまっている。八色の骨ばった指に頬をあやされて龍はかるくかぶりを振ると瞬きを繰り返した。

「なんかぼんやりしてんな」
「ちょっと疲れただけだから。平気」
「顔色が悪いぞ」
「冷えたんじゃねえ?」

 うしろから歩も乗り出してそう言う。指摘されるとそのような気もしてくるが、自覚症状は特になかった。もとより体温が低めなのもある。

「塞くん、悪いけど俺の上着取って」
「はい」

 キャメル色のスエードのジャケットは裏地がボアになっていて暖かい。身体にかけられると煙草と香水の匂いがふわっと漂って、龍は知らず頬をゆるめていた。やわらかい手触りのものが好きで、八色のファーコートやマフラーなども、つい無駄に手を這わせてしまう癖を識られている。子どもっぽいのでやめたいと思っているのだがやめられないのが癖というもの。

 番組のスポンサーに貰ったという気配があるほど大きなパンダのぬいぐるみも、今やほぼ龍の抱き枕と化していた。平日はいつも八色の帰宅は待たず先に寝ている。だから夜のうちに顔を見るのは珍しい感じがした。歩がいなければもっと素直に喜んでいたのに。なんだか今日は、今は、精神状態が自分でも悪いように思えて、できるだけおとなしくして早く帰って寝てしまおうと心に決めた。

 家まで送らなくていいのかと八色は繰り言したけれど、歩は明るく断って車を降りる。だいぶ小止みになっていたが傘をさす。

「じゃあ龍、休むなら連絡しろよ」
「おん」
「八色さんありがとうございました! おやすみなさーい」

 大きな透明傘の後ろ姿が去っていくのを見送っていると、ひょいと顎を掴まれて顔の向きを変えられ、唇を塞がれる。駅前通りでも悪天候ゆえか殆ど人けがなく酔っ払いのひとりも落ちてない。雨に降りこめられ、世界にふたりきりみたいだった。実際そんな都合のいいことはなく、警戒しなければならないのに弱っているのでつい享受してしまう。
 八色といて視線を感じることはよくある。そりゃこんな顔してればどこにいても目立つだろうが、姿を曖昧にしていてもの場合もある。当の本人は慣れてしまってスルーするのはよくない傾向だ。長いこと貪ってそっと離れていった彼が、ちいさく笑って龍のぽってりとした唇を指でぬぐう。

「表に出せるツラじゃねえな」
「……誰も見ねえし」

 気を付けなければならないのはあんたのほうだ。掌をあてられて頬が冷えているのに初めて気づく。やっぱり寒いのかもしれない。体温を求めてすり寄りたいのはやまやまだったけれど帰って布団に入ったほうが早い。八色もおなじことを考えたのか、若干ずり落ちたジャケットを龍の身体にかけ直して、ハザードランプを消し車を発進させた。

 歩に学校の話をされ、時間割について考えを走らせる。昼を挟んで2コマだったような気がするが、大事を取ってバイトは顔を出すにとどめるか、寝て起きてからの体調次第になりそうだ。どちらかと言うと頑丈なほうではあるけれど川に入るなんてしたことがないのでわからない。発熱云々と言われたのもちょっと恐ろしくて、あまり無理はしたくなかった。

 八色も理解してはくれると思うが、どうだろう。ちらっと目を投げて、存外虫の居所がよくなさそうなのにおやと眉を上げる。ついさっきまで普通だったのにステアリングを操る手つきはフラットだが口元がこわばっている。

「吸っていいすよ」
「――いや」

 ヤニ切れというわけでもないらしい。もっふぁ~の事務所ではよく外の喫煙所にいて、愛煙家の馨子も一緒になるのでますます噂が信憑性を帯びていたのだけれど。龍は勧められて気乗りした時しか嗜まないためマンションでは八色もベランダに出て吸うのだ。ハイエナどもにはそれが独りじゃない証拠と取られそうで、気にしなくていいと言ってはいるのだが。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

貢がせて、ハニー!

わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。 隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。 社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。 ※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8) ■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました! ■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。 ■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

【完結】お前らの目は節穴か?BLゲーム主人公の従者になりました!

MEIKO
BL
第12回BL大賞奨励賞いただきました!ありがとうございます。僕、エリオット・アノーは伯爵家嫡男の身分を隠して、公爵家令息のジュリアス・エドモアの従者をしている。事の発端は十歳の時…我慢の限界で田舎の領地から家出をして来た。もう戻る事はないと己の身分を捨て、心機一転王都へやって来たものの、現実は厳しく死にかける僕。薄汚い格好でフラフラと彷徨っている所を救ってくれたのが我らが坊ちゃま…ジュリアス様だ!坊ちゃまと初めて会った時、不思議な感覚を覚えた。そして突然閃く「ここって…もしかして、BLゲームの世界じゃない?おまけにジュリアス様が主人公だ!」 知らぬ間にBLゲームの中の名も無き登場人物に転生してしまっていた僕は、命の恩人である坊ちゃまを幸せにしようと奔走する。だけど何で?全然シナリオ通りじゃないんですけど? お気に入り&いいね&感想をいただけると嬉しいです!孤独な作業なので(笑)励みになります。 ※貴族的表現を使っていますが、別の世界です。ですのでそれにのっとっていない事がありますがご了承下さい。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

神さまに捧ぐ歌 〜推しからの溺愛は地雷です〜【完】

新羽梅衣
BL
平凡な大学生の吉良紡は今をときめくスーパーアイドル・東雲律の大ファン。およそ8年前のデビュー日、音楽番組で歌う律の姿を見て、テレビに釘付けになった日を今でも鮮明に覚えている。 歌うことが唯一の特技である紡は、同級生に勝手にオーディション番組に応募されてしまう。断ることが苦手な紡は渋々その番組に出演することに……。 緊張に押し潰されそうになりながら歌い切った紡の目に映ったのは、彼にとって神さまのような存在ともいえる律だった。夢見心地のまま「律と一緒に歌ってみたい」とインタビューに答える紡の言葉を聞いて、番組に退屈していた律は興味を持つ。 そして、番組を終えた紡が廊下を歩いていると、誰かが突然手を引いてーー…。 孤独なスーパーアイドルと、彼を神さまと崇める平凡な大学生。そんなふたりのラブストーリー。

処理中です...