愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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彼岸にて

02

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「塞くん駅からは近い?」
「余裕っす。俺は泳いでないんで、こいつ早く休ましてやってください」
「ありがとう」

 見事に緘黙して省エネを図っている龍の代わりに八色が礼を述べている。歩にも気遣いなんてできたんだな、嘘、なにげにいつも周りの人間に気を遣うタイプだ。A型だからと揶揄していたが実は羨んでいた。俺はそればっかりだな、と龍は唇を歪める。他人が羨ましくて仕様が無いのは、自分を好きになれないからだろうか。

 出会ったのは殆ど同時だった。なのにどうして八色は、歩でなく龍を選んだのだろう。わからないし尋ねたこともない。もし、龍との間に起きた奇跡みたいなものがふたりにも起きて、互いに想い合うような事態になってしまったら、歩がそうしてくれたように身を引くべきなのだろうか。

 目元がじわじわと熱を孕んで喉奥が鈍く疼いてくる。涙の気配に奥歯をきつく噛んだ。自分がろくでなしだからって、みんなもそうだと見做すのはやめたほうがいい。八色はそんなことしないし、歩だって、歩だって八色に好意をいだいたり、もっとはっきり劣情を掻き立てられたりしたのだろうか。龍が先に通じてしまったから、後出しでは言えなくなっただけで。

(そうかも)

 気を遣われたのだろうか。もしかして龍に迫るまえに、八色は歩にも――

「大丈夫か?」
「……え」

 どのくらい黙り込んでいたのか声は自分の耳にもひどく掠れていた。気づけば見慣れた最寄駅の近辺まで戻ってきていて、車は赤信号でつかまっている。八色の骨ばった指に頬をあやされて龍はかるくかぶりを振ると瞬きを繰り返した。

「なんかぼんやりしてんな」
「ちょっと疲れただけだから。平気」
「顔色が悪いぞ」
「冷えたんじゃねえ?」

 うしろから歩も乗り出してそう言う。指摘されるとそのような気もしてくるが、自覚症状は特になかった。もとより体温が低めなのもある。

「塞くん、悪いけど俺の上着取って」
「はい」

 キャメル色のスエードのジャケットは裏地がボアになっていて暖かい。身体にかけられると煙草と香水の匂いがふわっと漂って、龍は知らず頬をゆるめていた。やわらかい手触りのものが好きで、八色のファーコートやマフラーなども、つい無駄に手を這わせてしまう癖を識られている。子どもっぽいのでやめたいと思っているのだがやめられないのが癖というもの。

 番組のスポンサーに貰ったという気配があるほど大きなパンダのぬいぐるみも、今やほぼ龍の抱き枕と化していた。平日はいつも八色の帰宅は待たず先に寝ている。だから夜のうちに顔を見るのは珍しい感じがした。歩がいなければもっと素直に喜んでいたのに。なんだか今日は、今は、精神状態が自分でも悪いように思えて、できるだけおとなしくして早く帰って寝てしまおうと心に決めた。

 家まで送らなくていいのかと八色は繰り言したけれど、歩は明るく断って車を降りる。だいぶ小止みになっていたが傘をさす。

「じゃあ龍、休むなら連絡しろよ」
「おん」
「八色さんありがとうございました! おやすみなさーい」

 大きな透明傘の後ろ姿が去っていくのを見送っていると、ひょいと顎を掴まれて顔の向きを変えられ、唇を塞がれる。駅前通りでも悪天候ゆえか殆ど人けがなく酔っ払いのひとりも落ちてない。雨に降りこめられ、世界にふたりきりみたいだった。実際そんな都合のいいことはなく、警戒しなければならないのに弱っているのでつい享受してしまう。
 八色といて視線を感じることはよくある。そりゃこんな顔してればどこにいても目立つだろうが、姿を曖昧にしていてもの場合もある。当の本人は慣れてしまってスルーするのはよくない傾向だ。長いこと貪ってそっと離れていった彼が、ちいさく笑って龍のぽってりとした唇を指でぬぐう。

「表に出せるツラじゃねえな」
「……誰も見ねえし」

 気を付けなければならないのはあんたのほうだ。掌をあてられて頬が冷えているのに初めて気づく。やっぱり寒いのかもしれない。体温を求めてすり寄りたいのはやまやまだったけれど帰って布団に入ったほうが早い。八色もおなじことを考えたのか、若干ずり落ちたジャケットを龍の身体にかけ直して、ハザードランプを消し車を発進させた。

 歩に学校の話をされ、時間割について考えを走らせる。昼を挟んで2コマだったような気がするが、大事を取ってバイトは顔を出すにとどめるか、寝て起きてからの体調次第になりそうだ。どちらかと言うと頑丈なほうではあるけれど川に入るなんてしたことがないのでわからない。発熱云々と言われたのもちょっと恐ろしくて、あまり無理はしたくなかった。

 八色も理解してはくれると思うが、どうだろう。ちらっと目を投げて、存外虫の居所がよくなさそうなのにおやと眉を上げる。ついさっきまで普通だったのにステアリングを操る手つきはフラットだが口元がこわばっている。

「吸っていいすよ」
「――いや」

 ヤニ切れというわけでもないらしい。もっふぁ~の事務所ではよく外の喫煙所にいて、愛煙家の馨子も一緒になるのでますます噂が信憑性を帯びていたのだけれど。龍は勧められて気乗りした時しか嗜まないためマンションでは八色もベランダに出て吸うのだ。ハイエナどもにはそれが独りじゃない証拠と取られそうで、気にしなくていいと言ってはいるのだが。
 
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