愛してしまうと思うんだ

ゆれ

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幸せだったかどうか教えてくれない

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「……あっバカ龍!」

 うるさい、と心の声で返し龍はバッグとスマホと財布を一二三の傍に置き、ライトを押しつけて、マジックテープで留めるタイプのハーネスを腕に通した。なるべく顔はつけないようざぶざぶと川に入っていく。すぐに無謀と後悔したくなるほど流れは勢いがあった。身動きが取れないあの犬らしき生き物も、相当頑張っているのだとわかる。

 178センチある龍でもすこし行くと足が底につかなくなった。顔を上げた平泳ぎで行こうとしたが進まない。クロールにかえて、必死に冷たい水を掻く。遠くで「あっコンタクト落としたァ!!」と歩のわざとらしい雄叫びが聞こえた。するとどうしてか急に進みがよくなる。

 理屈はよくわからないがこの隙にと懸命に泳いでいく。ハーネスには5メートルの巻き取り式リードが繋いであった。命綱じゃないが片側は岸にいる一二三が握っている。水に入るのなんて久し振りで、冷たすぎるし服がまとわりついて動きづらい。子どもを助けようとして親が、という事故が起こるのも無理はないなと濁った水から何とか顔をそむけながら、龍はきょろきょろと周囲を見回した。

「いた、こっち!」

 腕を伸ばして、恐慌状態に陥っている白いものに素早くハーネスを取りつける。やっぱり犬だった。多少汚れているのだろうし夜なので色も判別がつかないが、何であろうと命には違いないので飛び込んでよかったと確信する。取り敢えずこの子が溺れる心配はなくなった。じょうずに犬掻きで泳ぐのを岸へ向かって押してやり、真ん中の深いところから根性で引き返してくると、一二三が屈んで水に何かしているのが見えた。

「……なるほどな」

 一時的に川の流れを止めてくれたのだ。そのために歩が女性の意識を逸らさせて。夜闇の御蔭でパッと見にはわかりづらい。地味なことならできるというわけなのだろうが、非常に助かった。一緒に流されてしまうかと思った。龍の足がついた時点でそっと魔法を解く。黒い水面をほんの細かな七色のチカチカした光がさあっと覆う。岸に戻ってから、立ち上がった一二三に「ありがとな」と礼を述べた。

 これが他に人の目がないと断言できる場所だったら、ふわふわと宙を浮く犬の姿が見られたのだろうか。そう思うと惜しい気もするが。くしゅっとひとつくしゃみをした龍に、いつになく顔をこわばらせて歩が寄ってくる。こいつは両目とも2.0の野生児だった筈。いったい何と言って親切な女性を誤魔化したのか、笑っているとデコピンされた。

「お・ま・え・は~~~~!!!」
「ハイハイごめんごめん」
「あーっしかも怪我して! この子は!!」
「……ほんとだ」

 一生懸命だったので気が付かなかった。パーカーの腕が、漂流物にでも引っ掛かったのかざくっと切れて血が滲んでいる。服を着ていたため見た目よりは浅い傷のようだ。ぴりぴりする程度なのであまり大袈裟にしないでほしい。

「あんたひとりの身体じゃないのよっ!」
「なんでオネェ……」
「あの、一応病院行ったほうがいいですよ」
「精神科っすかね?」
「いえ……そちらじゃなく」
「あっ俺か。すいません」
「ありがとうございます、そうします!」

 笑いをこらえている心優しい女性を、雨が降っているからとアパートの下まで送り届けてついでに一二三が記憶を消す。と言っても暗示をかけるようなものなので、数日経ってふと思い出したりはする場合もあるのだが記憶が曖昧になり、最後はまあいっかと忘れていくらしい。身体に負担が掛かるようなやり方ではないようなのでひとまず安心した。

 ずぶ濡れで正直犬が違って見えるけれど、耳は三角だし擦り切れた首輪は手配書のとおり紺地のチェック柄、タグにも名前が刻まれている。元気くんだ。

「……はあ、よかった」

 わしわし頭を撫でてやると真ん丸な瞳をすうっと細める。歩じゃないが天使みたい。素直に人間に従っているところからも見た感じも、悪質な虐待などの痕跡はないが君も一度病院で診てもらったほうがいいな。びちょびちょの身体を寄せ合うと、ちゃんとあたたかな温度がしみて鼻の奥がツンとした。こんなにも生きている。



 
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