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幸せだったかどうか教えてくれない
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しおりを挟むでもこの世の中にはそういった嗜好の持ち主もたしかに存在する。この間の八色の体験談を揺り返して仏頂面になった龍を、今度は歩のほうがあわあわして励ます。何を言われたところで厳然たる事実なのだから誰にもどうにもできなかった。激しく気に入らないしムカつくけれど、もう俺以外の誰にも姿を見せないでなんてサイコなことはくちが裂けても言えないし不可能だ。困らせるだけ。
わかっていた。自分は見えない恋人であることくらい。そのくせ心のどこかで、いつかは、次は、そうじゃなくなるかもしれないと馬鹿な期待をしていたのに我ながらびっくりした。そんな日は来やしない。知っている。あの家を出るのは誰かとじゃない、龍ひとりでだ。
(苦しい)
自分が中身までこんなに醜い人間だったなんて知りたくなかった。一二三も、龍も、すっかり黙り込んでしまい、歩も相手がいなくてはくちを噤むしかない。三人は葬式のような面持ちで川へ続く道をひたすら突き進んだ。
まだ雨を含んでいるような、ひんやりした空気を頬に感じつつ川沿いへ出た。一応車で入れるようにはなっているが草と砂利の広場はベンチのひとつもない。子ども達がボールで遊ぶには狭いし、本当に犬の散歩くらいしか利用されてなさそうだ。そしてこの時間だからわかるのだが、照明がすくなくて天気が悪いとだいぶ暗い。
黒々と流れる川の両脇に信号のない車道があり、小規模の朱い橋がかかっている。道路沿いに住宅も建ち並んでおり、向こう岸は保育園が見えて、この辺りも降りはしなくても歩くかもしれない。犬がうろついていたら目撃情報が寄せられそうだ。なんだか既に敗けを感じて遠い目をしていると、一二三も「いないかも」と呟くのが隣で聞こえる。
「気配とか感じる?」
「……須恵は魔法使いに対してちょっと誤解してる気がする」
「あー、そうかも。よくわかってねえ。何かの達人?のイメージだった」
「それターザンじゃねえの」
「何だって?」
もうわけがわからない。一日も終盤に差し掛かるとウィルパワーの欠乏から会話も散らかりがちだった。気を取り直してハンドライトを出し、一二三は飼い主に預かっているラッパのかたちをしたゴムのおもちゃも持って、階段から川辺に降りる。雨で滑りやすくなっているので彼女に手を貸しながら、龍はぬかるみを避けなるべく草の部分を踏んで歩く。
低い場所へ移動すると雨と土の匂いが強くなった。青い草の匂いも立ち込めている。地面に光をあて、動物の痕跡はないか念のためさがしてはみるけれど、あまり期待できそうではない。
「げんちゃーん」
「元気くーん、おーい」
人に馴れている犬なので呼び声も出して、背の高い草の隙間や溝の周辺まで覗き込む。段差がわずかしかないため川に入った可能性も考慮すべきなのだろうか。中腰の姿勢が疲れたので立ち上がってぼんやりそんなことを思っていると、視界の端に白っぽいものがちらつく。
それがもこもこしたアウターを羽織った女性と気づくや否や光の速さで歩が寄っていく。フットワークの軽さに感心する。「どうかされましたか?」と話し掛ける声が、いつもより二割増しで気取っていて龍は噴き出した。おなじくすこし離れたところで捜索に勤しんでいる一二三も肩を震わせているのが見える。
「いえ、あの、わたしすぐそこのアパートに住んでるんですけど……上から見てて、何か犬?が溺れてるみたいで……」
「えっ」
「でもどっか行っちゃったかも。今見えないなぁ」
周辺の商業施設や集合住宅の明かりを集めているとはいえ夜の川面は思いの外暗かった。事務所でもうちょっと大型のライトを借りてくればよかったと悔やむ。次からはそうしようと思うのはいいが、気になる証言に龍と一二三も川へ視線を移す。女性は黒縁眼鏡の奥で目を凝らしていた。視力に自信がないなら、見間違いの可能性も否定できないけれど。
「玉山、因みに魔法は」
「……夜で雨とはいえ誰が見てるかわからないから派手なことは無理」
ぽつぽつと再び落ちてきた。歩が自分の傘を女性に差しかけて、一緒に首を伸ばしたり縮めたりしている。龍はパーカーのフードをかぶった。
「あっあれです! ほらあそこ、あの白っぽいの!」
ぴょこっと水面から覗いたり沈んだりを繰り返しているが、増水した川にあってただ流れている様子はないので無機物ではなさそうだ。双眼鏡で確認し、間違いないとわかると居ても立っても居られなくなる。さがしてはいたけれど川の中とは予想してなかった。人生でも初めての状況に動転するなというほうが無理だ。
もしこの女性の他にも家の中から見ている人がいたら、全員の記憶を消してまわらなければならない手間を思うと一二三の言うように派手なことは駄目だ。彼女のおなじく切羽詰まった表情を見つめ、ごく普通に救け出す方法を考える。
「リードあったよな」
「うん、」
「玉山持ってて。あとこれ照らしててくれ」
「えっ?」
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