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ラブアンドライフ
01
しおりを挟む本当にそんなつもりじゃなかったから、初めてキスして、眸を覗き込み、いたずらっぽく「違った?」と訊かれた時はただただびっくりしてしまったのだ。
その日は歩と珍しく別行動で、体調を崩したか何かで龍だけ事務所に残っていた。女子の一二三も帰路に就いている。そんな遅い時間にすらりとした長身が「よお」と急に現れた。目当てと思われる馨子は既に帰宅しているのに変だなとは思ったのだ。世間話の相手を、近くにいたからなのか知らないが何故か龍が務める羽目になり、喋るくらいなら当たり障りなくできるようになっていたとはいえ、ふたりきりは初めてで、早く帰るか誰か加わってくれないものだろうかと内心困っていた。
しかし徐々に居残り人数は減っていき、時間も深くなって、そろそろ俺も出ないとまずいという段で、男のよくできた端整な造作が親密と呼んで差し支えないほど至近距離にあることに気が付いた。避けられなかった。もう触れてしまったあとで肩を押し返しても大した抵抗にはならなかった。
驚いているなりに自分の身に起こったことは把握したし多大なる誤解があると判断して、まずはそれをとかなければと龍は考えた。きっとこちらが悪いのだ。歩と出会った時もそうだったが正直上回る、ここまでの美形が近くにいることなんて滅多にないため、視線で追っていたのは否定できない。恥ずかしくて遅まきに頬が火照り、顔を上げていられなかったけれど何とかふんばって、わななく唇で弁解の言葉を絞り出した。
『いえ、……っていうかあの、すいません俺、彼氏いて』
『なんだ残念』
そう言いながら男はもう一回龍にキスをした。
この日のことをのちに“恋人”と言われたらたぶんその気にならなかったが“彼氏”と言われたので、押せばいけるかもと思ったと明かされて、つくづくモテる奴の思考回路はわからんと唸ったものだった。何が違うのか発言した龍にはさっぱりなのだ。勘が働いたのか確率の問題か、いずれにせよその判断基準には夥しい数の経験が肩の向こうに見えたため、油断せずにいようと気を引き締めた。
歩の目を盗んで重ねられた数々のキスは、裏切りの痛みと恋の熱の味がした。揺らがずにいられなかった。もうどうにもならないと終に決意して、三人で話し合って、結果現状に落ち着いた。一二三に咎められるのも道理だった。
「龍? 寝てねえか?」
「ん、大丈夫……」
擦りガラスの向こうから不意に声を掛けられて、返り事が自分の耳にも頼りなくなってしまった。案の定心配されて影が立ち去らずにとどまっている。本当に、気絶じゃなくただ物思いに耽っていただけなので、もう一度「すぐあがるから」と繋げるとようやく安心してくれたようだ。ゆらりと消えるのを見届けて、龍はふたたびとぷんと湯船に沈む。
駅まで一緒だった歩が別れ際に寄越した「くれぐれも彼ピによろしく」のひとことがまとわりついて離れない。言葉以上の意味があるのかないのか、疑りすぎだと思いたいけれどいつも言われているので判別がつかないのだ。
俺も仲良くしたいとか。
いっぺんでいいから味見させてよとか。
そのたびにぐらぐらと嫉妬をわかして龍がぶん殴るまでが流れになっているのだが、負い目のある身なのであんまりきつくも諌められない。くちで言うだけの相手にむきになるのも過敏かもしれない。どこまで本気なのか謎だけれど、歩は龍より全然容姿が整っているため不安で仕方なかった。
「……あーあ」
龍の彼氏が同級生から八つ年上の男性に代わってもう一年が経つ。なのにこんな初期段階の不良にまだ足を掬われているのだから笑ってしまう。それに敵は歩だけじゃない。むしろあの頃よりうんと胃の痛い事態に、どうしていいかわからないまま気づけば月日が流れていたというほうが正しい。
身の丈以上の人を手に入れるとこんな苦しめに遭うらしい。経験してみないとこればっかりはわからない。申し訳ないが歩の比じゃなかった。せっかく顔を合わせている時くらい、余計なことはごちゃごちゃ考えたくないのに現実が放っておいてくれない。恋の楽しい上澄みのみを吸えていたのは、やはりあの最初のキスのまえまでだったように思う。
家主が上背がある所為かバスタブが広くて、脚が伸ばせるのが嬉しくて脱け出す気を起こすのに時間がかかる。あの感じだと龍の用意しておいた遅めの夕食はもう終えているのだろう。デザートを欲して、手持ち無沙汰にうろうろしているのかと思うと可笑しかった。意地悪はせず、おもたくなった身体を微温湯から引き上げて洗い場を出る。
肌触りのいいふわふわのタオルで丁寧に水気を拭き取り、パジャマにしているTシャツと綿のゆったりした柄パンツを着て出ていくと八色はいなかった。見回してキッチンで水を飲む。洗い物は彼が片付けてくれていて、朝食用の米をちゃんとタイマーまでかけたか確認し、冷蔵庫も覗いてふむと頷いた。ここを管理するのはもう龍の役目になっている。
「遅せえぞ」
「ごめんごめん」
ベランダで煙草を吸っていたようだった。殆ど白に近い金髪は洗っただけでセットされてないからか、秀でた額が前髪に覆われいつもより印象を幼くしている。顔が良いとどんな髪型をしようと服装をしようと似合ってしまうもののようだ。八色は心のこもらない返答にむっとして、飲みさしの水を奪っていった。カーテンまでしっかり閉めた状態にならないかぎり龍は窓際に近づかない。
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