【R18】人の好みは説明できない

最終章 ジャックにはジルがいる

337 綺麗は汚い、汚いは綺麗 ⑤

　しばらく経ったある日、アリスちゃんにお誘いを受けた。

「ワカバ！　今度みんなと一緒にテートに行かない？」
「テートって、美術館？」
「そう！」

　テートは入場無料で有名な作品もたくさん取り揃えているけれど、予約しないと見られないものも多い。

「エリック・ギルの作品もテートにはたくさんあるんだ。僕は『浴する娘』という二枚の木版画が好きなんだけど、どちらも予約が必要だから、今回は見られなくてとても残念だよ」

　そう、ハジメくんは言う。

　作品と作者の関係についての講義を受け、一度本物を見てみたいと思ったものが私にはあった。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティが描いた「ベアタ・ベアトリクス」。イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが、夭折した永遠の女性ベアトリーチェのために書いた詩文集「新生」をモチーフにした絵だ。

　愁いを帯びた表情、永遠の眠りを表す白い芥子の花、愛と死の象徴としての赤い鳩、ベアトリーチェが亡くなった九時を指す日時計。全体的に静謐な雰囲気が漂っていて、抑えられた色調だからこそ、彼女に差すかすかな光が映える。

　ロセッティは女性関係が派手で、モデルを務めたほとんどの女性と関係を持ったと言われているし、特にウィリアム・モリスの妻との不倫は有名だ。ロセッティの妻、エリザベス・シダルは夫の不貞に苦しみ病んで、アヘンのオーバードーズで亡くなってしまった。「ベアタ・ベアトリクス」は、その亡くなった妻へ捧げられたもの。

　私はこれまでロセッティの経歴も作品もあまり好きではなかったし、彼がどんな気持ちでこの絵を描いたのかも、本当のところはわからない。けれど、不実な夫であったことに対する贖罪と、安らかに眠ってほしいという妻への思いは存在するように感じた。
　彼がどんな人物であったかは関係なく、この絵は美しい。



-------------------------

ベアタ・ベアトリクス
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dante_Gabriel_Rossetti_-_Beata_Beatrix,_1864-1870.jpg