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最終章 ジャックにはジルがいる

332 優しい夢を見る四月の魚 ⑤

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「渋沢くん、連休明けまでに英語の宣伝資料と指導案いくつか用意してくれないかな」
「はい?」
「私立の中高一貫校に営業に行ってきたんだけど、そういうのが欲しいって先生方が多くて。渋沢くんなら、いいもの準備してくれそうだからさ」

 僕の能力が買われている訳ではない。二年目でそこまで忙しくもなく、ペーペーだから断りにくい。おそらく、それだけの理由で声を掛けられたのだと思う。
 編集と営業は、基本的に仲が悪い。編集には教科書を作っているのは自分達だという、営業には現場の実情を知っていて売りこんでいるのは自分達だという、プライドがある。
 どちらも正しいからこそ、僕は相手を刺激して、関係を悪化させたくない。

「それ、中学英語じゃないと、駄目ですか? 私立の中高一貫校、国語科なら何校か面識がある先生がいるので、つなぎつけられそうですけど」

 僕が困って答えられずにいると、不意に仁科さんの声がした。

「高校でもいいけど、英語じゃないと」
「要は確実に売り込みたいんですよね?」
「英語は副教材も多いし、当たると大きいんだよ」
「僕は今、少し余裕がありますし、交渉は渋沢くんより得意ですよ。なにより、国語科の先生は、一度気に入ったら使い続けてくれます。今回はこっちから攻めてみません?」

 営業の男性はあまり納得のいっていない様子ではあったけど、じゃあ……と仁科さんと話をし始めた。
 最初は僕に振られた仕事だったのに、仁科さんに押し付けるような形になって、いいんだろうか。社会人として、仕事に責任を持つべきではないのか。

「渋沢くん、ちょっと」

 仁科さんに手招きされ、僕は廊下に出た。

「弟よ」
「僕のことですか?」
「他に誰がいるんだよ」

 ツッコんではいけなかった。面倒。

「旅行に行くんだろう? やるべき仕事はきちんと済ませているんだし、いきなり捻じ込んできた方が悪いんだから、罪悪感を覚えることはない」
「どうしてバレて……」
「二年目の考えることなんてお見通しだ。顔に書いてある。後のことは、有能で優しい兄に任せて、心置きなく休暇を楽しんでくるがいい」
「自分で優しいって言います?」
「他に言ってくれる人間がいないから自分で言うんだよ。後はなんとかしておくから、もう帰ってよし。土産は期待しとく」

 シニカルで淡々とした、でも信頼できる言葉。そんな仁科さんを、僕はこれまでタイミングを逃し続けていた名前で呼びたいと思った。

「ありがとうございます。……兄さん」

 僕の言葉を聞いて仁科さんは一瞬目を見開き、なんだか少し泣きそうな優しい笑顔を浮かべた。
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