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第九章 青天にいかずちが落ちる

252 「やめるはひるのつき」 ③

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「いいんじゃない? まだ時間あるし」
「はあ」

 あっさり認められた。僕が悩んでいた時間は、一体何だったんだろう。

「渋沢くん、『こころ』だと、ひたすら無難に仕上げてくるだろうなあと思ってたんだよね。幸か不幸か、参考になるような論文は、既に山のようにあるしね」

 宗岡先生はそう言って笑い、「まあ、『草枕』も大概たくさんあるけど」と付け足した。
 見抜かれている。「こころ」にそこまで思い入れはないから淡々と「作業」として進めてきたし、今後もそうする予定だった。宗岡先生はぼんやりしているようで、肝心なところは絶対に外さない。

「出さないよりはいいけども、それはいかにもつまらんでしょう。もちろん、こっちも、学部生の論文に新規性なんか求めていないし、むしろそんな簡単に新しい論が出せるなんて考える方が傲岸不遜だけども。でも、四年に一度くらい、全力で取り組んでみるのも悪くないでしょう」

 四年に一度。どこの閏年だろうか。
 閏年は四で割り切れる西暦の年。ただし、百で割り切れる年は閏年にならない。でも、四百で割り切れる年は再び閏年に戻る。つまり、二〇〇〇年は四百年に一度の特別な年。僕は二〇〇一年の早生まれだから、二〇〇〇年生まれの同級生がちょっとうらやましかった。
 宗岡先生は話し方がのんびりしているから、会話の合間に、つい、こういうくだらないことを考えてしまう。

「渋沢くんは、熱烈な恋に身を焦がすようなタイプにも、そこまで大きな葛藤があるタイプにも見えなかったから、『こころ』はどうかと思っていたけれど。なるほど『草枕』。渋沢くんは、芸術家だったのだねえ」

 若葉ちゃんに対して、僕なりに熱い想いは抱いていますけど。むしろ芸術の素養がないに等しいですが。
 宗岡先生はのんびりした口調で「わかったから、もう帰っていいよ」と僕に退室を促しかけ、一言追加した。

「ああ、恋で思い出した。『漱石は「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳した』と書くのはやめてね。あれ、今のところ出典不明だから」
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