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第九章 青天にいかずちが落ちる

225 卒業後はタブラ・ラーサ ⑥

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 たまに三浦先生から引き留められることがある。少し説明に時間がかかるお話がある時で、読んだ方がいい日本語の文献を紹介してくださったり、ちょっとした依頼をされたりする。
 研究室の書籍確認のバイトを頼まれた時は、ちょうどIELTSの試験と重なっていたからお断りして、代わりに新くんを紹介した。新くんは一年生の時にゼミ生だったから懐かしいとおっしゃっていたなあ。

 そんなことを考えている間に、三浦先生は紅茶を淹れてくださった。お茶うけはリーフパイ。どうぞと言われたので、遠慮なくいただく。サクリといい音がして、口の中に甘みとバターの風味がふわりと広がった。三浦先生の出してくださるお菓子は、いつも少し高級感があって、とてもおいしい。紅茶はマスカットフレーバーが爽やか。
 丁寧におもてなしいただくと、なんだか生き返る心地がする。私は自分で思っていたより、疲れていたのかもしれない。

「今日お引き留めした理由は、二つあります。一つは学会発表をしてみないかというおすすめです」
「学会発表……」
「そうです。北村さんはご自身の研究を一度きちんとまとめた形で発表する経験を積んだ方がいい。ゼミの発表は進捗報告なのでどうしても断片になりますし、それまでの発表を前提に説明します。一回で完結する発表の機会を持った方がいいと思いました」
「で、でも……」
「学会といっても、小規模でアットホームなものなので、気軽に」

 三浦先生がにっこり微笑むので、私は思わず、はいと頷いてしまった。

「もう一つは……」

 三浦先生の目線が鋭くなった気がして、なんだかどきりとする。ゼミでプレゼン上手の彼に指摘した時と、同じ眼。

「北村さん、不躾な質問で申し訳ないのですが、卒業後の進路は決めていますか?」
「……いいえ」

 やっぱり痛いところを突かれた。毎日充実しているし、目の前のことをがんばってもいる。それは確かなのだけど。
 私の卒業後は、まさに白紙だ。どうすればいいかわからなくて困っていることなんて、三浦先生にはお見通しだったのだろう。思わず下を向いてしまう。
 三浦先生はしばらく黙っておられたけれど、静かに私に語り掛けてきた。

「北村さん」
「はい……」
「イギリスに留学する気はありませんか?」

 ものすごくびっくりした時、人はまるで脈絡のないことを考えるものなのかもしれない。三浦先生の言葉を聞いた瞬間、私は入室時に流れていた曲名がなんだったかを思い出していた。
 ドボルザークの交響曲第九番、新世界より。
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