217 / 352
第八章 人の数だけ気持ちがある
216 さらばセンメルヴェイス ⑦
しおりを挟む
「片岡のこと、最初は、若葉ちゃんを委縮させた嫌な奴だって正直思ってたけど……。今は少しだけ、わかる気がする」
思わず渋沢の目を見る。眼鏡を掛けているのもあって、表情が読みにくい。それでなくても、渋沢は何を考えているのかよくわからなくて、正直苦手だ。
「大規模な感染症が流行って、しばらく外に出られなかっただろう」
「ああ」
「僕はネットばかり見ていた」
「俺も似たようなものだ」
「その頃よくエピソードを見かけた、センメルヴェイス・イグナーツみたいな感じなんだろうと思うようになった。手洗いの重要性を訴えたけど、言い方が厳しかったから、聞いてもらえなかった人」
正しいと思うから強く。
命がかかっていることだから厳しく。
でも、届かない。
「片岡の言っていることは正しい。でも、言葉が強いから拒絶される。『人を支配することなんてできない』なんて言われるんだろう。本当は支配なんて、しようとしていないのに」
最初、渋沢の挙げた人物と、学習漫画で読んだ人物が、すんなり結びつかなかった。おそらく、渋沢と着眼点が異なっていたのと、俺のなじんでいた表記が別のものだったからだ。俺が読んだ古い学習漫画では、ドイツ語に準じていたのだろう、「イグナッツ・ゼンメルワイス」と記載されていた。「センメルヴェイス・イグナーツ」は彼の母国ハンガリーでの呼び方に準じた表記。東洋の多くの国と同じく、ハンガリーでは名字が先にくるのだと、後で調べて初めて知った。
「若葉ちゃんはたくさんのものを差し出してくる。見返りを求めずに、何の疑問もなく。無理をしていることに、気づいてさえいない。あまりにも真っ直ぐで、時に、搾取しているような罪悪感を覚える」
若葉は俺の言うことにがんばって従おうとしていた。
上手くできなくてごめんなさい、そういう台詞をよく聞くようになって。
あんなに好きだった若葉の笑顔が、俺と一緒にいる時にはどんどん消えていっていることに気づいて。
自信を失わせているのが自分だとわかって。
俺は彼女を駄目にしてしまうのでは? そんな疑念が拭えなくなって。
だから、別れを選んだ。
「でも僕は、君と同じ過ちは犯さない。若葉ちゃんと幸せに過ごせるように全力を尽くす」
「……応援する」
渋沢との会話はそれで終わった。
思わず渋沢の目を見る。眼鏡を掛けているのもあって、表情が読みにくい。それでなくても、渋沢は何を考えているのかよくわからなくて、正直苦手だ。
「大規模な感染症が流行って、しばらく外に出られなかっただろう」
「ああ」
「僕はネットばかり見ていた」
「俺も似たようなものだ」
「その頃よくエピソードを見かけた、センメルヴェイス・イグナーツみたいな感じなんだろうと思うようになった。手洗いの重要性を訴えたけど、言い方が厳しかったから、聞いてもらえなかった人」
正しいと思うから強く。
命がかかっていることだから厳しく。
でも、届かない。
「片岡の言っていることは正しい。でも、言葉が強いから拒絶される。『人を支配することなんてできない』なんて言われるんだろう。本当は支配なんて、しようとしていないのに」
最初、渋沢の挙げた人物と、学習漫画で読んだ人物が、すんなり結びつかなかった。おそらく、渋沢と着眼点が異なっていたのと、俺のなじんでいた表記が別のものだったからだ。俺が読んだ古い学習漫画では、ドイツ語に準じていたのだろう、「イグナッツ・ゼンメルワイス」と記載されていた。「センメルヴェイス・イグナーツ」は彼の母国ハンガリーでの呼び方に準じた表記。東洋の多くの国と同じく、ハンガリーでは名字が先にくるのだと、後で調べて初めて知った。
「若葉ちゃんはたくさんのものを差し出してくる。見返りを求めずに、何の疑問もなく。無理をしていることに、気づいてさえいない。あまりにも真っ直ぐで、時に、搾取しているような罪悪感を覚える」
若葉は俺の言うことにがんばって従おうとしていた。
上手くできなくてごめんなさい、そういう台詞をよく聞くようになって。
あんなに好きだった若葉の笑顔が、俺と一緒にいる時にはどんどん消えていっていることに気づいて。
自信を失わせているのが自分だとわかって。
俺は彼女を駄目にしてしまうのでは? そんな疑念が拭えなくなって。
だから、別れを選んだ。
「でも僕は、君と同じ過ちは犯さない。若葉ちゃんと幸せに過ごせるように全力を尽くす」
「……応援する」
渋沢との会話はそれで終わった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
93
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる