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第八章 人の数だけ気持ちがある

179 神に愛されぬ者の遁走曲 ⑤

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 大学に合格し、一人暮らしを始めて、私はほっとした。これからは音楽にとらわれず、私自身の人生を過ごせばいい。
 バイトしたり、サークルに入ったり、大学生活を謳歌しよう。ちょうど新歓の時期だったので、各サークルがいろいろな催しをしていた。
 不意に映画研究部の看板が目に入った。

「アマデウス……」

 ちょうどもうすぐ上映が始まる時刻だった。思わずふらふらと会場に入る。
 「アマデウス」は天才モーツァルトに愛憎入り混じる感情を抱いた凡人サリエリの半生を描いた映画だ。
 アマデウス神に愛された者。どんなに渇望しても音楽の神髄にふれることができないサリエリに、私は感情移入した。
 どうして私は音楽に愛されなかったんだろう。

 空が悪い訳じゃない。むしろ空は私に遠慮していた。今ならわかる、リストの「タランテラ」を指定されて困った理由。私の十八番を私より上手く弾けるとわかっていたからだ。ああ、お前は音楽の神に愛された者だよ。

 私と空は仲が悪い訳じゃない。あのクリスマス以来、両親が空のピアノにかける比重が大きくなったから会うことは少なくなったけど、空は私と会うたびに嬉しそうにしてくれる。単に私が空の才能に嫉妬して、会いたくなくて、帰りたくないと思ってしまうだけだ。



 母からゴールデンウィークはいつから帰省するかと訊ねられたので、バイトがあると言った。バイトは連休の前日までしか入れていない。帰省したくなくて、嘘を吐いた。
 連休前最後のバイト終了後、スーパーに寄った。買いだめしたから、あとは部屋に引きこもって映画でも見よう。スーパーから帰宅途中に、クラクションを鳴らされた。

「玲美ちゃん!」
「北村さん……」

 若葉のお兄さんだ。四月の半ばに若葉から「家においでよ!」と誘われたから、のこのこ遊びに行ったら、お兄さんもいてびっくりした。一緒に住んでるとか、そういう重要な情報は最初に提示しろ。

「今から予定ある?」
「いえ、特には」
「晩飯食べた?」
「いえ、まだです」

 北村さんは口笛をヒュウと鳴らした。漫画みたいな行動を取る人だ。

「じゃあ、飯食いに行かない? 奢るから」
「え?」
「若葉は帰省してるし、一人で食べるより、一緒に食べる方がおいしいし!」
「はあ」
「よし! じゃあ、行こう!」

 そのまま拉致られた。バイト後でちょっと疲れていたから、判断力が鈍っていたかもしれない。
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