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第五章 今が一番よいタイミング

131 僕が彼女と行きたい場所 ④

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 がらりと引き戸を開けると、品のいい出汁の香りがした。食欲をそそられる。
 お店は満員だったけれど、ちょうど僕達が入ってた直後に食べ終えたお客さんがいたので、すぐに向かい合ったテーブル席に座ることができた。
 注文を取りに来たお店の人に訊ねてみると、エビ天蕎麦が有名なのだそうなので、二人ともエビ天蕎麦を頼むことにした。

「エビ天蕎麦、大好き! 楽しみ!」
「若葉ちゃんはエビ天、最後まで残すでしょう」
「うん。どうしてわかったの?」
「ごはん食べる時、いつも好きなものは最後まで取っておく派だなあと思って見てた」
「ばれてる!」

 若葉ちゃんはいつも、最後に手をつけるものを、とてもおいしそうに食べるのだ。見ていて思わず笑みがもれる。

「小学生の頃、先生に聞いた話、思い出した」
「どんなの?」
「うん。昔、エビ天蕎麦が大好きな人がいて、その人は好きなものを最後まで残す派だったから、いつもエビ天を最後に食べてたんだって」
「わかる、その気持ち!」

 若葉ちゃんは大きくうなずきながら同意する。可愛い。

「でも、ある日、蕎麦を食べてる最中に大地震が起きて、全て捨てて逃げなきゃならなくなった。食べられなかったエビ天が悔しくて、それからその人はエビ天を最初に食べるようになったんだって」
「ええっ! 悲しい!」

 若葉ちゃんはその人にひどく同情した表情を浮かべた。そして、この話にこれ以上のオチはない。先生も何を考えて小学生にそんな話をしたのか。

「新くんは、好きなものを先に食べる派? 後に残す派?」
「僕?」
「新くん、好き嫌いないから、よくわからなくて……」

 若葉ちゃんが僕のことを気に掛けてくれているのが嬉しくて、思わず口角が上がってしまう。

「僕はちょっとずつ食べる派。僕もエビ天好きだけど、最初は衣のサクッとした感じを楽しんで、途中で蕎麦と一緒に味わって、最後に出汁が滲みて少しふにゃっとしたのを堪能するのが好き」
「ああ、そっか! そうすればいろんな状態楽しめるね!」
「うん」

 僕はよく我慢強いと思われるけど、全くそんなことはない。その場その場の楽しみがないと耐えられないから、そうじゃない環境にいる時は、逃げることばかり考えている。自由に生きているように評される若葉ちゃんの方がよほど我慢強い。無理をさせないようにしなければと思う。
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