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第四章 走る前に歩くことを学べ

082 雨だれはショパンの音色 ①

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 急がなきゃ。
 玲美ちゃんとお昼を一緒に食べる約束をしたのだけれど、ゼミの三浦みうら先生との話が長引いてしまって。しかも、研究棟から食堂までのきがないのに、雨が降ってきたから、足さばきが悪い。

 動きは制限されてしまうけど、雨そのものは結構好き。しっとりした雰囲気が落ち着くし、お気に入りのアイボリーの長傘を差すと優雅な気分になる。歩くたびに揺れるタッセルが素敵なんだよね。
 そんなことを考えているうちに、食堂のある棟に着いたので、傘の雨を払った。弾かれる雨粒が綺麗で、思わず見とれる。
 だから玲美ちゃんを待たせているのに! 傘袋をかぶせ、食堂へ急ぐ。

 食堂を見回すと、窓際の席に玲美ちゃんはいた。
 黒のニットにグレーのロングスカート。玲美ちゃんの服は、黒・紺・グレーのどれかであることがほとんどだけど、地味じゃなくてシック。近くで見ると布の質のよさと縫製の美しさがわかるし、その三色は、彼女の白い肌と、少し明るめのくるりとした茶色い髪と、力強く光を放つ焦げ茶の瞳を際立たせる。今日もキャットラインが可愛い。

 タン、タタン。玲美ちゃんはぼんやり外を眺めながら、テーブルを指で叩いている。複雑で、でも軽やかな動きで、つい見とれてしまう。彼女はタイピングも速い。

「玲美ちゃんごめん! お待たせしました!」
「若葉」

 笑顔で名前を呼び返してくれたからほっとした。
 玲美ちゃんはぼんやりしている時に指を動かす癖がある。最初はイラついてるのかなと思っていたけれど、どうもそうではないみたい。私に気づいたら笑顔で接してくれるし、声も優しい。

「三浦先生に和訳と草稿見てもらったら、いっぱい赤入っちゃって」
「三浦先生、すごく面倒見がいいよね」
「うちのゼミ、真剣に研究する人と単位危ない人と、両極端だから」

 春休み中でも先生に見ていただいている私は、真剣にやっている方だとは思う。そして、お忙しい時間を縫って見てくださる先生には、感謝しかない。

「うちのゼミ、ついてこられない人間は容赦なく落としていくからなあ」
「エリート集団の相良さがらゼミで落ちていく人、いるんだ!」
「ゼミに出て来なくなるとヤバいって、先輩達も言ってる」

 玲美ちゃんが所属する美術史の相良ゼミは成績がいい人じゃないと入れないと評判だ。玲美ちゃんも学年で一、二を争うくらい成績がよくて、そのまま院に進むことをもう決めている。学芸員の資格と修士号を取って、ゆくゆくは親戚の画廊に雇ってもらう話が進んでいると聞いた。
 私は玲美ちゃんのようにきっちり将来のことを決めることがまだできずにいて、少し焦ってしまう。

「お昼。買いに行こう」
「うん!」

 玲美ちゃんが立ち上がったので、向かいの席に荷物を置いて、売り場に向かった。
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