【R18】きっかけはどうでも

テキイチ

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本編・きっかけはどうでも

25 Track Down ①

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 三浦先生は濃くなった紅茶をミルクティーにするのがお好きだ。レンジで温めた牛乳とほんの少し砂糖を入れ、スプーンで丁寧にかき混ぜる。ああ、所作が美しい。

「どうかなさいましたか?」

 じっと見つめていたことに気づかれてしまった。

「あ……。不躾で申し訳ありません。その、混ぜ方が私とは違うので、気になっていたんです。三浦先生はぐるぐる回さないんですね」

 先生は円を描くように混ぜるのではなく、前後に切るように撹拌する。優雅で、洗練された動きに見えて、興味深かった。

「ああ、なるほど」

 ああ、先生は浮かべる笑みも優雅だ。

「テレビで見たんですけど、こうすると対流が起こるから綺麗に混ざりやすいんだそうです。僕も以前はぐるぐる回していたんですが、それではあまり混ざらないらしくて。紅茶と牛乳が追いかけっこになるからですかね?」

 カップの上で、先生の指がゆっくり数周、円を描く。

 ぐるぐる回っても、混ざらない。



 先生の「研究を自分との戦いだとしか考えない人間は見逃すものがある」という言葉が引っかかったのは、以前の職場を思い出したからだ。「研究」を「仕事」に変えれば、そのまま失敗した過去の私になる。

 何事も三手先まで考えること。不測の事態なんて本当はそんなにない。「大事故が1件起きる前に29件の軽事故と300件のひやりとする事例が既に発生している」なんてよく言われるけれど、これは「前触れの段階で対策を講じれば98%防げる」と解釈した方がいい。いざという時すぐ対応できるように、準備を怠ってはならない。

 問い合わせがクレームにならないように。何かあった後は必ずそれまで以上に丁寧に対応しなければならない。問い合わせがあった時点で既に信用を失いかけているんだから。
 備品と消耗品の整備は基本。誰かがやるじゃなくて、率先して補充するように。

 働き始めてからずっとこんな風に考えて生きてきたし、役職がついてからは部下にもよく言い聞かせたことだ。上司や取引先からは評価されていたと思う。
 でも、同僚や部下からは少し煙たがられていた気がしていた。役に立つかわからないものにまで気を回すのは無駄では、そこまで神経を使わなくてもいいんじゃないか。そんな風に。
 きちんと準備しないと仕事にならないし、相手にも誠意が伝わりにくくなる。なぜ少しの努力を怠って、改善しようとしないんだろう。私はそう思えてならなかったけれど。

 有給消化中に忘れ物を取りに元の職場に行った。普段忘れ物なんかする人間じゃないから、気づくのが遅れたのだ。
 私がいないと職場は回らないと思っていた。
 けれども実際は、全然問題なく、職場は回ってる。オフィスはなんだか雑然としていたけれど、みんなの表情はむしろ活き活きして見えた。
 会社での評価は高かったと思う。でも、私が必死に守ってきたものには、何の意味もなかったのでは。そう思えて仕方なくて、なんだか胸が苦しくなった。
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