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本編・きっかけはどうでも
16 Repeat ④
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ひどくゆっくりドアが開く。
「その……。院のゼミだったんですが、当の院生が来なくて、休講にせざるを得なくなって……」
先生は困ったように言いながら中へ入ってくる。
「先生! チェック終わりました!」
彩ちゃんがすかさず元気よく報告する。
「それは早いですね」
「ちなみに、どこらへんから聞いておられましたかー?」
悪びれもせず彩ちゃんは訊ねる。そういう切り返しは私にはできないから感心する。
「『薬の売人は薬をやらない』あたりから。恥ずかしいじゃないですか」
彩ちゃんが私に先生を推していたところは聞かれなかったようで、ほっとする。
「作業も終わったし、私、サークルがあるんで! 失礼しまっす!」
「え、ちょ、彩ちゃん……」
「はいはい。おつかれさま」
彩ちゃんがそそくさと出て行ってしまって、大変気まずい。
世間話が全然得意じゃないのだ。仕事の話ならなんとかなっても、普通の話は全然できない。……いや、これは仕事だ。自分が今ここにいるのは仕事のためだということを、正直忘れていた。
「『薬の売人は薬をやらない』、笑ってしまいました。私もいざとなれば女子学生って手があるんじゃないかと思ったので」
もう、それしか思い浮かばなかったので、ネタにしてしまうことにした。気まずい沈黙が流れ続けるよりも、いくらかましな気がしたので。
「飲み会の雰囲気を悪くするのもどうかと思ったので、ネタで返しましたけど。本当に絶対なしです、学生は」
私の言葉に対し、先生が真剣に返してきてびっくりした。
「今、大学教員が最も恐れていることの一つだと思います。学生からセクハラで訴えられること」
「確かに、新聞やテレビのニュースでも、たまに見かけますよね」
「そういうことがないように、僕は女子学生と二人きりにならないようにしていますし、やむを得ず研究室で話をしなければならなくなった時は、必ずドアを少し開けておきます」
「徹底してるんですね」
三浦先生はあたりがやわらかい。でも、引くべき一線は引いてるんだ。
「今までバイトに雇うのも男子学生ばかりだったんですが、正直、僕のゼミを選ぶ学生は能力の差が激しくて。要領のいい学生は大抵もう他のところで割のいいバイトをしているので、事務作業が得意ではないけど人のいい学生に頼むことになりがちで……。僕が的確な指示を出せれば、きっと彼らも上手く動いてくれたんでしょうけど」
バイト初日に見た、Wordのみで作成されたアンケートまとめを思い出した。手を抜いてあんな風になったのではなく、できる限りがんばってあれだったのかもしれない。
「だから、とても助かってるんです。律さんにバイトを引き受けていただけて。ほとんど指示を出さなくても、効率のよい方法をご自分で考えてくださるし、今日も急遽午後までお願いしたのに、快く引き受けてくださって」
「まあ、時間だけはあるので」
「……お時間、ありますか?」
「はい?」
先生の言葉に何か含みを感じ、思わず問い返す。
「ゼミが休講になって僕も時間ができたので、よろしければ夕飯にお付き合いいただけませんか? 一人で食べるよりも、誰かと一緒に食べる方がおいしいので」
そう言って、先生は私に微笑みかけた。
「その……。院のゼミだったんですが、当の院生が来なくて、休講にせざるを得なくなって……」
先生は困ったように言いながら中へ入ってくる。
「先生! チェック終わりました!」
彩ちゃんがすかさず元気よく報告する。
「それは早いですね」
「ちなみに、どこらへんから聞いておられましたかー?」
悪びれもせず彩ちゃんは訊ねる。そういう切り返しは私にはできないから感心する。
「『薬の売人は薬をやらない』あたりから。恥ずかしいじゃないですか」
彩ちゃんが私に先生を推していたところは聞かれなかったようで、ほっとする。
「作業も終わったし、私、サークルがあるんで! 失礼しまっす!」
「え、ちょ、彩ちゃん……」
「はいはい。おつかれさま」
彩ちゃんがそそくさと出て行ってしまって、大変気まずい。
世間話が全然得意じゃないのだ。仕事の話ならなんとかなっても、普通の話は全然できない。……いや、これは仕事だ。自分が今ここにいるのは仕事のためだということを、正直忘れていた。
「『薬の売人は薬をやらない』、笑ってしまいました。私もいざとなれば女子学生って手があるんじゃないかと思ったので」
もう、それしか思い浮かばなかったので、ネタにしてしまうことにした。気まずい沈黙が流れ続けるよりも、いくらかましな気がしたので。
「飲み会の雰囲気を悪くするのもどうかと思ったので、ネタで返しましたけど。本当に絶対なしです、学生は」
私の言葉に対し、先生が真剣に返してきてびっくりした。
「今、大学教員が最も恐れていることの一つだと思います。学生からセクハラで訴えられること」
「確かに、新聞やテレビのニュースでも、たまに見かけますよね」
「そういうことがないように、僕は女子学生と二人きりにならないようにしていますし、やむを得ず研究室で話をしなければならなくなった時は、必ずドアを少し開けておきます」
「徹底してるんですね」
三浦先生はあたりがやわらかい。でも、引くべき一線は引いてるんだ。
「今までバイトに雇うのも男子学生ばかりだったんですが、正直、僕のゼミを選ぶ学生は能力の差が激しくて。要領のいい学生は大抵もう他のところで割のいいバイトをしているので、事務作業が得意ではないけど人のいい学生に頼むことになりがちで……。僕が的確な指示を出せれば、きっと彼らも上手く動いてくれたんでしょうけど」
バイト初日に見た、Wordのみで作成されたアンケートまとめを思い出した。手を抜いてあんな風になったのではなく、できる限りがんばってあれだったのかもしれない。
「だから、とても助かってるんです。律さんにバイトを引き受けていただけて。ほとんど指示を出さなくても、効率のよい方法をご自分で考えてくださるし、今日も急遽午後までお願いしたのに、快く引き受けてくださって」
「まあ、時間だけはあるので」
「……お時間、ありますか?」
「はい?」
先生の言葉に何か含みを感じ、思わず問い返す。
「ゼミが休講になって僕も時間ができたので、よろしければ夕飯にお付き合いいただけませんか? 一人で食べるよりも、誰かと一緒に食べる方がおいしいので」
そう言って、先生は私に微笑みかけた。
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