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このたび入籍により加賀見出雲となりました②

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 それは、本音なのだろうか。それとも人と関わることの喜びを見出そうとしているのだろうか。
 俺は素直に頷くことができなくて、目を伏せて曖昧に笑った。
 ボックス席なのに片側のシートに並んで座って寄り添い合ってる俺たちを、通路を通り過ぎる男女のカップルが意味ありげにじろじろと見ている。気にすることはない。そもそもこんなにイチャイチャしていたら男女のカップルだって咎められるだろう。俺も独り身なら気になっていたかも。羨ましいなぁ、なんて。
 でも先生は伏せた目の原因をその他人の目だと勘違いしてしまったらしい。
 首を傾けて顔を覗きこみながら、目元の前髪を指先で退ける。
「恥ずかしい?」
「いいえ……幸せです」
「そう。よかった。君のこと……自慢して、歩きたいね」
「抱っこして帰りますか?」
「それもいいね」
 本当にそうできたらいいのに。
 このあと俺は仕事が入っているため一緒に帰ることはできない。そのためお店から徒歩五分ほどのこの喫茶店まで、玲児くんたちに来てもらった。
 先生の元から離れて路彦さんのところに行くわけだ。
 二人揃って静かにテーブルの上を眺めてる。先生が煙草に火を点ける。眠る前にまだ少しだけ残っていたグラスに注がれたアイスティーは、氷が溶けて色水のようになっており、もう飲めたものではなさそうだった。
「店まで、送る」
 そのまま言葉を何も交わさないまま、先生が煙草を灰皿に押し付けるのを合図に、俺たちは店を後にする。
 道路沿いにまっすぐ伸びた歩道を歩いている間も会話はなくて。
 路彦さんの店に近づくに連れて、互いの手を握る力が強くなる。
「君が、寝ているとき……言われた。店で働かせていて、いいのかって。君と彼は一緒に暮らしていたし、彼は君を……好きだから」
 やっと聞こえてきた声は、いつものゆったりとした話し方ともまた違う、言うかどうかを、話し始めてもまだ躊躇っているような、不安定なゆらめきがあった。
「大鳥たちは知らない。彼が、君にしたこと。それでも、言われた」
 したこと、じゃない。してること、だ。
「いいんだよね? 出雲」
 自分の感覚だけではなく“一般的に”考えても、許容しなくていいことだと先生は気づいているのに、まだ俺に聞いてくる。いい子で可哀想な先生。
「閉じ込めたくなりました?」
 そんな先生は俺が提示するあまりに極端な選択肢に戸惑い、わずかに首を横に振るしかしない。
 今夜もお店に行って、路彦さんに抱かれるのか。
 ちょうど店が見えてくる頃だ。繋いでいた手を離して一歩前に出る。俺の背中を先生はどんな顔で、どんな気持ちで見ているのだろう。
 もっと強く引き止めればいいのに。
 どこかに行ってしまうかもしれないのに。
 先生みたいに消えてしまうかもしれないのに。
 俺はこんなに先生のことを求めていて、先生は俺のことを愛してくれているのに、なんでこんなに噛み合わないのだろう。先生が“ふつうの生活”に慣れてしまったら、今度は俺が“ふつうの生活”ができなくなって。今だったら絶対、外へお買い物に行きたいとか、馬鹿なこと言わないのに。
 早く路彦さんに会いたい。
 あの人に抱かれるのは嫌だけど安心する。俺に夢を見ていないから安心する。
 ああ、えっちしたい。早くえっちしたい。身体の奥が疼いて何も考えられなくなる。考えなくてよくなる。
 先生にバレたい。叱られたい。中に出してもらってから帰ろうかな。
 お店にもう、着いてしまう。
 今日の手書き看板には何を書こう。イラストはひなさんにお願いして、今週の週末限定メニューは確か……なんだっけ。最近物覚えが悪い。
「みなわさん」
 振り返って、もう一度愛しい手に自分の指を絡める。俺が握ったあと、その手をふんわりと包むように先生が握り返してくれた。
 少しは楽しい気分を残して見送られたい。
「養子縁組届、いつ出しましょうか。次のお休みは……」
「大学卒業……したあと」
「え?」
「卒業、できそう?」
 首を傾げて柔らかい表情で問いかける先生に、俺は満面の笑みを向けた。
「もちろん」
 できるわけないじゃないですか。
 あーあ。俺、先生の養子にもなれないんだ。
 もっと真面目に大学に通っていれば良かった。二ヶ月も路彦さんに束縛される生活を送るなんて計算に入れてなかった。就活しないつもりでも四年になるまでに余裕を持って単位を取っておけばよかった。
 先生は俺のことどこまで把握しているんだろう。
 何をしていいかもわからず勉強ばかりしていた頃と違って、今の俺ってちゃんと馬鹿なんですよ。馬鹿の癖に平気でサボったりしちゃうんですよ。そんなこと口が裂けても言えないけれど。こんなにだらしない人間だってバレたら嫌われちゃう。
 先生の求める俺ってなんだろう。
 本当に自由に生きてよかったのかな。
 品が良くて?
 真面目で?
 賢くて?
 さらには素直で、程よく物を知らなくて、でもエッチなことが大好きで。
 羅列してるだけでそんなの幻想だと心が萎んでく。
 一生そんな人間でいられるわけないじゃないですか。
「帰りは……迎えに来る。お酒飲み過ぎちゃ、だめだよ?」
 元気に頷いて、手を振って、笑顔でお別れ。先生がまだこちらを見ているのがわかっているのに俺はわざと、店ではなく路彦さんの部屋があるアパートの二階へ向かう階段を駆け上がった。
 振り向かない。振り向かないと決めたけど、横目でこっそり、店の前に立っている先生を見下ろす。
 しかしすでに先生の姿はなく、見えたのは通行人が行き交う姿だけだった。




「あら、そんなこと考えてたの? ならまだまだアンタは真面目よ。もっと腐っちゃえばいいのに」
 休憩前に飲んだお酒で頭がくらくらする。悲しくて、泣きじゃくって、気持ち悪くて、気持ち良くて。
 お酒でたぷたぷした嫌な感じがするお腹を深く抉られてる。
「ひっぐ……う、うぇっ……まじめじゃ、ないれす、あ、あーっ、まじめじゃぁっ……ない、もん……」
 慣れ親しんだシングルベッドがギッシギッシと派手に音を立てる。こんなに激しくしたら下にいるお客様達にバレてしまいそう。でもここの下は休憩室とキッチンか。だったらもう手遅れだからいいかな。
 先生に嫌われたら嫌だ、捨てられたくない、先生は本当の俺なんか好きじゃないんだ。
 酔って嘆く俺をあやすみたいに、頭をたくさん撫でられて、上からぎゅうっと抱きしめられている自分はめちゃくちゃだ。
 今一番、自分が最低なことをしているじゃないか。
 今一番、嫌われるようなことをしているじゃないか。
 でもこうしていれば、先生が嫉妬して俺を閉じ込めてくれるだろうから。
 幻想が崩れる前にもっと可哀想な俺になって、頭のイカれた俺になって、早くあの部屋に閉じ込められたい。
 でもその前に嫌われてしまうことはないのかな。幻滅されてしまうことはないのかな。
 考えようと思っても、気持ちが良くて、よくわからなくなる。
 中に出してってお願いをするのも忘れて、精液はお腹の上に出された。あったかくて安心する。人肌より、ほんの少しだけ熱いかな。心地いい温度。
「先にお店出てるわ。ゆっくり休んでからおりてらっしゃい」
 指一つ動かさず、ぼぉっと壁か窓か、よくわからないけれど目に映るものをただ見るともせず見ていたその空間に、声が響く。靄がかかっているみたいに遠い。返事も何もせず、ただ去っていく音だけを耳が勝手に拾う。
 さっきまであんなに気持ちよかったのに途端に気持ち悪い。
 汗に濡れた肌は自分のものかあの人のものなのかわからない。体温が残ってる。精液の臭いが鼻をつく。くさい。汚い。気持ち悪い。
 お酒を飲んでるのも相まって吐きそうなのに吐くこともできなくて、ちょっとだけえずく。なにも上手くできない。
 吐き気が嗚咽に変わる。少しだけ泣いたら、お店に戻ろう。キョウくんを演じよう。




 先生の車に乗るのは、大好き。
 くたくたに疲れ仕事を終えて、店の前に先生の車があると本当にテンションが上がる。よたよたと千鳥足だったのが嘘みたいに、助手席の扉まで走って中へ飛び込む。
「せんせぇー!」
「お疲れさま」
「ちゅーしてくらさい」
「酔ってるね」
 でも先生は呆れながらもちゃんとキスしてくれる。
「出雲……シートベルト」
「もーっとちゅうしたいです……」
「お店の人、まだいる」
「やです、ちゅうしてくれるまでシートベルトしませんっ! ぺろぺろするちゅーがいい……」
 別に誰が見てたってなんだって関係ない。俺と先生は恋人同士なのだから、堂々としていればいいのだ。
 あれ? 養子縁組を組んだら親子だから堂々とキスしたらいけないのかな? でも親子だからたくさん甘えてもいい? その頃には監禁してもらってるだろうからなんでもいいや。
 とにかく今キスしたい。
 先生は冷静な様子で俺を見つめていたけれど、急にふふっと吹き出して笑った。助手席から身を乗り出して唇を突き出して、先生に迫る俺は間抜けだっただろうか。
「せんせぇ……なんで笑うんですかぁ……」
「ううん。くち、開けて」
 後頭部に手が添えられる。いざえっちなキスしてもらえるとなると恥ずかしくなってきて、お酒臭いかもとか、色々気になってしまって。自分から誘ったくせに、そっと、小さく唇を開く。
 上唇、下唇の順番で、先生の唇に挟まれて、舌が滑り込んでくる。気持ちよくて下半身がとろけていく。
 くちゅくちゅと舌が絡む音と、先生が耳を撫で、ピアスを揺らす音が重なる。耳の奥も気持ちいい。たくさんたくさん、気持ちいい。
 外の音は聞こえる。人々や車が通り過ぎていくのもちゃんと見える。
 でも、車の中にいると全部が実際よりも遠く感じて、ここだけ別世界みたいだ。
 外とは遮断された場所。俺と先生だけの場所。
 人が見えるから、見えているのに壁があるから、先生の部屋にいるのとはまた違う心地よさがある。
「そんなエッチな、顔をして……だめだよ?」
 唇が離れて、先生が俺の頬を撫でる。俺の顔が熱いのか、いつもより冷たく感じる先生の手。
「せんせぇ……おれ、はやく先生のむすこになりたいです」
「うん?」
「いまから、届け出し行く……いますぐ、むすこなる……」
「シートベルトする、約束だよ?」
「やだぁ……」
「仕方のない子だな」
 しゅる、とシートベルトの外れる音がする。俺まだつけてないのになぁ、なんて考えていたら、先生が身を乗り出してきて、俺の座る助手席のシートベルトを掴む。
「あ、やだ、だめ、せんせいのばかぁっ!」
「先生で、いいの?」
「ぱぱ……?」
「……お嫁さんに、なってくれるんだよね?」
カチャン、とシートベルトが締められて、片膝を座席に着いている先生に見下されて……額に唇が落とされる。
「みなわさん……」
「正解。いい子だね」

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