疼いて疼いて仕方ないのに先生が手を出してくれない

松原 慎

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閑話・番外編

苦みを二人で甘くしよう ※先生視点

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 昼休みになった途端に何だか廊下がいつもより賑わっているなと思ったら、大きなボストンバッグに紙袋まで提げて大鳥がやってきた。通学用の鞄とは違うだろうそのバッグに首を傾げていたら大鳥は紙袋を一つ事務机の横に置いた。 
「コレ。出雲に土産」
 何かと紙袋を覗きこめば、包装紙にリボンで装飾された箱が大量に入っている。
「え……なに? お菓子?」
「チョコだよ、チョコ。今日バレンタインだろ。もしかして加賀見、一つももらってねぇの?」
「ああ……そんな行事、あったね?」
「手作りのやつは入ってねぇから持ってけよ。食いきれねぇよ。二人で食って」
 箱の一つを手に取り、賞味期限を確認する。それなりに長いからワインと一緒につまめばいいか。
 ボストンバッグの中身も全部チョコレートなのだろう。登校すれば校舎にいる女子生徒まで窓を開けて黄色い声援あげ、廊下を一歩進むごとに名前を呼ばれるくらいモテてしまうのも問題だな。
 重い重いと文句を垂れながらボストンバッグを床に置いた時、ドゴッとかなりの重量を感じさせる音がした。肩をさすりながらソファに座るのを見て、帰らないのかとため息をつきながらパンを齧る。
「今日は出雲の弁当じゃねぇの?」
「寝坊、してた」
「珍しいこともあるもんだな。いつも寝起きバッチリじゃん」
「うん? あの子……朝、弱いよ?」
「マジで? いつも俺が起きた時には身なり完璧、朝ごはんもできてたからそんなイメージねぇわ」
 逆に僕には大鳥の言うイメージがない。布団の中で覚醒したあともゆっくりとした瞬きを繰り返しながらぽーっとして、やっと寝返りを打ったかと思えば掛け布団の中でふにゃふにゃと身動いでまた寝入ってしまいそうな可愛い姿を思い出す。暫くして僕の視線に気がついて“せんせい、おはようございます”と柔らかな発音でする挨拶もとても可愛らしい。
「大鳥は、知らないんだね」
「あー? なんだよ」
「ううん」
 僕と出雲が過ごしている時間はまだ短いけれど、一年以上も続いた関係にも勝るものがあるのは素直に嬉しい。あの姿は僕のものだから大鳥には内緒にしておこう。
 一人で口元を綻ばす僕に大鳥が何か言いかけた時、数人分の足音とともにガラリと扉の開く音が響いた。
 大鳥と揃って扉へ目を向ければ女子生徒が四人ほど、紙袋の中にあるようなリボン付きの箱を持って立っていた。
「みなちゃん、チョコ持ってきたよー! って、え?! 隼人くんだ! 今日会えるなんて奇跡じゃん! 隼人くん、このチョコもらって! みなちゃんごめんね!」
 きゃっきゃっと軽いノリで僕に挨拶してきた女子生徒たちは大鳥がいるのを目視すると途端にザワつきはじめ、手にしていたチョコレートと思われる包みを興奮した様子で大鳥に渡して走り去っていった。ごめんねと言われてもと思いつつ、大鳥と顔を見合わせる。
「あー…………いる?」
「いらない」
「でもこれ、みなちゃんのチョコだろ?」
「君にもらったのも、食べ切れるかわからないし」
 自分がもらう予定だったチョコレートが他の男に吸い寄せられる瞬間を見るとは、なかなか面白い体験をした。それに大鳥からもらったものも僕の元に来る予定だったものも、同じチョコレートなのだから別にどちらでもいい。
「ま、いっか。みなちゃんがチョコもらってきたら出雲が妬くだろうしな」
「そう……なの? 妬かれた?」
 出雲が妬いてくれるならもらっておいたほうが良かったかな? と聞いてみれば、大鳥は昨年のバレンタインを思い出したのか、ぶるりと身震いをして顔を顰めた。
「去年食いきれねぇって渡したチョコ、全部溶かして別のものが錬成されてた時はちょっと怖かった」
「別のもの? どういうこと?」
「ニコニコしながら受け取るからなんも思ってねぇと思うじゃん? そしたら全部溶かしてそれで別のチョコ大量に作ってこんなものいりませんって笑顔で返されたんだぜ?」
 なんでそんな面倒臭いことをするのかと疑問に思ったが、チョコレートへの八つ当たりなのだろうか。売っているものより出雲が作ってくれた方が嬉しいし美味しそうだし、僕がそれをされたら喜んでしまうな。しかし大鳥がそれを怖いと感じたのならきっと出雲は怒っていたのだろうし、喜べば怒られてしまうのだろうか。それとも他の者からもったものではなく、自分が作ったもので喜べばそれで満足するのだろうか。難しい心理だ。
「それ、食べた?」
「寧ろ俺が去年バレンタインに食べたチョコはそれだけだよ」
「食べて、喜ぶの?」
「いや? 食べても別に機嫌が良くなるとかじゃねぇけどさ、食わないともっと怒るだろ」
「ふぅ……ん? よくわからないな……」
 首を傾げながらメロンパンをカフェオレで流し込む。最近は出雲が朝作ってくれたコーヒーを水筒にいれて持ってきていたので、ペットボトルのカフェオレがやたらと甘く感じた。甘いものは好きなのに不思議だ。
「反応見てみたいならさ、それ。その紙袋の自分がもらってきたって言ってみれば」
「なんで?」
「みなちゃんが学校で実は女子生徒にモテモテだったって知ったらヤキモチ妬くだろ」
「君……その呼び名、定着させる気?」
「あー、みなちゃんって呼ばれてるの教えた方が妬くかもな」
 ヤキモチ妬くところが見たいような、面倒臭いような。怒るところは可愛いのだが、しつこくなにか聞かれたりするのは嫌なので微妙なところだ。チョコレートをもらったと言って、大鳥にもらったとすぐに種明かしをすれば調度いいか。
「それにしても……君は、出雲のこと……大事にしてたんだね」
「あぁ? どこがだよ」
「出雲が作り直したのだけ、食べたのだから」
 僕としてはそれが面白くない。大鳥が出雲に何の気もないからこうして会話しているが、その気があったなら話は違ってくる。
「怒らせといたら面倒だろ。そんだけだよ」
「ふぅん?」
「週に何回呼び出しても文句言わねぇし、一番都合よくヤラせてくれてたんだよ。もういいだろ?」
 出雲の身体を可愛がっていると確かに都合よく適当に抱かれていたのは理解できたので、それ以上の追求はとりあえずしなかった。せっかく全身あんなに敏感なのに、わかりやすい前立腺と出雲自身で開発したと思われる口内・喉以外は、まだまだ性感が未発達でこれからが楽しみだ。一年以上、週に何度も抱いていたはずなのにもったいない。僕としては良かったけれど。
 そのまま昼休みは終わり、大鳥は去って大きな紙袋いっぱいのチョコレートだけ残った。しっかり包装されているにもかかわらず、保健室の中はいつもよりほんのり甘い香りが漂っている。



 帰宅すればいつも玄関まで出てきて“おかえりなさい”とやってくる出雲は、その挨拶をする前に僕の手に提げられた紙袋を見て目を丸くした。黙ってそれを手渡すと、中を覗いてチョコレート、と呟く。
「もらった」
「こんなにたくさん……」
「うん」
 嘘はついていない。しかし出雲はそれ以上なにも言わず、洗面所に行く僕を置いてリビングへさっさと戻ってしまった。
 これは……機嫌が悪くなったのか?
 その行動の意図が読めないまま自分もリビングに入れば、ダイニングテーブルにはホットプレートが蓋をされた状態で置かれており、席について待っていてくださいと言われ大人しく腰をかける。
「今日はバレンタインですね。先にご飯で大丈夫でしたか」
「うん」
 キッチンから昨日開けたばかりのワインボトルを持ってきて、いかがですかと問われたので頷き用意されていたワイングラスに注いでもらった。
「俺、バレンタインデーってあんまり好きじゃないんです」
 バレンタインデーが嫌いと言いながら開けられたホットプレートの中は、これは今日だからこそのメニューなのではと思われるものだった。
 ホットプレートの上にはソーセージや茹でたブロッコリーにじゃがいもなどが並べられており、中央には耐熱皿が二つ置かれ、それぞれチーズとチョコレートが入っていた。ホットプレートの両隣りに置かれた皿には一口サイズに切られたバゲットとフルーツが盛られている。
「毎年それなりに、チョコをいただくんです。告白されることもありました。でも申し訳ない気持ちになるんですよね。せっかくプレゼントを用意していただいて、特別な日だからと勇気を出してくださったのに、良い返事ができることはないので」
 ホットプレートの電源を入れ、一度溶かしたものが冷えて固まったと思われるチョコとチーズを掻き回す。濃厚なミルクのような香りと、ふくよかな甘い香りが広がっていく。
「お返しは用意するんですよ。でも馬鹿馬鹿しくなってきて、カミングアウトしてしまおうかとすら思うのですが、まぁ適当にやり過ごしていました」
「それは……難儀だね」
「ふふ、そうでしょう。それだけでも好きではなかったのに、自分がチョコを渡すのはどうなのだろうと悩んでいるこちらの気持ちも知らないで、好きな人が去年も今年も大量のチョコレートをもらって来まして」
 笑顔で向かいの席につく出雲を見ながら、何に怒っているのか、なぜ怒っているのに笑顔なのかはわからないものの、大鳥が言っていた類の嫉妬はこれかと悟った。確かにこれは……いつも可愛くぷんすかしてる出雲と違う。先生嫌いです、先生のばか、と可愛く不貞腐れる出雲とは違う。何と言うか……威圧感がすごい。
「バレンタインデー、嫌いですね。嫌いになりました。彼女たちのようにチョコが用意できないので悩んだ末のチーズフォンデュとチョコフォンデュで濁すしかできませんよ。来年は煮物作ります。めちゃくちゃ茶色い食卓にしてやります。もう知りません、いただきます」
 笑顔のまま早口に語られるその恨み節に圧倒され、大鳥からもらったという間もなく、ただ大人しく出雲のあとに小さな声でいただきますと手を合わせた。
 やらかした。
 イメージが湧いていなかったが、この感じで貰ったチョコを溶かして別のものに変え突っ返す出雲を想像したら、確かにそれは恐ろしいと理解できる。
 けれど恐ろしい以上に目の前の食卓を見ると申し訳なさでいっぱいになった。なにかチョコ菓子を作ろうと思えば出雲ならばいくらでも美味しいものが作れるだろう。二人でチョコレートがさり気なく楽しめるこのディナーは、シンプルながら出雲の愛情と優しさ、そして照れと躊躇いが詰まっている。
 先に甘いものを食べるといつも怒られるけど並んで置いてあるなら今日はいいだろうとバゲットにチョコを付けて食べてみる。トーストされ表面のカリッとしたバゲットにとろけるチョコがコーティングされ、甘くて香ばしい。
「おいしい」
「それは……よかったです」
 素直に感想を述べたら出雲の笑顔は崩れ、へにゃりと眉が八の字に下がった。ブロッコリーにチーズをつけたものを目を伏せて気まずそうに咀嚼している。
「野菜に、チョコも……おいしい?」
「試食した中ではカボチャが美味しかったです」
「そう」
 オススメ通りにカボチャにチョコをつけてみれば、本来のカボチャの甘みをさらに引き立たすようなチョコの苦味も重なり、固めの皮もアクセントになって確かに美味しかった。出雲もカボチャとチョコの組み合わせを食べて、おいしいと呟く。
「先生は何も悪くないのに怒ってしまいました」
「うん?」
「だって高校の若い男性教師で……しかも先生はかっこいいです。もらってきても当然なのに」
「僕は……一つも、もらってない」
「え?」
 実際には四個は貰えそうだったが大鳥に吸収されてしまったため結局のところゼロである。
「大鳥に、もらった。食べきれないって」
「えええ! なんでそれを早く言わないんですか!」
 真実を知った出雲は目も口も大きく開けて驚き、じわじわと顔が真っ赤になっていった。ああぁ、と絞り出すような声を上げ、いたたまれない様子で両手で顔を覆い隠す。
「一人で怒って……お見苦しいところを……恥ずかしいです、恥ずかしくてたまりません!」
「ううん……ごめんね?」
「もう! 義理とは思えない高級チョコばかりでどうしようかと思いました! 先生のバカ、隼人のバカ」
「ごめんね」
 あの威圧的な笑顔を見た後に君の反応が見たかったなんて口が裂けても言えず、ただ謝るしかできなかった。出雲にとっては早く言わなくてごめんねだけれど、僕からしたら色々込められたごめんねである。
「出雲がバレンタインを……そんなに嫌っているとは、思わなかった」
「まぁ俺としては微妙な行事なんです」
「出雲は……いつから男の人が好きって、自覚があったの?」
 勝手に大鳥が初恋だと思い込んでいたが、今の口ぶりからしてもっと前から男性が好きな自覚があったのだろう。ただの興味本位だったが、思っていたより重い話が待っているようで出雲はチョコがけバケットを食べているとは思えないほどに苦々しい顔をした。
「なんとなくですが、小学生の頃から男性の方が好きなのかなと思ってはいました。かっこいいなと思っている子にスキンシップを取られるとドキドキしたり……」
 羨ましいな。小学生の出雲にドキドキされたい。
「自覚……というかわかりませんが、男性が好きなのかと考えるきっかけになった出来事はありますよ。それがまた奇しくもバレンタインの話なのですが……」 
 たどたどしく紡がれるその話を聞いてバレンタインが嫌いに……というより、トラウマになるのも仕方ないと思った。
 中学生の頃、お姉さんが付き合っていた男性を密かに素敵だと慕っていたらしい出雲は、当然それを相手に告げることはなく極たまに顔を合わせるのを楽しみにしていたのだとか。しかしバレンタインがやってきて、そんな小さな楽しみで満足していた出雲に姉はチョコレートを作るのを手伝ってくれと頼み込んできた。
 それはとても複雑な心境だったと目を伏せる出雲の顔はそれでも少しの笑みを携えているのが余計に悲しい。
 断る理由も思いつかずに一緒に作ったチョコレートケーキは、二人で作ったとは言い難いものだったらしい。出雲が作ったと言っても過言ではないチョコレートケーキを相手が食べるところを出雲は見ることはなく、帰宅した姉が美味しいって感動されちゃったと語るのを聞いて、自分が作ったとは知られることはなくても食べて貰えたことが嬉しかったと言う。しかしなんとも言えない感情も自分の中に消化されずに残されたと。
「姉の恋人でしたが、好きだったのかもしれないと……女性に恋愛感情を抱くこともありませんでしたし。そういえば先生くらいの年齢の方だったかもしれません」
「へぇ?」
「バレンタイン……やはり女性の行事という感じがしますね。チョコレート売り場も女性ばかりでしょう。だからそれ以外にちゃんと渡したことは……」
「うん? 今夜は?」
 僕の問いに、出雲が目の前の食事に視線を落とす。
「君からの、バレンタインプレゼント……だよね? ありがとう」
「いや、これは……チーズフォンデュのついでです。バレンタインとかじゃ……」
「悩んだ末に……濁した、チョコフォンデュ?」
「そ、それはっ……!」
 反論する口に、フォークに刺したチョコがけのイチゴを咥えされる。大人しくそのまま食す姿が可愛くて笑みがこぼれた。すると出雲がバナナにチョコをつけて僕に差し出してくれたので有難くいただく。
「美味しいね? 君の初めての、バレンタイン……僕がもらえて、嬉しいな」
 素直に感謝の気持ちを述べているだけなのだが、恥ずかしいのか出雲は顔を赤くして口をへの字に曲げて次々に僕の口にチョコレートをつけたあらゆるものを押し付けてきた。可愛いけど少しペースが早いなぁ、と思いながら差し出されるままた食べていたら、出雲はぷはっと吹き出して、やっと心からの笑顔を見せてくれた。
「ふふ、ごめんなさい。食べさせすぎました」
「うん……口、いっぱい……」
「先生、かわいい。先生と過ごしていたらバレンタインが好きになれそうです」
 僕なんかよりよっぽど可愛い出雲の口に、チョコをつけたキウイをあげた。控えめに口を開けるけど、ほんの少し伸びた舌が覗いてちょっとエッチでそそられる。
 もしもまた君とバレンタインが過ごせたら今度は僕もプレゼントを用意したいなと思った。二人で何か作るのもいい。
「ああ、そうだ。あれ、やりたい。出雲にチョコつけて……出雲が、プレゼント、的な」
「先生たまに本気で発想が気持ち悪いんですけど、冗談ですか? 本気ですか?」
 さっきまでほわほわと頬を赤くして甘味を口の中で転がしていた顔がすっと冷えていく。これは本気でやりたいと言ったら君のバレンタインの思い出がまた台無しになってしまうかもと思い、仕方なしに首を横に振った。
「冗談……だよ? 冗談に、決まってる」
「そうですよね、よかったです。本気だったら隼人からもらってきたチョコを溶かしてアツアツのまま先生のあそこにぶっかけてやろうかと思いました」
「うん……冗談で、よかった。本当に……」


 
 



END
 
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