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閑話・這って出てきて転がり落ちて

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「俺は……もう、隼人に愛してもらえないかもしれない」
 声に出した途端、胸が痛くなり、だんだんと胸と息が詰まっていく感覚に襲われる。心臓がバクバクと鼓動を打つごとに破裂しそうなほどうるさくて痛い。そしてそれに続きまた呼吸音が感覚が短く早くなっていく。
「出雲。手、握ってあげて……」
 加賀見の声に続いて出雲に手を握られ、それを握り返す。背を丸めてできる限り呼吸が楽になるよう努めるが、不愉快な呼吸音は繰り返され、発作が始まってしまった。情けなくも縋るように出雲の肩に寄添えば、彼は受け入れ背をさすってくれた。
「そんなわけ、ないじゃないですか。絶対にありえませんよ。玲児くん、大丈夫です。大丈夫ですよ」
 優しい声に頷きたいができず、ただその言葉を耳に入れる。
「隼人は……玲児くんのことしか考えてないんですよ。ずっとずっと、あなたでいっぱいなんです。どれだけ惚気聞いたと思ってるんです? 何があってもあの人は玲児くんを愛してくれますよ」
 本当にそうだろうか。隼人を語る言葉を吐かせてこれほど説得力のある男もいないが、それを信じる強さが今の自分には足りない。
 そして思うのだ。
 俺は果たして、何があっても隼人に愛してもらいたいのだろうか。こんなにも許せない自分を俺は愛してもらいたいのだろうか。俺の願望は身綺麗なまま隼人に愛されていたい。
 それにはもう隼人に幻想を愛でていてもらうしか……それしか救いは、ないのだ。
 
 
 
 発作が止んだあと少し休み、出雲が教室の近くまで付き添ってくれた(教室まで行って隼人と鉢合わせるのはできれば避けたい、とのことだった)。その道中、事情も知らないのに勝手なことを言って困惑させて申し訳ないと謝られてしまった。しかし彼は悪くない。好いている相手がせめて幸せであるように願うのは当然のことだろう。
「玲児くんのご自宅と隼人の実家はご近所でしたよね。あの人、年末年始には実家に帰っていると思いますよ」
「そうか……しかし……」
「いえ、重く考えないでください。ただ、冬休みもしも退屈で仕方なかったら……そしてもし気が向いたら……顔を見に行ってみるのはどうでしょう」
 あの家に隼人が戻ってくる。
 それを聞いて自然と二人で数え切れないほど歩いた中学からの帰り道を思い出していた。夕暮れに照らされたあの恐ろしく整った顔を思い出す。高い鼻筋に影を作る橙色が琥珀色の瞳に馴染んで溶け込む。いつも鋭い瞳がとても柔らかく俺を見つめるのだ。
 物思いに耽る俺を見て出雲はくすりと笑った。なんだか恥ずかしくなってきてしまい、肩を軽く小突く。
「ふふ……とりあえずあの顔を見てしまったら、考えてること全部どうでも良くなるかもしれませんよ? まぁ、もし気が向いたらでいいんです。俺としては冬休み明けに良い話が聞ければ嬉しいですね」
 去っていく背中を見つめながら、本当にその通りだから会えないのだと考えていた。
 
 
 
 
 冬休みが始まると学校に通っているよりも余程忙しくなり、あっという間に大晦日がきた。なぜそんなに忙しかったかというと今年は一段と玉貴が大掃除に気合を入れていたからだ。冬休みの間ずっと二人で掃除して買い出しをしてと充実した時間を過ごしたおかげで、落ち着いた気持ちで年末を迎えることができた。
 例年は“お兄ちゃんが手を出すと余計にややこしくなる”とあまり手伝わせてくれないのに今年に限ってはたくさん仕事を振ってくれた。きっと玉貴なりの気遣いだったのだろう。
 ゼリー飲料を食し始めてから少しずつ食べる量も増えた。年越しそばも少しばかり口にして、もう少しで年も明けるというところで玉貴が出かける支度を始めたので初詣に行くかと声をかけた。しかし深い紅色のようなコートを羽織りながら妹は首をかしげて流れるままの黒髪を揺らした。
「あれ? 言ってなかったっけ? 今年は麗奈ちゃんと初詣行くって。年明け早々屋台で目をキラキラさせる麗奈ちゃんが見られるんだよー、楽しみ!」
 少しばかり頬を赤らめて今にも飛び跳ねそうな姿を見ていたら、少しの寂しさはあるもののこちらまで嬉しくなってきたので、道は暗いし酒を飲んでいる奴もいるだろうから気をつけるようにだけ言って見送った。
 途端に静かになったリビングに残され、冬休み前に出雲に言われたことを思い出す。うちのが麗奈と出かけるのならば、隼人は家にいるのだろうか。連絡をしようかとも思ったが返事がなかった場合にずっと待ってしまいそうで辛いし、浅人が持っていたことを思い出すとその勇気は出なかった。
 普段ならもうとっくに眠っている時間だ。年が明けるのを待たずに寝てしまおうか。
 ぐずぐずぐずぐずと、気になって仕方ないくせに会わない言い訳を考える。隼人の家はここから五分あれば行ける距離だ。そんな近くにいる彼は今何を思ってこの一年に一度の時間を過ごしているだろう。
 隼人の横顔を思い出す。そしてその横顔が振り返り、目が合うとあの薄い唇をきゅっと引き上げて笑うのを。
 学校では到底会う勇気など出なかったが隼人がここに戻ってきていると思った瞬間に、会いたい気持ちが募っていく。きっと今だけだ。また隼人が帰ってしまえばこんな気持にはならないだろう。
 そう今だけ。
 それならば今行くしかないのではないか。
 連絡する勇気も家を訪ねる勇気もないので、運命に任せてみることにした。少しだけ、少しの間だけ、もしかしたら初詣に向かう隼人が通るかもしれない道で待ってみよう。たったそれだけだ。
 もし会えたら初詣に誘って……あとは自分のその時の想いに任せよう。
 コートを羽織りマフラーを巻き外へ出れば、刺すような冷たい空気が頬を撫でていく。隼人の家とは逆方向にある神社に向かう人々のそわそわとした足取りを見送りながら人の波に逆らって歩いていく。
 家の目の前で待つのは気が引けたので人の邪魔にならぬように家から少し離れた場所の電柱の影に見を潜めるように待った。初詣に行くにしろ、もしコンビニなどに買い出しに行くにしても、この道は通るだろう。日付が変わるまで待ってみて来なければ諦める、そう決めて空を見上げる。
 雲ひとつない夜空に数え切れないほどの星が輝いている。
 この時期に見える星はなんだっただろうかと、昔見た星座の物語やギリシャ神話を思い出しながら祈るような気持ちで星を眺める。
 今日会えなければもう隼人としっかり面と向かって話すことはないように思う。こんな勇気が出せる日は来ないと思う。もう会いたくないと思っていたはずなのに、どうか、どうか、一人じゃなくてもなんでもいい、隼人がここを通り過ぎますようにと願う。
 手袋を忘れてしまった手に息を吹きかける。老人の手と見間違えそうなほどに細い指は自分の生きる力ときっと比例している。一時期より食べ物を口にしてはいるが、見た目で肉がついてきたとは到底思えない。肉のない手が冷たいのは当然のこと、吐く息の温度すらあまり高くない。
 生きる力の弱い体に、いつくるかわからない自殺衝動。
 隼人に会いたい。自分がまともなうちに。
 電柱についた街灯に照らされていたというのに、ふと、夜の深い色が増す。時間にすれば瞬きする間もないような短いものだっただろう。一秒あるかないかの緊張と期待を持って、顔をあげる。
 そこにいるのは見間違うはずもない、隼人だった。
 夜だというのに街灯の灯りに照らされた髪が、琥珀色に艶めいている。瞳もまた同じ輝きをもって静かに俺を見下ろしていた。今までずっと強張っていた筋肉がふっと軽くなるのを感じる。今自分はどんな顔をしているだろう。でもきっとよい顔ができていると思った。
 しかし目の前まで来ておいて隼人は一向に話し出す気配はなく、視線は外さないものの言葉を発するのを戸惑っているように見受けられた。最後にあった日のことを思い返す。もう俺を傷つけないように離れると言っていたこと。
 しかし自惚れかもしれないが目の前に立つ隼人は俺に会いに来てくれたのだろうと、同じようにこの特別な日に託したのだろうとそう感じた。約束も何も交わしてない、しかしお互いがお互いに会いに来たことだけは絶対なのだから。
 それでも俺も隼人と同じで言葉が出なかった。会えて嬉しい、顔が見たかった……ただそれだけの言葉が素直に出ない。それでもなにか話そうと出た言葉には自信のなさが表れてしまった。こんなに見つめ合っているのにまだ少し信じられない。
「隼人? 貴様は俺の幻か?」
 そんなに俺を見つめて一体何を考えていたのだろう。俺の声にはっとした隼人は、わずかに口元だけで微笑んで首を横に振った。
「違う……違ぇよ。ここにいるよ」
 ここにいる。
 そう言われて体温が上昇するのを感じるほど安心した。
 ここにいる。
 そう、耳に届いた。本当に隼人が今、目の前にいて……その声がこの鼓膜を震わせている。
 そうだ、ああ、隼人が。隼人が今、目の前にいる。
「そうか……何も言わぬから。あまりに寒くて家に入ろうかと思っていたところだ。だから幻でも見ているのかと……」
「俺のこと待ってた?」
 心の底から出た素直な言葉にストレートな問いを投げられ、そのまっさらなただ嬉しい気持ちのまま俺は頷くことができた。
「む……そうだな、待ってた。きっと実家に帰ってきているだろうと思ったから。待っていた」
 まだ戸惑いの残る隼人を俺がリードする形でそのまま二人で初詣に出かけることができた。
 第一声が素直にでたおかげで、今夜はこのまま何も考えず何も飾らず、気持ちの赴くままに会話をすることにした。そうしたら自分がいかに隼人と一緒にいたいか思い知ってしまい、自然と未来を求めるようなことばかりが口をでる。それだけではなく、隼人が隣りにいるだけで胸が高鳴るだけではなく心が弾むというか気持ちが浮足立ってたまらなくて、こんな自分は久しぶりだった。この時間が終わってほしくなくて、明らかにまだ決心のついていない、俺とどうしたらいいかわからない様子の隼人に傍にいたいと強請った。
 隼人は真剣に俺と向き合い、未来をどうしようか考えたいからこそ決心を鈍らせているのを理解しているのにとても残酷なことをしている自覚があった。
 俺は未来など願ってない。自分に未来なんてない。
 それでも隼人の想う未来を一緒に見る、そんな夢が少しだけ自分も見たかった。
 いつ死にたくなっても悔いが残らないように、最後に隼人にたくさん愛されたかった。
 
 
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