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闇夜の錦

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「玲児」
「こっちを見るな、前の二人を見張っていろ」
 鋭く詰め寄る言葉に従い、二人を見ればまだ列に並んでいる。焼くのに時間がかかるためか他の屋台と比べても列が長く、暫くは隠れていなければ駄目そうだ。
「なぁ、玉貴ちゃんになんか言われてんの。俺のこと」
「む……」
「なんて?」
 肩に乗る頭が少し動く。少しの間のあと、口を開いた。
「もう、極力会わないでほしいと」
「会ってるじゃん」
「む……」
「大事な妹の言うことは聞いた方がいいんじゃねぇの」
 玲児から離れてくれないかと少しの希望を持って突き放す。酷いやつだ、本当に。
 玉貴ちゃんが正しいんだよ、玲児。
 少し前まで苦しめられていた頭痛や倦怠感、苛立ちなどが抜けて、今は気分が落ち着いているからお前ともこうやって普通に話せているけれど。どうやって解消しているか、睡眠が取れるようにしているかわかるか。叔母さんに会った日、あんなに寝られずに苦しんでいたのに久しぶりに朝まで寝ることができたんだ。やっと身体の不調がなくなったというのに感じた、あの絶望がわかるか。
 いや、わからないでほしい。
 ずっと黙っていた玲児が、袖を掴む手に力を入れるのが伝わる。布越しにほんの少しだけ触れる指先が愛おしい。
「隼人も俺と離れたいのだろう?」
 それは落ち着いた声だった。 
「隼人自身にも心配をしてくれる人達にも、もう離れろと言われている。それなのに俺のわがままだけで、今こうしてお前といる……本当にすまない」
 あまりに悲しい謝罪の言葉に俺は下唇を噛む。そして自分には何を言ってやれるだろうと考えた。否定してやりたいけれど俺がそれをしていいのだろうかと。でもこのまま黙っていることもできるわけがない。それならば素直な言葉を紡ぐしかなかった。
「俺のワガママでもあるんだよ。遠くからでも玲児のことを見られないかって家から飛び出したんだ。もう会わないつもりだったから、遠くからって……」
「俺に会いたかったのか?」
 意外そうな声を出すので逆にこちらが驚いた。玲児への気持ちに純粋に従えば会いたくないわけない。
「教室でずっと目も向けなかっただろう。避けられていると思っていたのだが……」
「ああ、避けてたよ。見ないようにしてた。けど会いたかったよ。そりゃあ会いたいだろ……」
 肩が軽くなり玲児が顔を上げたのが分かったので、俺も視線を右斜め下へと移動させる。
 いつものように眉間に皺は寄っているものの、情けなく下がった八の字眉毛が頼りない。草木に隠されたこの暗闇の中で、夜店の並ぶ道の灯りを潤んだ瞳が反射している。灰色がかった瞳に、橙色がさす。
 綺麗だ。本当に。
 俺が玲児に惹かれたのは本当に彼の弱さにつけ込むためなのだろうか。
 加賀見にそれだけは違うと言ってやりたい。
 この焦がれる気持ちだけは真実だと。
 上から小気味のいい獅子太鼓の音と皆が賑わう声が聞こえてくる。屋台の呼び込みの声も、それに応える客の声も。俺たちの周りだけが静かだ。
 唯一静かなこの場所で暫く見つめ合い、玲児は苦い顔をして目を逸らした。
「俺は実は、あまり会いたくなかった。だから学校でも話かけなかった」
 今度は玲児が麗奈たちのいる方角へ視線を移す。俺は正直なところ少しショックだった。勝手な話だけど。
「色々あって、お前に会うのが怖かったんだ。でもあの家に帰っているかもしれないと……この町にいるかもしれないと思ったら、いてもたってもいられなかった」 
 袖を掴んでいる玲児の手は、肘を撫で、腕を掴む。そうして少し前に乗り出すので、どうしようかと躊躇った。躊躇ったけれど、結局俺は軽く両手を広げた。しかし玲児は俺の胸元を、懐をじっと見て、物欲しそうに唇を少し開けているくせに顔を逸らした。
「愛し方がわからないと言ったな」
 指摘され、両腕を下げて自嘲する。
「そうだな。わかんねぇや」
「俺も今はどうしたらいいのか、わからなくなってしまった」
 玲児は俺の手を離して自分の手首をギュッと握った。握った手が少し震えるほど強く、握った。伏せた目の睫毛が揺れる。
「隣にいるだけではだめか」
「隣に?」
「やはり離れたくないんだ、どうしても。恋人とか友人とか、何かに括らなくていい。今はただ、そばにいたい。いや、いてほしい。頼む」
 きつく瞼を閉じ、自分の手首を握ったまま玲児は頭を下げた。俺なんかにそんな丁寧に腰まで折って頭を下げないでくれよ。
 フェイスラインを撫でると、玲児は顔を上げた。顎が細い。こんなに愛しく思っているのに隣にいるだけなんてできるのだろうか。それができるのだったら俺だって、俺だってそばにいたいよ。
「お兄ちゃん!」
 しかし返事をする前に、お互い見張りを怠ったせいで玉貴ちゃんに見つかってしまった。人の波を避けながら玉貴ちゃん、それに続いて困り顔の麗奈が近付いてくる。
「もー!  一人で初詣行くなんて珍しいなって思ったら!」
 仁王立ちをして頬を膨らます彼女を見て、玲児と顔を見合わせた。お互い苦笑いしてすごすごと俺たちは木陰から出ていく。
「麗奈ちゃんがお化けがいるって怖がるからよく見たらお兄ちゃんたちなんだもん。こんなとこで何してんのよ」
 本当にこいつはと麗奈を睨めば、買い物袋をたくさん下げた手を顔の前で合わせてこっそり謝罪してきた。まぁこいつの食い意地のお陰でゆっくり話せたところもあるか。
「玉貴に見つかったら怒ると思い……」
「隠れてたってことー? もう……」
 わかりやすく肩を落としてしょげる玲児に、玉貴ちゃんは腕組みをしてため息をついた。そして俺と自分の兄貴を順番に見て、最後に麗奈へ振り返る。
「麗奈ちゃん知ってたの?」
「えっあっえとっ……しらない……でも、誘えばとは言っちゃった……ご、ごめんね?」
「もう! 本当に……もう!」
 本当はもっと怒鳴ったりしたい気分なのだろうが、玉貴ちゃんは頭を抱えてはぁーっと大きなため息をついて、いつもなら愛嬌のある丸い目を吊り上げて俺を睨みつけた。そして小さな声をこぼす。
「なんで私の好きな人はみんな先輩のほうが好きなのよ」
「わ、私は玉貴ちゃんのほうが好きっ!」
 すかさず縋り付く麗奈の自分より随分高い位置にある頭を彼女は撫でた。話は聞いてたけど仲良いな。この間は玉貴ちゃんがあんな状況だったからわからなかったけど。
「ハイハイ、ありがと。本当は私がお兄ちゃんを連れて帰りたいとこだけど、私は麗奈ちゃんが美味しく可愛くたくさん食べるとこを見なきゃいけないの、わかる? 先輩」
「や、よくわかんねぇけど」
「今すぐお兄ちゃんを送って帰れって言ってんの!」
 もう我慢の限界だったのか周りがちょっと注目するくらいの大声を出してふんと鼻を鳴らし、俺らの背中をばんと力強く叩いた。
「真っ直ぐ帰ってよね。先輩は変なことしないでよ。お兄ちゃんは家に着いたらメールして。む、だけでいいから」
 さあ行った行った、と下り坂へと身体の向きを変えさせられ、ぐいぐい背中を押される。そして口に手を添え玲児に隠れて小さな声で話しかけられた。
「この辺の人は先輩のこと見慣れてるけど、それでも先輩来てるの話してる人たくさんいたから。目立つことしないでちゃんと帰ってよ?」
「マジか、わかった。ありがとな。二人もナンパとか気をつけろよ」
 素直に心配して出た言葉だったが、ふいと顔を背けられてしまった。まぁ仕方ないと、怒られてへなへなしている玲児を連れてまた二人並んで坂を下る。
 坂を下りきり、また同じ帰り道へつくと、人の数がぐっと減った。腕時計を忘れてしまい、スマートフォンで時間を確認すれば、年を越してもう三十分は経っている。
「おお!」
 肩を落として項垂れていた玲児が急に顔を上げるので驚くと、目を輝かせて手に持っているスマートフォンを見つめていた。
「すまほにしたのか」
「ああ……携帯なくしてさ。変えたんだ。和人さんにもう芸能人なんだからちゃんとしろってすげぇ怒られた」
「携帯をなくした……?」
 明らかに玲児の顔が曇った。顔を顰め、何か考え込むように地面を見つめる。そしてまた手首をぎゅっと握った。それを見ながら玲児にこんな癖あったかなと思う。たまたまだろうか。
「玲児? どうした?」
 顔色がよくないので優しく声をかけるが、いやと言うだけで口篭ってしまった。しかし小さく頭を横に振ったと思えば、いつもの眉間に皺を寄せた微笑みを携えて顔を上げた。
「隼人、俺もすまほにしたい」
「なんだよそれ。今決めたのか」
「む! よくわからないから買いに行くのに付き合ってはくれないか」
「俺もよくわかんねぇよ? こういうのは浅人のほうが詳しいだろ」 
 少し無理をして明るく努めているのは見え見えだったが、浅人の名前を出した途端、玲児はこちらが戸惑うほどに動揺した表情を見せた。目を大きく開いたと思えば細め、ぐっと唇を噛み締める。そして深く息をついて歩みを止めた。
「おい、どうした?」
 肩を軽く揺するが返事をしないので道の隅へ誘導しようとするが、大丈夫だと何度かゆっくり深呼吸をして、歩き始めた。それについていくが、縮こまった背中を見つめながら本当に大丈夫なのかと心配になる。
 そういえば保健室で浅人は本人には秘密でと、加賀見に玲児の様子を聞いていた。あの時は自分のことで精一杯だったが、今にして思えば何かあったに違いなかった。
「なぁ、浅人と何かあったのか。俺のせい?」
「いや……」
「俺、浅人とは別れたよ。聞いてるか?」
「そう……だったのか。いや、そうかもしれないとは……そうか、そうだったのか……」
 また一度歩みを止め、ふらふらと歩き始める。何かあったのは明白で、しかし聞いていいものなのかと悩んだ。
 二人の間になにかあって俺と別れたのか、俺と別れて二人になにかあったのかはわからないが、自分が関係ない話ではないだろう。でも玲児の様子を見れば聞かれることを拒否しているのがわかる。
 もう一度声をかけようとしたその時、玲児は振り返った。また、ほんの少し微笑んで。
「隼人と出かけたいのだ。すまほを一緒に選んでくれ。なんでもいい、お前と選んだものにするから」
 痛々しい表情を見ながら、俺は木陰での会話を思い出していた。
 玉貴ちゃんがこなければ俺はなんと返事していただろう。そばにいたいけど、俺は何も、何も変われていない。
「なぁ、隼人。いいだろう」
 でも、目の前の玲児は断れば泣き出してしまいそうだった。玲児を抱いたあと、泣きつく彼を置いて去った。その前もあった。これで泣かせて去っていったらもう何度目だろう。
 今日見た限りでは元気そうに見えていたが、痩せた頬が、時折見せる何かを堪える表情が、まだ駄目なのだと伝えてくる。
「わかった。行こう」
 笑って頷くと、玲児は少しの驚きの後に笑顔を見せた。いつもの険しい顔じゃない、あどけない顔をして笑った。
 
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