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闇夜の錦

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 その微笑みに目眩がする。
 玲児だ。本当に目の前に玲児がいる。
 暗い夜の闇のなか、電柱の街灯が玲児の白い肌を照らしている。まるで反射して発光しているかのように綺麗だ。
 けれども駆け寄っておいて、目の前まで来たらなんて声を掛けたらいいのかわからなかった。人の流れの邪魔にならないようにだろう、垣根を背後に電柱の影に立っていた玲児を、隠すかのように前へ立ってじっと見下ろす。玲児はそんな俺を見つめて目を伏せ、ゆっくりと瞬きをし、もう一度上目遣いに……まるで目の前の俺を確認するかのように、まじまじと見つめてくる。
「隼人? 貴様は俺の幻か?」
 いつもよりさらに眉間に皺を寄せて目を細める姿に、俺は首を横に振った。
「違う……違ぇよ。ここにいるよ」
「そうか……何も言わぬから。あまりに寒くて家に入ろうかと思っていたところだ。だから幻でも見ているのかと……」
「俺のこと待ってた?」
「む……そうだな、待ってた。きっと実家に帰ってきているだろうと思ったから。待っていた」
 鼻の頭が赤い。いつから待っていたのだろう。来るかどうかもわからないのに。
 きっと頬も手も冷たいんだろう。
 頬を撫で、手を繋いでやりたい。
 けれどもそんなことを今更求めてはいけないし、今日だってもしも一目見かけることでもできたらって、そのつもりで。まさか待っているなんて思わないじゃないか。待っていてくれるなんて。
 どんな顔をしたらいいかすらわからず黙り込む俺に、玲児はふっと笑った。透けた白い息が浮かぶ。
「今年は玉貴に振られてな。貴様もだろう? 一緒に初詣に行かないか」
「でも、俺は……」
「早く行くぞ。玉貴に見られたらうるさいからな。ほら、年を越してしまう」
 俺の返事を待たずに、いや遮るようにして、道に戻るとさっさと人の流れに合わせて歩き始めた。少し人が増えたように思う。いつもなら誰も歩いてない真っ暗なこの夜道を、年が明ける特別なこの夜だけは小さな子供や小学生も歩いている。その子たちに背中を押されて、玲児の後に続いた。
 隣に並ぶと、顔こそ向けないが控えめに笑みを浮かべているのが見えた。人がいないからといつも手を繋いで歩いた道を、二人でコートのポケットに手を入れたまま歩く。ポケットから手を出してしまったら、きっと自然にその手を取りあってしまう。だから二人で手を隠しながら歩く。
「隼人と年末や、正月を過ごしたいと思っていたんだ」
 前を向いたまま、玲児は呟く。
「本当はクリスマスも……なにをするのかはよくわからないが……」
 ぐずりと鼻を鳴らし上を向くのを見て、俺もつられて空を仰いだ。雲一つなく、大きな星がいくつも輝いている。
「今夜は会うことができてよかった」
 またすんと鼻を鳴らして上を向いて、何回も何回も瞬きをする。瞬きを繰り返して、目頭をぐいと擦って。昼間に泣いておいてよかったと思った。こんな姿見ていたらもらい泣きしてしまう。
「おい、俺はあまり話すのは得意ではないんだぞ! 貴様もなにか言え」
 鼻を擦りながら文句を垂れる不貞腐れた顔を不意に見せられ、思いがけずに笑ってしまった。ははっと声を漏らして笑って、空を指さす。
「あれなんだっけ。ほら、シリウスとか……オリオン?」
「む? 冬の大三角の話か? オリオンは星ではなく星座だ。オリオンの肩にある赤みのある星がペテルギウス。一番小さいのがふたご座のプロキオン」
「めっちゃ話すし詳しいじゃん」
 俺から話を振ったのにあまりにすらすらと語るので驚いた。星座が好きなのだろうか、知らなかった。
「小さな頃、ギリシャ神話を読んでな。星座にまつわるものが多いだろう」
「へぇ。じゃあ、さっき言ってたオリオン座はどんな話があんの?」
「そうだな、オリオン座は……悲恋物語ばかりだな」
 玲児はオリオン座を見上げる。見上げて、首に巻かれたマフラーを直した。遠くを見つめている横顔が、しんと澄んだ空気によく映える。
「オリオンは美しい巨人の男で、女神アルテミスは彼に恋をした。しかしそれをよく思わなかった兄のアポロンは彼女を騙し、彼女は知らずに彼を殺してしまうんだ」
「なんだよそれ。随分ひでぇな」
 眉根を寄せた笑顔で頷いて、玲児はオリオン座を指さす。瞬くたくさんの星たちの中でも、その赤い印をもった星座はすぐに見つけることができる。
「アルテミスはとても悲しんで、オリオンを星座として夜空に上げてもらったんだ。冬の夜には月がオリオン座を通過していく。月と狩りの女神である彼女は今でも彼に会いに行くんだ」
 物語を語る凛とした声に耳をすましながら思わず月を探せば、それは見事な満月だった。今夜もオリオンに会いに行き、喜びに夜空を照らしているのかもしれない。そんな風に考えると今まで何となく眺めていた月が途端に愛おしくなった。
 玲児に視線を戻すと、ばっちり目が合ってしまった。空を見ているかと思ったのに。笑いかけると顔を逸らし、もうすぐ着くなと小さな声で言った。



 神社につくと既に階段の下まで参拝客が列をなし、これは階段の途中で年越しだなと思いつつも最後尾に並んだ。階段の途中にはぽつぽつと夜店が出ており、肉や海鮮を炒めた時の芳ばしい香りや、熱い鉄板の焼ける音が深夜の空腹に誘惑してくる。
「なんか腹減ったな。玲児は美味いもん食ってきた?」
「蕎麦を食べたぞ」
「まぁ定番だよなぁ」
 そっか、蕎麦食ったのか。
 安心したのと同時に、前に学食で玲児が蕎麦を食っていた時のことを思い出し、ぷっと吹き出してしまう。何かと首を傾げる玲児に、これ言ったら怒るだろうなぁと思いながらも笑いを堪えつつ話した。
「お前さ、ほら……麺すするの下手じゃん。ちびちびちびちび、口と箸がんばって動かして口の中にちょっとずつ麺運んでさ……今日もあんな風に食べてたんだろ?」
「きっ貴様! そんな食べ方はしていない!」
 思い出しながらどんどんおかしくなってきて最後には大笑いしてしまった俺の背を、真っ赤な顔してバシッと叩くもんだから可愛くて余計に笑ってしまう。
「麺すすってみろよって言ったらやってくれたけどさ、すぅーすぅー言いながら麺ぶるぶる揺れるだけで全然吸えてなかったよな。可愛くて見蕩れたよ、まじで」
 思う存分笑ってはーっと最後に息を整え玲児を見たら、口元を抑えてまだ赤い顔をして俯いていた。どうしたかと屈んで顔を覗き込むと、焦った様子で目線をずらされる。
「可愛いと言うな」
 消え入りそうな、いっぱいいっぱいな声。何を照れているのかと思ったが、そんな反応されると寧ろこっちが照れるっていう。
「いや……だって可愛いじゃん」
 言いながらも俺も背筋を伸ばしてそっぽを向いた。二人して顔を合わせず買う予定のない屋台に顔を向けながら、少しずつ階段を上がっていく。
 そうしてそっぽを向いたままでいると、どこからかあけましておめでとうの声が聞こえた。そうか、神社だから除夜の鐘は聞けないんだっけ。その瞬間に、長い参拝の列に飽き始めていた人達がどっとざわめきだす。
 あけましておめでとうと口々に言っては軽く頭を下げ、今年もよろしくとの声やスマートフォンの着信音などが聞こえてきて、年が明けたことを深く実感した。
 ゆっくりと玲児へ向き直ると、まだそっぽを向いてやがる。
「玲児」
 俺の大好きなまあるい骨格をした後頭部に声をかける。
「あけましておめでとう」
 一番にこの言葉を玲児に伝えられることが嬉しくてゆっくりと発音した。玲児はやっと顔をこちらに向ける。しかしこちらに向けるだけで、何も言わない。なんだよと思って待っていると少し経って口を開いた。
「今年もよろしくはないのか?」
 さっきまでの怒った顔や照れた顔とは打って変わって、静かな不安の表情に息を飲んだ。
「今年もよろしくと言ってくれ」
 さっきまでなら流れで言ってしまったかもしれない。でもそんな表情で求められたら言えなかった。
 ん、と曖昧に答えて口を噤む。その表情がどんなものに変わったのかは怖くて確認することができない。
 やっと俺たちの順番がきて、それぞれ無言のまま鈴を鳴らした。二礼二拍手一礼をして祈りを捧げる。別になにか祈ることもないのですぐに終わってしまったら、玲児はまだ手を合わせていた。その姿を見ていたら周囲の賑わいが遠く感じた。背筋の良いその横顔はとても真剣で、待っている間その姿から目を離すことができなかった。
 参拝が終わると甘酒を渡され、二人並んで戻るための坂道を下る。温かい紙のカップが冷えた手に嬉しい。口をつけて喉を温め、なにか言えることはないかと考えていたが、先に口を開いたのは玲児だった。
「隼人、なにか買って食べたりはしないのか」
「腹減ったけどな、家にまだ色々残ってたんだよな」
「そうか……」
 そんなあからさまにしょげるなよと思うが、どう考えても俺が悪い。一目見たくて勢いで飛び出した俺が悪い。もう関わらないと決めているのに往生際が悪すぎる。何をやっているんだよ俺は。
 けれども皆がそわそわして連れ合い歩くあの道で、一人待っていた玲児を思うと来てよかったと思ってしまうのも事実だ。こうやってまた自分に言い訳をする。
 星を眺め悲しい恋の物語を語る姿も。
 神に祈りを捧げる横顔も。
 目の前にしてしまえばその全てが美しくて、どんなに見てくれが良いと言われても皮一枚剥がせばどろどろの俺は、その美しさの前にはひれ伏すしかない。
 冬休みが始まってすぐ、叔母さんに会った。二回目だ。
 昼間なのにカーテンを締め切った薄暗い部屋で、外の寒さと乾いた空気とは違う、じっとりとした空気が肌にまとまわりつくあの部屋。玲児を縛り上げて抱き、首を締めたあの部屋。
 抜け出したいのに抜け出せない。
「待て隼人、まずい。すまないが、ちょっと隠れるぞ」
 坂の途中で突然、焦った様子の玲児に腕を引かれて道を外れた。生い茂る草木の間にガサガサと足を踏み入れ、じっと遠くを見据える先を確認すれば、玉貴ちゃんと麗奈の姿があった。
「お前のところの麗奈は目立つな、身長いくつあるんだ。俺とそこまで目線が変わらないぞ。お陰ですぐに隠れることができたが……」
「それ言ったら俺も丸見えな気がするけど……ってか名前呼び捨てしてんの?」
「いや、よくうちに来るんだが、なんて呼んでいいかわからず自然と……玉貴のように麗奈ちゃんと呼ぶのは照れ臭いしな」
「マジか。うちのが世話になってます」
 一番太く立派な木の影に隠れながら軽く頭を下げると、玲児は首を横に振った。
「お前と苗字が違うから血縁者だと知ったのは最近だけどな。しかし言われてみればよく似ている」
 そう言って俺を見上げる玲児の顔が近くて焦る。二人で同じ木の影に身を潜めているため、距離が近い。
「二人とも同じ瞳の色をしている。光に当たるとべっ甲のようでとても綺麗な色だ」
 今はよく見えないなと呟きながらも、じっと瞳を見つめられて急いで目を逸らした。早く二人が去らないかと様子を見守るが、焼き鳥屋の列に並んでいるため暫くその場から離れそうにない。ていうか麗奈のやろう、たこ焼きと団子の袋もぶら下げてんじゃねぇか。家でも天ぷらばくばく食ってたのに食いすぎだろ。
 身内の様子に苛立ちと少しの恥ずかしさを感じていると、玲児に袖をくいっと引っ張られた。顔を向けずに何かと返事をすれば、肩にあたたかな重みを感じた。

  
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