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閑話・番外編②

午前7時45分は君を見つめたい

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 顔を洗って自分の顔を確認する。
 髪は跳ねていない。髭も剃った。鼻毛も出ていない。眉毛も整えたばかり。一重瞼ではあるが鼻筋はきちんとある。そんなに悪くはない。イケメンとは言えないし、地味かもしれないが、ちゃんと整ってる。
 大学前にコンビニで早朝バイトをしていると、季節の移り変わりがよくわかる。近頃は家を出るころには空が明るくなってきた。日によってまだ空気はキンと冷たいが、春物のコートで充分だ。もう少ししたらもっと軽い羽織ものも買おう。このコートは少し値が張ったが、その分スタイルがよく見える。またあそこで買おう。
 大学に入ってからというものの、見た目が気になって仕方ない。
 代わる代わる来店するお客様を見て、なかなか自分はイケてるのではと内心勝ち誇ってみたり、勝ち目のないイケメンとは目が合わせられず下ばっかり見てしまったり。そしてイケメンが去った後には、自分もあの髪型にすれば、もう少し背があれば、と言い訳をする。
 自動ドアが開き、チャイムが鳴る。パンを品出ししていたので棚から顔を出していらっしゃいませ、と声を出そうとしたが、言葉を飲み込んだ。
 イケメン。
 そんな俗っぽい言葉では片付けられないほど完璧な男子高校生がそこには立っていた。
 イケメンというより、ハンサムだ。小さな小さな顔にこれでもかというほど大きく派手なパーツが詰め込まれている。特に彫りの深い切れ長の目が印象的だ。手足が長く引き締まっていて、よくサイズの合う制服があったなと感心する。だって彼以外にあの制服を着られる人はきっといない。しかも有名私立大学の付属高校の制服だ。コンビニに入ってくる姿だけでドラマのワンシーンのよう。
 ドリンク什器からプライベートブランドのお値段安めのフルーツオレを手に取ってる。俺なんかオシャレっぽいという理由で好きでもないフレーバー炭酸水を飲んでるのに。
 フルーツオレのペットボトルを片手にどんどん彼が迫ってくる。あ、パン買うのか。え、来るの? ここに?!
 意味もなく前髪を直して顔を隠しながら様子を伺う。うわぁ、真横に来た。今俺の横に立ってる。すっげー。
「あの、それ取ってもいいですか」
 めちゃくちゃ良い声が聞こえてきたと思ったらその彼だった。いつもなら笑顔でどうぞと下がるところ、あまりに動揺して並べていたパンをボロボロと落としてしまった。カァッと頭に血が上り、汗がふきでる。ダサすぎてつらい。汗ばんで前髪がベタベタになってしまうのもつらい。ダサッキモッとか思われてるんだろうな。
「すみません、なんか驚かせちゃったみたいで」
 しかしみっともなく慌てる俺など気にもとめず、彼は落としたパンを拾ってくれた。手がデカい。そして指が長い。棚にパンを戻してくれた時にめちゃくちゃいい匂いした。
 彼は店内を見渡し店員が他にいないのが分かると、首を傾げて片手に持ったペットボトルと焼きそばパンを見せて言う。
「お会計いいですか?」
「あ、ひゃい!」
 あ、噛んだ。めっちゃ噛んだ。
 でもおかげで顔を背けて、ぷっと吹き出す彼が見れた。笑われたのに何も嫌じゃない。馬鹿にした感じではなく、思わず笑ってしまった、みたいな。
 会計を済ませれば、どうも、と会釈して去っていく。
 時間は午前7時45分。
 この日から午前7時45分に彼を見つめるのが日々の楽しみになったのだ。
 平日週五回シフトに入っているため、ほぼ毎朝彼を拝める。前よりも朝の鏡チェックが念入りになる。見られていないのはわかるが、彼の視界に入るならば少しでも良くありたい。見た目を気にするのは相変わらずだが、劣等感は少し落ち着いた。彼と比べれば皆じゃがいもに見えるし、彼自身にはそもそも劣等感を感じなかったから。
 普通の店員と客のやり取り(俺は一方的に彼が何を買ったか日記をつけてるけど)を続けていたがある日、瞼をこすり眠たそうな彼は会計をする俺に告げた。
「お兄さん、毎朝笑顔で仕事してすごいっすねぇ」
 欠伸を抑える指先すらセクシーな彼を心のシャッターで写しながら、その言葉を何回も脳内でリフレインさせる。
 毎朝。毎朝仕事してって。
 認知されてる!
 その場で飛び跳ねたくなる気持ちを我慢して返事をすれば、また「ひゃい!」と盛大に噛んだ。そうすると今度はこっそりじゃなくて、堂々と笑ってくれて、口の中こんなに見ていいのかとドギマギしながら彼を見つめていた。
 数ヶ月彼を見つめ続けていたが、高校が夏休みの時期に入ってしまい、彼は来なくなってしまった。夏休みが憎いと思ったのは初めてのことだ。
 彼に会いたい。一目見たい。
 彼が来ないと思うとやる気が起きず、染めた髪も根元が伸びてきてしまった。
 そんな時バイト仲間にSNSで彼の隠し撮り写真が出回っていることを聞いた。あれだけかっこ良かったら仕方ないよねと彼女は言ったが、仕方ないわけなどなく腹立たしかった。こんな馬鹿げた事に使われるなんて。
 しかし腹を立てながらも写真は全部保存した。そして名前もバイト先も分かった。少し調べればこんなことわかるんだなと驚いたが、これは所詮は誰でも知れる情報。
 自分は毎朝7時45分だけは彼の中にほんの少しだけ存在している。あの目に、視界に入ることができる。
 早く夏休みが終わればいいのに。
 夏休みが明けた後、彼は時折友達を連れて来店するようになった。優しい雰囲気で同じ制服の男の子だ。
 友達なのだろうが、なんとなく、違うような気もしていた。距離が近いというか……スキンシップが多いというか。友達らしき子が棚を見ていると、慣れた手つきで腰に手を回す。その手首から肘にかけてのラインがえろい。
 耳元で何か話しかけ、二人で笑ってる。何を話しているのだろう。羨ましいなぁ、と思う。思ったところで自分はただのコンビニ店員なのだけれど。
「お願いします」
「いらっしゃいませ、お預かりします」
 自分にできるやり取りはこれだけ。
 それでも満足しなければ、彼を見つめられるだけで幸運なのだから。
 そう思いながらもその日の夜はネットで拾った彼の隠し撮り写真で自慰をした。



 彼を見つめはじめてから髄分と時間が経った。
 自分は大学三年。彼は高校二年。
 まだ見つめていられると思いながらもお互い卒業してしまったらどうしようと考える。
 しかし彼はとうとうモデルの仕事を始めた。店に並んでる雑誌を見たら彼がいて驚いた。それから彼が出ている雑誌は全て買って、眺めるのも日課になった。これで卒業しても彼を見ることはできる。視界に入るのはますます難しいかもしれないけれど。
 始めたばかりだというのにモデル業も順調そうなので、雑誌見ましたと声をかけたらいつも感じの良い彼が無言で苦笑いをした。失敗したと思った。もう来てくれないかもしれないと一日中悩んだが、彼は次の日も買い物をしに来る。そして感じ良くどうもと笑顔で去っていく。自分にとっては重大な失敗も、彼にとってはただ一瞬のすぐに忘れてしまうちょっと不快な出来事に過ぎないのだった。当たり前だけど。
   
 
 ほぼ毎朝来ていた彼は、だんだんと日にちを空けて来店するようになっていた。7時45分にそわそわするが、何も起こらない。そんな日々が増えていく。
 たまに来店する彼の顔色は悪かった。目に隈ができていて、その目はやたらと鋭くて。少し俯いて無言でレジ台に品を置き、無言で去っていく。あの低く、余韻を響かせるような声が聞きたい。愛想笑いでも笑顔が見たい。少しでも視界に入れてほしい。
 そのためにいつも朝から頑張って髪をブローしているのに。いつ見られてもいいように整えているのに。
 願いが届いたのか、その日やっと彼と目が合った。
 それは人が足りず、珍しく入った夕勤のシフト。レジの近くで品出しをしていると、買い物をしている彼がいたのだ。しかし彼は俺を見て嫌な顔をした。
 レジ台にはお酒の缶が並んでいた。
 足早に去っていく高い背中を、店から出た彼を追う。
 いつも高校の制服を着ている未成年の彼がお酒を購入していた事に、驚くほどショックを受けていた。派手な見た目をしているがいつも挨拶をして笑顔で去っていくのを知っている。コーヒーの割合が多いが、たまに甘いジュースを買っていて。おにぎりより圧倒的パン派で。たまにレジ横の小さなお菓子を買ったりなんかして。お酒なんか彼は買わない。
 店の裏までくると、彼は振り向いた。そして目の前でレジ袋から購入した酒のうち一つを取り出し、プルタブを開けて口をつける。
「こんなもんか。初めて飲んだ」
 口の端を片側だけ上げて笑う顔は初めて見た顔だった。
「お兄さん、俺の制服姿知ってるもんな。やっぱりだめだった?」
 言葉が出ずに頷けば、彼が歩み寄ってくる。そういえば今日は髪型も何も適当だ。久しぶりに会えたのに。
「お兄さん」
 強い力で顎を掴まれる。
「いつも俺のこと見すぎで気持ちわりぃよ。見られるの慣れてるけどお兄さんの視線はすげぇキモイ」
「え……あっ……」
 こんなに近くでこの顔を見つめられる機会などもう二度とないのに目の前が真っ白になる。ずっとそんな風に思われてたんだ。あの挨拶の、あの微笑みの裏で。今目の前で微笑んでる顔はあの顔じゃない。でも、それでもこの顔が好きだ。
「お願いがあんだけど。聞いてくれる?」
 耳元でお願いごとを聞かされて受け入れる以外の選択肢などなく、店のダンボール置き場である倉庫に彼と二人で入った。
 口内でよだれが溢れるのを感じる。痛いほど勃起している。立ったまま壁に寄りかかる彼の前に座り、出された男性器を躊躇なく咥えた。こんなことした事ない。それでも夢中で舌を動かした。全部に、余すことなく舌を這わせたい。すごく大きくて苦しいけれどそんなことは大した問題にならない。
「限界だったから助かる。俺自分でするの嫌なんだよ」
 その大きな手で頭を両側から挟まれ捕まえられる。するとグッと喉の奥まで押し付けられる。
「んぐぅっ……!」
「舌動かせよ。初めてでもわかんだろ」
 舐めたこともないが舐められたこともないのでどうしたらいいのかなんてわからない。そもそも俺の経験なんてどうでもいいことなのだろう。
 結局頭を押さえつけられたまま、好き勝手にガンガンと喉奥を何度も連続で突かれる。
 豚みたいな汚い声が漏れて恥ずかしいがそれも気持ちよかった。
「あー、やべぇ、すぐ出るわ。飲んで」
「んぅぅぅぅっっ!」
 舌根よりもまだ奥に精液が吐き出される。苦しくてそれでもどうにもならなくて涙が滲むが、深いため息をついた彼はすぐに性器を口から抜き取った。男性器に精液が引き摺られ、吐き出された半分ほどが舌の上へ滑り込む。
 飲んでと言われたので飲み込もうとすると、顎を掴まれて口を開かされた。口内を見て低く笑う。
「きたねぇな。朝早くから嫌な顔一つせずにこにこ笑って仕事してるくせに」
 そうして今度は口を閉じさせ、それを手で覆い鼻をつまみ、無理矢理飲み込ませた。ゴクンと喉仏が動く。
「なんで俺にこんなこと……?」
 解放された口で聞く。涙で滲む瞳で彼が見えない。あの顔が見たい。
 しかし彼の返事は残酷で。
「べつに。面倒くさくなきゃ誰でもいいし」
 いつもこんな風に気まぐれで関係をもっているのかもしれない。彼にとってはたくさんの中のたった一回なのかもしれない。すぐに忘れてしまうような、どうでもいい、なんてことのない一回。
 でも彼は知っているのだろうか。
 その一回が相手にとっては一生残る跡になりかねないことを。
「お兄さん大学生だよな? これあげる、お礼」
 差し出されたのはビールの缶。震える手で受け取ると腕時計が見えた。奇しくも時計の針は7時45分を指していた。
「毎朝ご苦労さま」
 たったそれだけ言って去っていく。いたずらに起きたこの時間は呆気なく幕を下ろす。
 彼は数日後、朝7時45分にやってきた。
 新発売のサイダーと珍しく鮭のおにぎりを持ってレジ台にくる。
 そしてただ感じ良く「お会計お願いします」とそれだけ告げた。
 
 
 
 
end.
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