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あさと

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 考えもなしに続いて部屋に入ったが、なんとなく気まずいしどうしようかなと座ることもせずにテーブルの付近をウロウロとしてしまう。そんな僕など全く気にもせずに彼女は持参していた紙袋からタッパーをいくつか出して冷蔵庫へと仕舞っていた。タッパーの中にはオカズらしきものがびっちり詰まっている。
「あの……麗奈、ちゃん?」
「なに」
「隼人の妹……なの?」
「違うよ、はとこ」
「はとこって言うと……なんだっけ」
「従兄弟同士の子供だよ。なんでもいいでしょ。あんまり詮索しないでよね」
 こっちを見もせずに淡々と答えていたが、冷蔵庫をバタンと強めに閉めると睨むようにこちらを見てくる。長い睫毛に囲まれた瞳は赤茶色で、隼人の瞳と同じ色、そして鋭かった。有無を言わせない強い眼差しも隼人を連想させるには十分で血縁者なんだなと言われずとも伝わってくるほどだ。
 そしてその目に弱い僕は蛇に睨まれたような気分である。美形すぎると迫力が半端じゃない。
「いつから隼人と付き合ってるの?」
 やかんに水を入れ、火にかけながら問いかけられる。
「え……と、まだ一ヶ月経ってないかな?」
「そうなんだ。私が高校受かったら、好きな人を紹介してもらう約束だったんだよね。でもなかなか紹介してくれなかったから……」
「好きな人を紹介……?」
「そう。隼人も苦労したでしょ、高校受験の時。浅人……さんが、頭良いせいで二段階もレベル上げたんだから」
 流し台の上にある壁に設置された戸棚を開き、ガラス製のティーポットと紅茶の缶を慣れた手つきで取り出す。よく遊びに来ているのだろう。缶の中に入れたままのティースプーンで茶葉を入れ、湯気が吹き出すやかんの火を止めた。先ほどの厳しい顔つきと違い、その横顔は少し楽しそうで頬がピンク色をしていた。
「本当にね、寝る間も惜しんで勉強してたんだよ。隼人にそんなことさせるのなんてどんな人なんだろうってずっと会いたかったんだ」
 シューと音を立てるやかんからお湯をゆっくりとティーポットに流し込む音が響く。ガラスのポットの中のお湯はみるみるうちに赤みのある茶色……まるで二人の瞳のような色に染まっていく。
 それを見ながら僕は考えていた。
 彼女が話しているのはもちろん僕のことではない。そしてそれが誰かは明白だからだ。
 それは僕じゃないと素直に言えばいいのか、適当に話を合わせればいいのか。いや、無理がある。隼人と知り合ったのなんて最近なのだから。
 どうしよう。もう話したくない。
 隼人の好きな人は僕じゃないなんて言いたくない。
 目の前では二人分のカップが並べられ、とくとくとく……と耳障りのいい音を鳴らしながら紅茶が注がれている。
「あ!  もしかして緑茶派?  隼人が古風な子だって言ってたの思い出した……」
 しまったというように眉をあげ口に手を当てた彼女は、僕と目が合うと吹き出した。そのままくすくすと笑う姿に不安を覚え、つい顔を顰めてしまう。しかし彼女は笑いながら話すのだ。
「あの、外国の人だよね。日本の文化が好きなの?  なんだか見た目からは古風ってイメージと違うなって……」
「違うよ!!」
 もう聞きたくなくて大きな声を出すと、やっと笑い声はピタリと止んだ。瞳をまんまるくして見つめられ、目を逸らす。
 イメージと違うに決まってるよ。僕じゃないんだから。
 僕と玲児に似てるところなんて何一つないのだから。
 僕ら正反対だ。隼人の好きな人と僕は正反対だ。
 逃げ出したくてたまらなかったけれど、隼人を待たなければいけないからそれもできない。僕は床を睨みつけながら拳を強く握った。どうして玲児なんだろう。どうして隼人が好きなのは玲児なのだろう。悔しくてたまらない。
「あの……座れば」
 いつの間にか彼女は紅茶をトレイからテーブルに移し並べ、僕の立っている向かい、ベットを背に腰掛けていた。こちらを見上げる瞳はなんども瞬きを繰り返し不安気だった。突然大きな声で否定されたのだからそれも当然で、悪いことをしてしまった。
 彼女の向かいに腰を落とし正座をするが、膝を握る自分の手しか見られない。僕はもっと人と話すのが上手だったはずなのに。
 しばらくそうした後、カチャ……と音を立て、彼女がカップに口をつける。そして小さな声を絞り出した。
「あの、ごめんなさい。私、話すのが上手くなくて……思ったこと色々言っちゃうの、いつも隼人にも怒られる」
 容姿に見合わない自信なさげな細い声に顔を上げると、僕と同じように正座をしている姿があった。小さくなっているその姿を見て(そういえば立っていると僕より背が高いのに座っていると目線が僕より低い……悔しい)、そうじゃないんだとやっと言葉を探し出す。
「ごめん、違うんだよ!  僕、ハーフなだけで普通に日本人なんだ……だから謝らないで」
「ハーフ……?」
「そう!  それに紅茶大好きだし。ダージリンだね!」
 微笑んでカップに口をつけると、少しの苦味の後に甘い香りが柔らかく広がり心が落ち着いた。もっと早くいただいておけば良かった。下がり眉のままではあったが、彼女も口角を上げてはにかんで笑う。
「私も紅茶好き……」
「そうなんだ!  これ、オータムナルだよね?  おいしいし、ほっとするな。ありがとう」
「わかるの?  あたり。セカンドフラッシュのほうが好きなんだけど、隼人がこっちのほうがいいって」
「僕は麗奈ちゃんと一緒だな。でもそうなんだ、隼人はこの味が好きなんだね……」
 もう一口、熱い液体を喉に流し込む。隼人の好きな味。それを知っただけで、さっき喉を通った時よりも熱く感じる。内蔵に染み込む。瞼を下ろして口内に広がる香りを楽しみながら、隼人の顔を浮かべるだけで嬉しかった。
 しかし目を開ければ麗奈ちゃんと目が合ってしまい、ちょっと恥ずかしかった。人前で浸ってしまった……顔が熱くなってくる。けれどそんな僕を見て、目を細めて笑うのだ。初めは気が強く見えたその整いすぎた顔は笑っているとずっと眉が八の字を描いていてあどけない。
「良かった……隼人のこと大好きなんだね。隼人は今、すっごく幸せだね」
「え……?」
「大好きなの、伝わる。あの、隼人ね、色々大変だったの。でも好きな人を励みに頑張ってたんだと思う。だから本当によかった」
 胸に手を当ててため息をつきながら微笑む姿にチクチクと胸が痛んだ。本当に本当に、安心しきった顔で微笑むんだ。麗奈ちゃんが僕の気持ちを感じ取ってくれたように、彼女からも隼人を心配する気持ちや大切な気持ちが伝わってくる。
 僕は彼女を騙している。また僕は嘘を重ねている。
 隼人は僕のことなんか好きじゃない。
 隼人は幸せなんかじゃない。
 でもいま、僕を求めてくれているのだけは真実なんだ。
 そこに僕は、しがみついていたい。
「あの……仲良くなりたいなって思うんだけど、もっと話してもいい?」
 不器用に、躊躇いがちに聞いてくる彼女にニッコリと笑って見せた。
「もちろんだよ!」
 何を偉そうに、偽物のくせに。
 違うよ、偽物なんかじゃない。
 僕は、僕は、隼人の恋人だから。
 相反する声が響く。僕って隼人のなんなんだろう。
 
 
 
 
 帰宅すると女物のローファーが玄関に置いてあり面食らった。なんで来るなら連絡してこないんだよあいつ。余計な話をされたらたまったもんじゃない。
 しかし廊下の奥で閉められた扉の向こうからは笑い声が聞こえてくる。なにも問題は起きていないようだ。はぁっと肩を落として息を吐く。夜も遅いし早く帰らせようと早々に部屋へと進んだ。
「あ、おかえりー!  お仕事お疲れさまー!」
 こっちの気も知らずに能天気にぶんぶんと大きく手を振る浅人はとりあえず無視して、麗奈の後頭部を背後から小突く。
「お前なんだよ、連絡しろよ。つかもう遅いから帰れよ」
 座ったまま俺を見上げるでっかい目ん玉からは不満の色がありありと見えた。もともと子供みたいに尖った唇をさらにツンとさせる。
「帰ってきて早々酷い、お母さんに頼まれてご飯持ってきたのに……」
「連絡しろって」
「どうせ携帯見ないくせに!」
「とりあえず帰れよ」
 その場から離れてクローゼットへ向かおうとしたら、勢いよく立ち上がった麗奈に肩を掴まれた。仕方なく振り返るが、文句が飛んでくることは分かりきっているため自然と眉間に皺がよる。
「連絡もまともに寄越さないから心配してるのに。“好きな人”のこともちっとも紹介してくれないと思ってたけどちゃんと付き合ってるんじゃない」
 好きな人と言われ、浅人に目を向けるとチラッと口角を上げて笑い、肩をすくめた。そんな彼と目の前でキレてる麗奈を見比べて、本当にめんどくさいと思った。
 紹介なんかするかよ。そいつじゃねぇもん、好きな人。
「また今度ゆっくりそっち行くから、今日は帰れって」 
「ちょっと待ってよ」
「あー!  わかったー!」
 険悪な会話にいきなりすっとんきょうな声が響く。俺らが一斉に浅人に顔を向けると、あっ、と小さく発声してそのまま困ったようにもじもじと自分の頬をさすりだす。
 その様子を見て、案外気を使うコイツのことだから俺らの言い合いを止めたかったのだろうなとすぐに分かった。しかし実際に止めてみれば座ったままの自分に対して、立った状態でも自分より背の高く目つきの悪い男女に(意図せずとも)睨まれてしまい可哀想なもんだ。
 麗奈はともかく浅人に悪かったと一声かけようと思ったが、こいつの“わかったこと”というのはクソみたいにタイミングが悪いものだった。
「麗奈ちゃんが立って思い出したんだけど、その制服。深緑のブレザーと緑のチェックスカート、玉貴ちゃんと同じ高校だよね!」
 玉貴ちゃん。
 まさか今出てくると思わない名前である。
 玉貴ちゃん。瑞生玉貴。玲児の妹の名前だ。嘘だろ、麗奈と同じ高校だなんて知らなかった。
「ねぇ、隼人!  知ってる?  玲児の妹のっ……」
 なぜだか浅人はそこまで言いかけて口を噤んだ。唇をぎゅっと結び、目線を逸らす。なんだっていうのだ。
「玉貴ちゃん?  二人とも玉貴ちゃんのこと知ってるの?」
 驚いて怒りを落っことした表情でこちらを見上げる麗奈に“お前も知ってるのかよ”と思わず言いそうになった言葉を飲み込んで何でもないような返事をする。
「知ってるよ。その子の兄貴が俺らと同じ高校の同級生だから」
 何もおかしな答えではない。ないはずだ。
 なのに麗奈の驚いていた表情はだんだんと不可解な謎に直面したような、しかめっ面に変わっていく。そして浅人をじっと見つめた後、なんでと呟いた。
「お兄さんって、隼人と同じ中学じゃないの……?  玉貴ちゃんと私、中学同じだったし……」
「だからなんだよ」
「だって隼人の中学から同じ高校行った人は他にいないって……それに好きな人の名前、私に似てるって言ってた!  おかしいよ隼人の好きな人って」
「麗奈!!」
 その先を言わせないよう、言っても聞こえぬよう、普段出さないような大声で名前を怒鳴りつけた。麗奈は思考にハマるとすぐに周りが見えなくなるし、思ったことなんでもすぐに口に出す。悪い奴ではないがこういうとこがダメなんだよとつくづく思う。
 麗奈はハッとして浅人を横目で見た。顔を向けなかっただけマシだが、本当にわかりやすい。
 しかし俺はと言うと浅人を見ることもできなかった。どっちもどっちだな。

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