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ロストバージンの関係

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 入学式の日の朝。六時すぎに玲児の家の前についた。
 半年以上通った場所だったが、玲児と離れてからは一本隣の道を登下校に使っていたため、久しぶりだった。さほど時間が経っているわけでもないので何も変わっていないのは当たり前なのに何故だか安心した。
 玲児の部屋の窓を見上げる。明かりはついていない。まさかそんなに早くは行ってないと思いながらも少し不安になった、次の瞬間だった。玄関の扉が開く。
 玲児だった。
「隼人……?!」
 扉だけ閉めて玄関の前でそのまま止まり、玲児は仏頂面にますますシワを寄せた。
 それでも、俺は嬉しかった。
 久しぶりに目を合わせた。
 その声に名前を呼ばれた。
 それだけでもこれまでの努力が報われたと思えたのだ。
 真新しい紺色のブレザー、グレーのスラックス、緑のストライプ柄のネクタイ。自分と同じ制服を着る玲児を見て、これからまた三年間は近くにいられると思った。変に安心してしまったからか、気張った言葉が何も出てこない。なんて言おうか悩んだ末に出た言葉はなんとも普通の言葉だった。
「お迎えにあがりました」
 緊張したが、笑顔は見せられたはず。しかし玲児はふいっとそっぽを向いて俺のことをすり抜けさっさと歩き出してしまった。慌てて追いかけるが玲児はこちらをちらりとも振り向かない。朝日が眩しい。
「おい、待てって……」
「断る」
「一時間半はかかるぞ、旅のお供がいてもいいだろ」
「いらん」
 二人でいつも手を繋いでいた道で、数歩先を歩く玲児。目の前にあるその手を握って振り向かせたい。決心して手を伸ばす。
 けれどもその時に気が付いた。
 頭の中に根付くその声が響く。
 “汚い手で俺に触れるな!!”
 俺は玲児に触れなくなっていた。
 あと数ミリで玲児の手を握れたのに、俺の手は宙を裂くだけだった。もう一度手を伸ばして試みるが、結果は同じだ。そこで玲児も俺の気配に気付き振り向いた。
「隼人、貴様……」
 ショックのあまり立ち止まり自分の手の平を見つめている俺を、数メートル先で玲児は見ていたが、逆光のせいで表情はあまりわからなかった。
 玲児に触れない。
 そんな事が起こるとは思いもしなかった。何を脅えているんだ自分は。何回振り払われてもその手を掴む覚悟がなければ駄目だろうが。情けない、玲児を包むこともできない無駄に大きな手を握りしめる。
「隼人……初日から遅刻するぞ、行かないのか」
 玲児は静かな声で話し、俺に歩み寄った。そして俺がずっと焦がれていたその手を俺の目の前に差し出した。
 白く華奢で、長い指。
 その手を取らなければ。
 焦れば焦るほど、手が出ない。
 自分に対して困惑し目を泳がせる俺を見て、玲児はため息と共に“やはりな”と漏らして踵を返した。さっさと歩き出す玲児の後をなんとか追う。
「玲児、聞いてくれ! 俺はお前のそばにいたくて……」
「貴様の成績ではどうせ合格はできないだろうと思っていた」
 せめて気持ちだけでも伝えたかったが、玲児は俺の言葉を遮った。
「何故だかは知らないが、努力したんだな」
「知らないなんて言うなよ、俺は……」
「何も言うな。俺はもう消化した。お前のことも、陸上のことも」
 目の前にいる玲児の後頭部しか俺には見えないが、あまりにも淡々と話すので無理をしているのではないかと心配になった。玲児、お前の我慢はまだ続いてるのか。俺がさっき、頼りなく細いその手を握ることができればもっと違う言葉が出てきたのか。
「別にもうお前のことなどどうでもいい。俺に話しかけようが勝手にすればいいが、何も期待はするな。俺達の間には何もない。それでいい」
「なかったことに……しろって言うのか」
「そうだ。お前には迷惑をかけたな。すまない。これで終わりにしてくれ」
 玲児の声に最後まで感情の起伏は感じられなかった。けれど言い終わるとこちらを振り向く。さっきよりも近くにいるため今度は表情が見えた。
 この一年ほどで身長の伸びた俺と玲児の身長差は広がっていた。
 玲児は眉根を寄せて眩しそうに目を細め、憂いを含んだ微笑みで俺を見上げた。
「今日は共に行くか。明日からは行かないぞ」
 そう言って玲児は俺の隣に並んで歩き出した。
 朝日を浴びたその顔はまだ小さく笑みを作っていて、とりあえず拒絶をされなかっただけでも喜ぼうと思えた。口も聞いてもらえないかもしれないとも考えたこともある。まさか自分に問題が起こるとは想像してもいなかったけれど。
 玲児の話を聞いて、すぐにどうとかなるものでもないし、彼に従おうと思った。とりあえずは平穏に過ごしているならば無駄に辛い思いもさせたくない。思えば二人で最後に過ごしていた時は頬が痩けてひどい状態であったが、当時よりはふっくらしていて顔色もいい。落ち着いている証拠だ。二人の関係はこれから少しずつでも変えていけるはず。
 何事もない普通の同級生のように俺らは、これからの高校の話などをして一緒に登校した。俺がもうすぐ高校の近くに引っ越す話をした時の、平静を装いながらも残念そうな玲児の姿は今でもよく思い出す。
 あれからもう一年半も経ったというのに、俺らの関係はほとんど変わってなどいなかった。




 玲児との過去に想いを馳せ、俺はさらに悔しい気持ちを強めた。
 本当に俺は何も変わっていない。玲児には少しずつ触れられるようになっている気がする。けれどもなかなか上手くいかないことに苛立ち、他を抱いてそれを解消しようとして。結局は自分が楽になりたくて玲児を傷つけるばっかりだ。
「隼人、俺は……もうお前と一緒にはならない」
 気だるそうに身体を横に倒したまま、玲児は囁いた。
「もう無理なんだ。わかるだろう……?」
「じゃあ……」
 俺は玲児に向き直り、ベットに乗り上げた。玲児の肩の近くに手を置いて体重をかけ、覆い被さる。これで玲児に触れられたら最高なのに。
「俺のこと、もっとちゃんと拒絶しろよ」
「ど、どけ……」
「俺のことを見んなよ! 俺が立ち直れないくらい酷いこと言えばいいだろ?!」
 何が苛立つかと言えば、玲児の態度があまりに歯痒くてそれが一番俺を苦しめていた。
 いつだって俺のことを気にして、なんだかんだ理由をつけて近くにいて。自分が弱ればこんな風に甘えてきて。それなのにその口が紡ぐ言葉と言えば未来を否定するものばかり。まるで弄ばれてるかのようだ。
 苦しい。傍にいられるだけでもいいなんて思えない。
 玲児は俺の顎に手を添え、親指で唇に触れた。唇を見られているために微妙に視線が合わず、自分の唇を撫でる指に集中する。
「酷い言葉など……思いつきもしない。だから言えん。しかし……」
 玲児は空いていた腕を伸ばしてぐいっと俺の首を引き寄せた。
 あ、唇が触れる。
 一瞬そう思ったが、唇が触れる寸前になって玲児はふっと顔を逸らした。下唇を噛み、手が離れていく。
「駄目だ……俺達はとっくに終わっている。それに浅人は、貴様のことを好いている」
「なんだよそれっ……!」
 突然、ガラッと扉が開かれる音がした。そして背後に歩み寄ってくる気配。
 体勢はそのまま首だけ後ろへ向けると加賀見がペットボトルを数本持って立っていた。
「切れてたから…………持ってきた。飲む……? 経口補水液……」
 いつもののんびりした口調でペットボトルを自分の顔の横で揺らす。しかし俺達がそのまま無言で加賀見を唖然と見ていると、すーっとペットボトルを持つ手を下ろしていった。この間ずっと無表情である。
「邪魔……? 出てく?」
 大男が首を傾げる姿を見て、俺は聞こえるよう大袈裟に舌打ちをして勢いよくベットから下りた。
 何もかもに腹が立つ。
「授業……戻って、いいよ」
「わかったよ。そいつよろしく」
 二人に顔も見せないまま早足で保健室を出て、苛立ちのままに強くドアを閉めた。ピシャンとスライドドアの反動する音が響く。
 授業中で誰もいないはずの静かな廊下を歩き出すと、前方に金髪が見えた。近づいてくるそいつを見て、今度は聞かれないよう静かに舌を打つ。
「あ、隼人! 玲児の具合どう? 遅かったからこっそり抜け出してきちゃった」
 ぶんぶん手を振りながら駆け寄ってくる途中、ツルっといきなり滑りやがるので、仕方なく抱きとめた。そしてどさくさに紛れて腹に腕を回し抱きつかれる。
「廊下は走るなって言うだろ、危ねーよ」
「えへへー、でもいいことあったからいいんだー」
「いいこと?」
「隼人が助けてくれたから!」
 そう言って俺を見上げ、歯を見せて笑う顔は可愛かった。自然と頭に手を乗せると、俺の肩に頬を擦り寄せてくる。
「隼人好き!」
「あっそう」
「わ、冷たいっ! でも別に気にしないからねー! ふんだ!」
「俺も……お前ぐらい強けりゃな」
 そう思わず呟き、ハッとして浅人の身体を離して廊下を歩き出した。どんどん行ってしまう俺を浅人は追いかける。なんでそんなに必死になれるんだ。一度抱いただけなのに。好きじゃないって言ってるのに。
 浅人は追いつき小さな手を俺の腕に絡ませたと思ったら、またズルっと身体が前のめりになった。慌てて両肩を抱いて身体を起こす。そして大丈夫かと身体を屈めた瞬間、浅人はニッと笑って俺の唇にキスをした。
「あはは、隼人って案外ちょろいよねー! 行こー!」
 言葉とは裏腹に顔を真っ赤にして走り去っていく浅人を、呆気に取られて注意するのも忘れ見つめていた。
 こんなことが毎日続いたら頭がどうにかなりそうだ。
 振り返って閉じられた保健室の扉を一瞥し、俺は肩を落として浅人の後を歩いていった。

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